前略、空の上より
飛行機が苦手だ。多感な時期に観た映画(主人公が飛行機事故の予知夢を見る)の影響もあってか、鉄の塊が大勢の人を乗せて空を飛ぶ事実に、今も心底驚く。そんな私が、両手にも満たない搭乗経験を更新することになるとは。
きっかけは恋人の一言だった。「来月実家に帰るけど、一緒に来る?」 交際4ヶ月。あまりにサラッと言うものだから、軽い気持ちで快諾した。が、後で気づく。実家?一緒に?ちょっと待って。結婚の挨拶?いや、九州って…飛行機に乗るの!?ときめきを置き去りに、混乱を抱えたまま、あっという間に当日を迎えた。
1泊2日の旅。しかも実家に泊めていただくということで、朝から緊張で何度もお手洗いへ。持病の腹痛に加え、飛行機への恐怖で顔面蒼白。彼は呑気に笑っている。まぁあなたにとってはいつもの帰省だもんね、と心の中で呟く。
「結婚の挨拶じゃないよ」と彼が実家に電話しているのを耳にした。4歳下のマイペースなその人は、お酒は飲まず、野菜と魚を嫌い、きのこを罵り、肉だけを愛す。野球を憎み、サッカーに熱中し、週末はフットサルで汗を流している。そんな彼を産み育てた人々や、生まれ育った街に、純粋な興味が湧いた。
いよいよ飛行機の描写をと思っていたけれど、恐怖のせいか何ひとつ記憶に残っていないので、到着後の様子を記す。空港内の飲食店で昼食を済ませ、バスを何度か乗り継ぎ、車窓から見える知らない街並みを眺める。「観光地がない」と彼が言い、私の実家も似たようなものだなと納得した。
マンションに着いたのは15時過ぎ。部屋着姿の兄に出迎えられた。両親は夕方頃に帰宅すると言うので、それまで3人で談笑。日が暮れ始めた頃、母親が帰宅。歳の近い兄との会話でほぐれた緊張が、また一気に強まる。てっきり出前を取るのかと思ったら、母親が忙しなく準備を始めたので「何かできることありますか?」と声を掛けると「そんなこと言われたの初めて」と目を丸くされた。
準備が整った頃、父親が帰宅。小柄で白髪、作業着姿のTHE家長といった風貌。恋人は、長身で細面の母親似だと気付く。チゲ鍋を囲み、色々な話をする。主に父親が。「大学は?行ってない?残念、大卒の身内ができると思ったんだけど」「息子の昔の彼女は明るくてね、今でも街で会ったら声を掛けてくれるよ」「お母さん、醤油を…」「お母さん、ご飯のおかわりを…」と父親が連呼し、母親がテキパキと動く姿に、家庭の色が見えた気がした。
気疲れもあったのか、その夜はぐっすり眠れた。翌朝、食卓にロールケーキが並び「朝ご飯がロールケーキのお宅、レアだなぁ!」と感嘆した。空港まで母親の運転で送ってもらい、別れを惜しみつつ飛行機に乗り込む(行き同様、記憶は真っ白)。
泊めてもらったお礼に、ご家族に手紙を書いてもいいか彼に尋ねると「重い。外堀埋めようとしてるみたいで嫌だ」と予想外の厳しい一言。「これからよりサッカーに集中するから、冷たくなるかも」となおもチクチク言葉は続き、胸が締め付けられた。父親が結婚の挨拶と勘違いして張り切っていた、とブツブツ呟く彼を眺めながら、恋が終わる予感を確かに感じた。あの家には九州男児の血が脈々と流れている。だって、あの日せわしなく動いていたのは母親だけだったのだから。
