神様がくれた時間
親を大切に思う気持ちや、古い教えの優しさが、最近になって少しずつ胸に落ちてくるようになりました。
私の父は、売れない画家でした。
歴史に残るようなルネサンスの巨匠には、到底なれそうもない人でした。
父が愛していたのは、街の何気ない風景を描くアーバンスケッチのような絵でした。
時折、ペンで線を引いたあとに淡い水彩をのせる、ペンアンドウォッシュという技法に挑戦できれば、それだけで満足そうにしていました。
幼い頃の私は、もっとわかりやすい成功を父に求めていたのかもしれません。
もっと有名な絵描きになってほしい。
そう焦る気持ちから、父の描くささやかな風景画を、どこか冷めた目で見てしまうこともありました。
身近にあるものの価値に気づけず、わかりやすい成果ばかりを追いかけていた自分の浅はかさが、今でも少しだけ痛みます。
スケッチという言葉の語源を調べてみると、古代ギリシャ語の「素早い、思いつき」という言葉に行き着きます。
それは完成された完璧な作品ではなく、その瞬間に出会った光や風を、そのまま留めておく行為のことです。
父は大きな名声を描こうとしていたのではなく、ただ目の前にある愛おしい時間を、描き留めたかっただけなのかもしれません。
最近では、AI技術を使って当時の父のようなアーバンスケッチ風の絵や、ペンアンドウォッシュの画像を生成して楽しむ時間があります。
画面の中に広がる優しい線と色彩を見るたび、父の指先や、絵の具の匂い、静かな息遣いまで思い出されます。
双子座だった父は、今でも時々、私の夢に現れます。
夢の中の父は相変わらず売れない画家のままで、楽しそうに筆を走らせています。
完璧な成果を残すことだけが、人生の答えではないのかもしれません。
ふとした日常に立ち止まり、目の前の愛おしさに気づくこと。
それこそが、神様が私たちに与えてくれた時間という贈り物の本質なのだと感じています。
忙しない日々の中で、あなたがふと立ち止まり、手元の愛おしさに目を向ける瞬間がありますように。
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