籠城と祈り
20代の頃、付き合っていた彼の家に招待された。聞き馴染みのない駅に降り立ち、合流した彼が開口一番「行きつけの喫茶店のママを紹介したい」と言うので、ドキドキしながら受け入れた。
軒先に青・黄・赤の旗がひらめく店内に足を踏み入れると、ふくよかで優しそうな女性と、その娘さんを名乗る方が笑顔で迎えてくれた。出されたコーヒーを飲みながら話をしているうち、緊張も少しずつほぐれていった。
楽しい時間を過ごし、いよいよ彼の家へ。1階にコンビニが入った7階建てのファミリーマンションで、彼は地元の先輩とルームシェアをしていた。エレベーターを降りてすぐの扉の前で立ち止まると、慣れた手つきで鍵を差し込み、重い鉄の扉がギィと音を立てて開く。
玄関に入るとすぐにキッチンとダイニングがあり、その奥にそれぞれの部屋が割り振られていた。トイレと浴室は左側の細い廊下にあった。ふと、ダイニングテーブルのすぐそばの小さな仏壇に目が止まる。
若い男性の2人暮らしで仏壇があるのも珍しいなと思ったが「毎日欠かさず祈っている」と言うので、ご先祖様を大切にしているんだなという印象を受けた。私も脳内で手を合わせた。
その後は彼特製のチーズリゾットを食べたり、音楽を聴いたり、おしゃべりに興じたりした。夕方を過ぎた頃、玄関でインターホンが鳴る。同居の先輩が帰宅したのかと一瞬身構えたが、ドアホン越しに聞こえてくるのは初老の女性の声だった。
「集会があるので迎えに来ました」
「すみません、今日は参加できません」
「参加は必須です」
「人といるので今日は行けません」
「ではその方が帰るまでこちらで待ちます」
聞き間違いでなければ「こちらで待つ」と言ったな。モニターのないドアホンのため、ふたりで玄関に近づき、恐る恐るドアスコープを覗くと、確かに人がいた。魚眼レンズのせいか、頭が極端に大きく、その下にちんまりと体がくっついている様が、より不気味さを増していた。
10分、20分と無視を続けていたが、女性は一向に動く気配がない。このままでは私も帰宅できない。静かに涙を流す私を見かねて、彼が玄関の扉を開き、女性のいる方へ消えていった。
扉を隔ててボソボソと声はするものの、話の内容までは聞き取れなかった。数分後、戻ってきた彼が「とりあえず解決した。もう帰る?」と言うので応じることに。もそもそと荷物を拾い、駅までほとんど会話もせず歩き、改札で別れ、その数ヶ月後に彼とも別れた。
もうすっかり昔の出来事ではあるけれど、今でもふとした瞬間に、風になびく三色の旗を思い、私に微笑む人達を思い、コーヒーの苦味を思い、ドアスコープ越しの女性を思い、仏壇に手を合わせる彼の姿を思う。私は私の信じる形で、彼らの幸せを祈っている。
