【無駄は必要か①】 無駄の正体を解明するため42.195km走る。
コロナによって、世界は大きく変わった。
人との接触は禁止。
緊急事態宣言。
リモートワーク。
学校も職場も、今まで当たり前だった人との関わり方が一気に変わっていった。
親戚の集まりはなくなった。
会社の会議は画面越しになった。
レジは無人化が進み、人と話さなくても買い物ができる。
飲み会は激減した。
世の中は驚くほど効率的になっていった。
もちろん、それで助かったこともたくさんある。
便利になった。
時間も生まれた。
無駄が減った。
でも、おれはその頃から、ある違和感を抱いていた。
無駄って、本当に悪いものなんだろうか。
効率化の波の中で、世の中はたくさんのものを「無駄」と判断し、切り捨てていった。失っていった。
でも、その無駄は本当に必要なかったのか。
親戚との何気ない会話。
会社の飲み会。
意味もなく友達と話していた時間。
遠回りして帰った帰り道。
目的のない雑談。
それらは、本当に人生に必要のないものだったんだろうか。
そもそも、人間はなぜ何十年、何百年もそんな「無駄」を続けてきたんだろう。
もし本当に価値がないものなら、とっくの昔になくなっていてもおかしくない。
頭の中で考えても答えは出なかった。
だったら、体で確かめるしかない。
おれはそう思った。
だから今回は、全力で無駄なことをやってみる。
それが、
42.195kmを走ること。
しかも大会には出ない。
誰かと競うわけでもない。
順位もない。
メダルもない。
沿道の応援もない。
ゴールテープすらない。
自分で距離を調べ、自分でスタートし、自分でゴールする。
客観的に見れば、これ以上なく無駄な時間かもしれない。
でも、その「無駄」の中にしか見つからないものがある気がした。
正直に言おう。
おれは走ることが好きじゃない。
だったら、なおさらいい。
好きなことをやって「楽しかった」で終わるより、好きじゃないことを本気でやって、自分が何を感じるのか知りたかった。
このチャレンジのテーマは、ただフルマラソンを完走することじゃない。
テーマは、「無駄は必要か、不必要か」。
42.195kmを走りながら、おれはその答えを探しにいく。
もし走り終えた時に、「やっぱり無駄だった」と思うなら、それも一つの答えだ。
でも、もし人生に必要な何かを見つけられたなら——。
その42.195kmは、決して無駄じゃなかったと言える。
さあ、おれの人生史上最も無駄な挑戦を始めよう。

