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道のり〜透明なぼくからきみへの手紙〜


ぼくはきみを否定したことなんて一度も、たったの一度たりとも、なかった。

きみはいつも、自分の弱さやできなさ、足りなさを、自分で責めていた。
ひたすら消しゴムで消していたときも。

ぼくはそんなことを、ずっと願っていなかった。
その度に痛かった。
きみがいたいのはぼくもいたい。
抱きしめたかった。
いや、抱きしめていた。

違うんだよ、きみはきみのままで、命に価値があるのだと。
透明なぼくは、声を持たないぼくは、そう叫びながら。
何度もきみの背中をさすったし、
何度もきみの涙を拭いた。きみの涙を手のひらで受け止めてはいつか、きみが咲かす花のための肥料としようと両手ですくってきた。

きみの涙はきれいだった。
まっすぐだったから。
偽りがなかったから。
ひたむきだったから。

きみのできないこと、足りないところ、苦手なところは、ぼくは実はきみが生まれたころから、
いや、生まれる前、君がお母さんのお腹の中にいるときに、もう十分知っていた。

それは、でも、重箱の隅をつつくような、咎めるような目で見たことは、ずっとなかった。

ただただ、愛おしかった。
きみの足りなさまでもがだいじだった。
ずっと宝ものみたいにだきしめてきた。

きみはよく泣いた。よく泣く。
上手くできない日、辛く悲しい日、人に冷たくされた日、思い通りにならない日々、押し寄せる苦悲。

そしてきみは負けず嫌いだ。
悔し涙もよく見てきた。

その一つ一つが、ぼくには美しかった。
大切で尊かった。

よくがんばったんだね、えらかったね、と透明な手で君の頭を撫でた。
何度も。
あと、きみはきみを高く見積もりすぎだとぼくは思う。
きみをみくびっているのでも、軽んじているのでもない。
ただ、きみが目を覚まして、今日を生きたこと、それだけで、もうぼくはうれしい。
大人になるとわからなくなるけれど、みんなできなくて当たり前、できることは全て奇跡だ。
赤ちゃんは泣くだけでえらいし、幼い子は食べるだけでえらい。
確かに大人はそうはいかない。
だけど、人間ってそこからきてる、誰も皆。
だから、君は奇跡を起こしつづけている。
バカにしていない。至極真剣な話だ。

きみの苦悲を肯定するものではなく、ぼくはきみのしあわせしか願ってはいない。
それは真実だ。その前提を勘違いしないでいてほしいと、念を押しておく。
それでも、きみはできないからこそ、
追いかけて泣いて、
負けたくないから立ち上がりたくて泣いて、
いつも未来へ向けて涙を拭いていた。
その山や谷があったからきみはより美しく輝いてきたのだと、ぼくにははっきり見えている。
きみが足りないからこそ、きみは美しい。
必死に手を伸ばそうとするその手は星くずを掴んでいる。
きみには見えなくても、ぼくには見える。

あと、きみが元気のないときに、きみが閉じこもってしまうのは、ぼくは寂しい。悲しい。
そういうときは、君の顔を覗きこんでは、大丈夫?、怖くならないように、痛くならないように、苦しくならないようにしようね、してあげるっていつも思っている。
言っている。
そういうときこそ、ぼくはより近くにいる。
きみはやっぱり、透明なぼくに気付くことはない。
あ、ぼくは気付かれなくても全く傷ついていない。
ただ、きみはひとりじゃないと、透明な声で伝えている。
きみの手を握って、あたたかさだけでも伝われと願いながら。
透明なぼくの痒いところに手が届かない宿命ってやつは変わらない、変えられない。
でも、きみはたまに、ぼくの気持ちを目に見えない中にふわっと感じて、受け取ってくれてると感じる時もある。

目に見えないもの、信じない人は少なくない。
ぼくは目に見えない代表。

じゃあ心は?
大多数の人が疑わず信じている目に見えないものの代表。
話が少し脱線したため、戻そう。

きみはひとりじゃない。
思っている以上にひとりじゃない。
忘れないで、助けてやSOSは届くまで、大きな声で何度も諦めないで言ってみること。

それができないときは、やっぱりぼくはいるんだよ。見えなくても。

もうがんばれないと、うなだれた日も、きみは必ず、乗り越えてくれた。

ぼくが確かに言えることは、どんな君もあいし、大切に思っているということ。
きみのしあわせや喜びがいちばん嬉しいこと。
きみが泣いたら泣くし、笑ったら笑うこと。

ぼくがきみを知っていること。
きみはいつも、一生懸命だということ。
きみは不器用で、おっちょこちょいで。
その他にも愛すべき短所はいっぱい知ってる。
きみより知ってる。
だけどそれは、きみの個性の煌めきへ変換できることも知っておいてほしい。

きみが知らず知らずのうちに何気なくした、良い行いはちゃんと宝箱に預かってある。あ、純粋で報いを求めないものについてはだと、ここは厳しめに言っておく。
それでも。きみにサプライズできる日のために。

きみがきみの中で、きらいな自分、これは不要だなと思う自分が、実はぼくには、助けになり得ることがあると、信じていてほしい。

そして、ぼくには、いくらきみがどうしようもない人間だとしても、そんなことはどうでもいい。
いや、それはちょっと言い間違えた。
きみがしあわせになるためなら、もっとこうしていけば、近道なのに、とははがゆく思うことはある。
でも、できないなら、違う道を探せばいい。
ぼくはそれを全力で応援している。
きみの決めることを、バックアップするため、きみのうしろに控えている。いつも。
ぼくは、きみの決意を、選択を、信じている。揺らぎなくいつも。
話を少し戻すと、きみのすばらしさをぼくはちゃんと全部知っていて。
そのすばらしさを讃える気持ちの方が大きくて、どうしようもなさはあまり視野に入っていないということだ。
きみがきみを小さく評価しようとも。

だから、きみはきみのままでいていいんだよ。
変わらないで、きみらしさを捨てる必要なんてなんにもないんだよ。

きみはきみでありつづければいい。
いや、ありつづけてほしいんだ。
何度も花は咲くよ。

これは、きみをずっと見守ってきた、透明なぼくからの、今のきみに最大限の愛を込めて伝えたいこと。

いつだってそばにいるよ。
あとごめん、きみに思いを話せることは今回が最初で最後かと思えば、あれもこれもと話しすぎた。伝えたいことが溢れた。
きみがだいすき。


長文、読んでくださり、ありがとうございます。
みなさまいつもありがとうございます。
今はnoteぼちぼちコースの私の記事にスキしてくださって、気にかけてくださって、画面の向こうから頭下げて喜んでます。
みなさまの記事も観に行かせてくださいね。
元気でいてくださいね。

この度の熊本地震において、被災された方々にお見舞い申し上げ、1日も早い鎮静化、復興を心より願っております。

以下あとがきを書いてみます。

透明なぼくはいったい誰なのか。
目に見えないものは信じないと言われればそれまでなのですが笑、私はあると思っている派です。
それは、大切な今はもうこの世を去ってしまった人かもしれない。家族だったペットかもしれない。いや、今生きているペットがそう思ってそばにいてくれるのかもしれない。大きく見たら、地球、宇宙、大空かもしれない。
信じる人にとっては神さまかもしれない。

見守ってくれる、なんらかのあたたかい光があるのではないか、あったらいい、あったならこんな風に思われているのではないかと思って書いてみました。

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