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【不登校】「信じて見守る」子育てをやめてみた

子育ては、信じて見守るって言うけど、

子供の成長を信じるとは、どういうことを言うのだろうか?

子供を信じるということは、「この子なりに生きていく力を信じる」ということなのかもしれない。

この子なりに生きていくと言われても、じゃぁ、どうやって生きることを言うんだろうか?

結局、私は子供の成長を、信じようとすればするほど、そこに「こうなってほしい」とか「せめてこれくらいは?」と言う親の期待が混ざってしまう。

そして、「期待はよくない!」と、期待を手放すことが、子供の成長を諦めることのようにも思えてしまう。

信じようとすると、期待をしてしまい、期待を手放そうすると、諦めてしまう気がする。

何が、正しいのか、もうわからない。

私には「信じる」という言葉自体が、そもそも重たいものなんだろう。

信じる子育ては、私には向いていないのかもしれない。

とにかく、荷が重いし、難しすぎる。

それなら、「観察する」子育てというのは、どうだろうか?

ただ、ありのまま、事実を見つめていく子育てのことだ。これなら、なんだかできそうだ。

私は息子を信じる子育てから、観察する子育てにしていこうと思うだけで、なんだか気持ちが軽くなってきた。


あと、観察した後に、リフレーミングすると、また面白くなってくるのかもしれない。

私らしく、なんでも面白がっていこうじゃないか。

息子自身は変わらなくても、私の中で捉え方が変わるだけで、きっと子育ては楽になる。

例えば、

・1日中、YouTubeを観ている。

 →暇つぶしの天才

・送迎したら、学校に行ける

 →サポート次第で動くことができる。社会と関わる意欲はある。


こんな感じで、リフレーミングするのもいいよね。

とにかく、信じて見守る子育てを、頑張るのは、辞めようと思う。

私は、ずーっと、「ふつうになってほしい」という期待が手放せずに、苦しんできた。


もちろん、完全に手放せている訳ではないけども、観察して「事実を見つめていく」そして、私らしくおもしろく捉えていく子育てで、きっといいんだ。


不安だらけの難しい不登校子育てを、これからも楽しんでいきたい。


面白がって進んでいきたいのだ。




観察子育てをしていこうと決めてから、「観察日記」を書いています。

こちらは、親の見方を変えていく日記です。

子どもの行動に注目していくことで、親の見方が変わってきます。

そして、いつの間にか子どもが変わってきます。


「観察日記」の書き方は、こちらの有料記事に書きました。





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