「できない自分」を受け入れたら、キャリアがもう一度動き出した。
「中身はおばあちゃんになっています」
医師からそう告げられたとき、私は言葉を失った。
まだ50代にもなっていないのに、身体は思うように動かない。手術を終えた私は、これまでの「当たり前」を一つずつ失っていった。
心の変化、身体の変化、環境の変化。
予期せぬ変化を受け入れることは、簡単なことだろうか。
2025年4月。病気の手術を経験した私は、フリーランスとしての焦りと、「できない自分」への絶望の中にいた。
それでも時を経て、変わらないものなどないし、変われないものもないのだと、今は思える。
身体の変化に追いつかない心
2025年4月の手術から、1年と3ヶ月が経つ。標準治療として勧められた抗がん剤は選ばなかったものの、現在続けているホルモン剤による治療が、想像以上に影響している。
裏を返せば、それだけ薬がよく効いている証拠でもあるのだが、医師から告げられた「中身はおばあちゃんになっています」という言葉に絶望した。
リウマチのような神経痛、指のこわばりや痺れで、料理や生活にも支障が出ている。キーボードを打つ指も長時間の作業だと固まってしまう。
薬の影響で更年期症状に似たものがあり、ホットフラッシュがひどい。
「滝のような汗」という表現があるが、文字通り滝のような汗を瞬間的にかく。寝苦しさで安眠が保たれないことも多いし、朝イチのシャワーは欠かせない。
外出先で人と話している最中に、突然汗が噴き出すこともある。止まらない汗に恥ずかしさを感じることも少なくない。さらに汗で濡れた服が身体を冷やし、風邪をひくことまである。
身体の変化を受け入れること。
自然の老いなら受け入れられることも、予期せぬ病の治療で感じる身体の変化は受け入れ難い。身体の変化に心が追いつかないのだ。
それでも1年かけて少しずつ受け入れられるようになってきているとすれば、自分の心の変化と心の成長が感じられて安堵する。
🐾 🐾 🐾
責める日々
手術から1年と3ヶ月。今でこそようやく自分の状態を客観的に見られるようになったが、術後半年くらいは闇の中にいた。「なんでこんなことになってしまったのだろう」と自分を責め、病気を責める日々だった。
普通にできていたことができないもどかしさ。
「こんなはずじゃなかった」と病院や治療方針を責める気持ちも大きかった。
1日2時間のオンラインで疲れて果ててしまったり、リアルでのイベントに出かけていくと翌日は動けないくらいに消耗してまったり、とにかく自分の体力低下が悲しくて悔しくて、気持ちの落ち込みもひどかった。
痛みや痺れで身体が休まらず、入眠導入剤もずっと手放せなかった。
朝は特にひどくて、起きるまでに1時間ベッドの中で体をほぐす時間が必要で、昼寝も欠かせない。参加したいと思っていたオンラインも参加できず、「何もできなかった」という後悔で1日を終える。
「何もできない自分」を受け入れるのが怖かった。
🐾 🐾 🐾
フリーランスのリスク
私は個人事業主として基本的には1人で仕事をしている。
3割が業務委託、あとの7割は自分で企画をしたりクライアントと直取引をしている仕事だ。
フリーランスは自由。しかし、休めば収入は止まり、仕事に穴を開ければ信頼も失う。治療と仕事の両立は、私にとって単なる課題ではなく、生きるための条件だった。
仕事が嫌なら「この機会にしっかり休もう」と思えるが、大好きな仕事をしているので、働くことができない状況は生きる意味や自分らしさを奪われることと等しい。
病院ではなかなか分かってもらえず苦しかった。
カミングアウトについても随分と悩んだ。
事実、1年は周りに言わずにいた。
仕事のオファーが減るかもしれないと思ったからだ。
相手にとっては「思いやり」だとしても、私にとっては大好きな仕事を奪われることは命や生きがいを失うことと等しい。
🐾 🐾 🐾
やるなら今しかない
実は入院が決まった頃、人生初の「金髪」に挑戦した。
ずっと挑戦できなかったことの背中を押したのが、他ならぬ「病」だったという皮肉。
抗がん剤治療による脱毛の可能性を覚悟したとき、はじめて「髪があるうちに、やりたいように自分にやらせてあげたい」と強く思った。
しかし、実際にやってみると、それまで頑なに気にしていた「世間の目」など驚くほどどうでもよくなった。
むしろ、周囲からは「いいね!」と声をかけられることの方が多かったのだ。
自分が思うほど、人は気にしていないのかもしれない。
結果として脱毛の危機は訪れなかったけれど、この一件を経て「やりたいことをやる」信念はさらに強くなったし、自分を縛るものから少し自由になれた。
入院中や退院後の辛い時期も、「やりたいことをやれた」金髪の私が、いつも励ましてくれた。
🐾 🐾 🐾
できなくなっていく自分の先にあるもの
変化を受け入れること。
私にとっては身体の変化よりも、これまで100ある力で動けていたのが50くらいに目減りすることの方が受け入れがたかった。
これまで、できることを積み重ねてここまで来た自負がある。
だからこそ、できなくなっていく自分を受け入れるのはとても難しい。
何をして、何をしないのか。
何ができて、何ができないのか。
今できていて、これからできなくなっていくことは何か。
あきらめなくてはいけないことがあるとしたら?
余命宣告されたわけではないけれど、もし再発したら「余命○年」というラベルをつけられてしまうだろうから、元気なうちに、後悔のないようやりたいことをやっていきたい。
そして、同じように治療と仕事の両立で悩んでいる人がいるとすれば、私の経験や学びを差し出したい。
自分の火を燃やしたいと願う気持ちと、思うように体が動かない現実との間でもがきながら、今日も「生」と向き合っている。
🐾 🐾 🐾
新たなスタート地点に立つ
医師から「中身はおばあちゃんになっています」と言われ絶望したあの日。それでも、心のどこかで自分の火を絶やしたくないと願う私がいた。
「何か方法はないんですか」と迫ると、医師は申し訳なさそうな表情で言った。
「運動しかないですね。
または
治療をやめるか・・・ですね。」
正直、腹が立った。
「運動しかない」
そんな精神論みたいな答えがあるだろうか。
頭に浮かんだのは「副作用を苦に治療をやめるほど、私はまだ治療をやり切っていない」という思い。
標準治療とされる抗がん剤を選択せずに、できる限りの治療をやると決めたからには、やれることはやりたい。精神論でもなんでもいい。
夜風が気持ちいい秋の夜、少しだけ外を歩いてみることにした。
30分ほどのウォーキングを習慣にしているうちに身体も心も軽くなった。
人間って複雑なようでシンプルにできている。
翌日、新しいスニーカーを買い、ウォーキングが楽しみになった。
それからは自分の限界を低く見積もり悲壮感に包まれるのはやめて、出張を入れたり活動を増やしたりした。リハビリのようなものかもしれない。
1日2時間しかできなかったオンラインが何本かできるようになり、少し長めの外出ができるようになり、県外出張に行けるようになり。
少しずつ思うように体が動くようになって、体力づくりを始めてから数ヶ月。かつての「無理をして出す100の力」ではなく、今の自分の身体と対話しながらペースを掴むことで、結果的に手術前、もしくはそれ以上に仕事に打ち込むことができている。
身体の違和感がすべて拭えたわけではない。だけど、「できない自分」に絶望するのはもうやめた。今の私だからこそ、見えた景色がある。
好きな仕事を、好きなだけ続けられることの幸せ。
あらためてスタート地点に立った今、自分の身体と対話をしながら、これからのキャリアを再構築していく。
この経験が、未来の私へのギフトとなると信じて。
#創作大賞2026
#エッセイ部門
#人生の転機
#闘病
#治療と仕事の両立
#キャリア
#キャリアコンサルタント
#フリーランス
#これからの働き方
#自己受容
#再スタート
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは、全国の美味しい「鉄板ナポリタン」を食べ歩くための軍資金にさせていただきます。美味しい「鉄板ナポリタン」情報もお待ちしております。