いつか、理不尽も愛せるのかな
私は昔から「なんで?」が多い子供だった。
親には少しうざがられていたと思う。
「なんでそうなの?」
「なんでダメなの?」
理由が知りたかった。
たぶん私は、納得したかったんだと思う。
特に中学生の頃は、学校という場所があまり好きじゃなかった。先生の言うことも、学校のルールも、理不尽だと思うことが結構あった。決まりだからと言われても、私の中では答えにならなかった。なんでその決まりがあるのか。そこが知りたかった。
今も、その性格はそんなに変わっていない。
気になったら、つい「なんで?」を考えてしまう。
でも、一つだけ変わったことがある。
昔は、その答えが自分の中で納得できるものじゃないと、ずっと引っかかっていた。
今は、そこまでじゃない。
「そういう考え方もあるのか。」
「そういう事情だったのか。」
自分が100%納得できなくても、理由があるなら受け止められることが増えた。それこそ、答えが「なんとなく」でも。
最近ふと、子育てをしている親のことを考えた。
イヤイヤ期とか反抗期とか。親からしたら、理不尽なことばかりなんじゃないだろうか。なんでそんなことで泣くの。なんで急に怒るの。そう思う日も、きっとある。それでも、子どものことは愛している。
理不尽を愛しているわけじゃない。でも、その理不尽も含めて受け止めている。
それって、なんだかすごいなと思った。
私は今でも、道でぶつかって謝らない人とかを見ると少しイラッとする。理不尽だな、と思うこともある。
だから、まだ理不尽を愛せるほど大人じゃない。
でも、20年後、30年後。今よりもっと思慮深くなった私は、どうなっているんだろう。
「あれも人生だったね。」
そんなふうに笑える日が来るのかな。
もし来るなら、その時の私は、理不尽すら少し愛せる人になっているのかもしれない。
