ガチ衝撃とプチ後悔
ふとしたことから、中学の国語の教科書を見せてもらう機会があった。
そういえば私は、春に教科書をもらうと国語のだけ最後まで読んでしまう…というコドモだった(タダでもらえる本!と思っていた)。
ある日親戚のおじさんに連れられて本屋に行き、
「なんでも好きなものを選んでいいぞ」
と言われたときには、
そんな幸せなことがあっていいのか!!
目をらんらんと輝かせて、児童書コーナーでいちばんぶっといと思われる本を探した(中身はいいのか?)。
ちなみにそのとき買ってもらったのは『ドリトル先生と秘密の湖』だ(いま見ても笑えるほど太い)。
さて久しぶりに手にした教科書のもくじをパラパラとめくると、なんと向田邦子さんのとなりに伊坂幸太郎さんが載っている。
近ごろの中学生は伊坂幸太郎を授業で習うのか!衝撃だった。うらやましすぎる(テストはうらやましくないけど)。
びっくりしたままに読んでみたら、『ヒューマノイド』というその作品はものすごく「ええハナシ」で、両手で教科書をひろげたまま震えた。
30歳になった主人公は、「恥ずかしい」というワードから過去の約束を思い出す。気まずい別れをしたままの、中学のころの友達。
憧れに近い気持ちを持っていた友達の失態。それに対する失望といら立ち。友達はそれでも、なんとか主人公をつなぎとめようとして声をかける。
「30歳の6月10日、ロボットの日に会おう」
と。
私の拙い文では伝えきれないのがもどかしい。その年ごろのイラッとした気持ちの描写や、決してかっこいいわけではない友達の独特の雰囲気、それらがありありと浮かんでくる。
再会できるのか、主人公とシンクロしながら過去と現在を行き来しているうちに、
ちょっと笑えて、ちょっとじわりのラストにたどりつく。
読み終わって、
「ああ胸がきゅうっとする、なんていい話なんだ!伏線すごすぎだろう!誰かにこの感動を伝えたい…」
と思ったものの、教科書の感想なんて家族に話してもうす気味悪がられるだけ(noteに書くなんてもしかして迷惑行為?)。
ほかのも読みたいと思ったが、友人に怪しまれるので教科書はその場で返してしまった。
息子の教科書、取っておけば良かったなぁ〜!と後悔してもあとのまつりである。
近ごろ目の調子が悪くて図書館で借りた本もなかなか読み進められないけれど、教科書の字は大きくて、字体も読みやすくてノンストレス。
もしかしたら私の感動にはその読みやすさと、つまみ食いのように読んだことによる印象の強さが影響しているかもしれない。
でもこれから電車に乗るときには、ホームのディスプレイまで見つめてしまいそうだ(作品の中で、主人公の心を突き動かすので)。
最近の教科書ってすごいんだな。そういえば「国語便覧」もひそかに売れているというし(学生時代の便覧をまだ持っていたりする私はなんだかトクした気分)好きな人多いんだな…
文学の魅力をなんとか子どもたちに伝えたい!言葉にたずさわる仕事をしている方たちの情熱に触れた気がして、ちょっと嬉しかった。
もちろんドリトル先生も、私の前に広い世界の扉をひらいてくれたのだ。
本を買ってくれたおじさんはもう亡くなってしまった。
それでも買ってもらった時のうれしさと、読んだ時のわくわくとドキドキは私の胸にともりつづけている。
