3話 言葉にできなかった痛みが、音楽になった日。
孤独の中で出会った、最初の光。
第2話では、私の幼少期にあった孤独と痛みについて書きました。
父を知らずに育ったこと。
ポッカリと空いた心のスキマ。
母に感情をぶつけていたこと。
自分でも制御できない怒り。
そして、生きる意味を探し続けていた日々。
あの頃の私は、自分の中にある痛みを、うまく言葉にすることができませんでした。
寂しい。
苦しい。
分かってほしい。
愛されていると知りたい。
でも、それをどう表現すればいいのか分からなかった。
だから私は、ふざけたり、強がったり、怒ったりしていました。
本当は、誰かに分かってほしかったのだと思います。
そんな私の人生に、ある時、ひとつの光が差し込みました。
それが、音楽でした。
正直に言うと、最初から立派な理由があったわけではありません。
20歳の頃。
私がラップに興味を持ったきっかけは、とても単純でした。
モテたかったのです。
かっこよく見られたかった。
目立ちたかった。
誰かに認められたかった。
今思えば、そこにもやっぱり、心の奥にあるスキマがありました。
自分には価値があると感じたい。
誰かに見てほしい。
すごいと思われたい。
愛されたい。
そんな思いが、形を変えて「モテたい」「かっこよくなりたい」という気持ちになっていたのだと思います。
最初のきっかけは、職場の後輩と行ったカラオケでした。
そこで私は、初めて間近でラップを見ました。
言葉をリズムに乗せて、堂々と声にしている姿。
それが、ただただかっこよく見えました。
「なんだこれ」
「ラップって、こんなにかっこいいのか」
心が一気に動きました。
その後、すぐにクラブへ行きました。
そこで見たライブステージは、私には本当に輝いて見えました。
暗い空間の中で、光を浴びながらマイクを握る人たち。
ビートが鳴り、言葉が飛び、そこにいる人たちの空気が変わっていく。
私には、そのステージがまぶしく見えました。
自分も、あそこに立ちたい。
自分も、あんなふうに言葉を放ってみたい。
そう思いました。
最初は、ただ「かっこいい」からでした。
でも、ラップに触れていくうちに、少しずつ分かってきました。
ラップは、ただかっこつけるためのものではありませんでした。
言葉をリズムに乗せることで、自分の中にあるものを外に出せる。
普段は言えないことも、ビートの上なら言える。
弱さも、強がりも、悔しさも、夢も、怒りも、全部言葉にできる。
それまでの私は、自分の痛みをうまく言葉にできませんでした。
でもラップは、その言葉にならなかったものに、形を与えてくれました。
初めて歌詞を書いた時のことは、今でも覚えています。
とはいえ、最初から深いことを書いていたわけではありません。
最初に書いていた歌詞は、強がりや夢、成功への憧れが多かったと思います。
有名になりたい。
見返したい。
かっこよくなりたい。
自分には価値があると証明したい。
そんな思いが、歌詞の中ににじんでいました。
今振り返ると、それはただの夢ではなく、心の叫びでもありました。
「自分を見てほしい」
「自分を認めてほしい」
「自分にも価値があると知りたい」
第2話で書いた、あの心のスキマが、ラップの言葉になって出てきていたのだと思います。
私はもともと、かなりのテレビっ子でした。
部屋にはいつもテレビがついていました。
静かな時間が苦手だったのかもしれません。
何か音が鳴っていないと、自分の中にある寂しさや不安と向き合わなければいけない気がしたのかもしれません。
だから、ひとりで音楽と向き合い、歌詞を書く作業は、最初は落ち着きませんでした。
テレビの音がない。
誰かの声もない。
ただ自分の心と向き合う時間。
それは、思っていたよりも苦しい作業でした。
でも、その時間の中で、私は少しずつ自分の内側にあるものを言葉にしていきました。
強がりの言葉の奥にある不安。
夢を語る言葉の奥にある劣等感。
かっこつけた言葉の奥にある寂しさ。
歌詞を書くことは、自分の心を整理する作業でもありました。
ラップを書き、声に出すことで、私は少しずつ思うようになりました。
自分にも、何かあるのかもしれない。
自分にも、価値があるのかもしれない。
自分の言葉も、誰かに届くのかもしれない。
初めて録音した時のことも覚えています。
音楽仲間と一緒に、MDコンポに安いマイクをつないで録りました。
今のような機材があったわけではありません。
立派なスタジオでもありません。
でも、その時の私たちにとっては、それが自分たちのスタジオでした。
安いマイク。
MDコンポ。
仲間たち。
まだ下手なラップ。
それでも本気だった時間。
初めて自分の声を録って聴いた時、正直、恥ずかしかったです。
自分の声って、こんなふうに聞こえるのか。
変な感じがしました。
でも同時に、楽しかった。
何かが始まった気がしました。
ただ生きているだけだった自分に、ひとつの表現が与えられたような気がしました。
音楽を始めて、仲間ができました。
それは私にとって、とても大きなことでした。
父の不在。
家庭の痛み。
心のスキマ。
自分でもよく分からない孤独。
それらを抱えていた私にとって、音楽仲間の存在は、ひとつの居場所になっていきました。
一緒に歌詞を書く。
一緒に録音する。
一緒にライブを見る。
一緒に夢を語る。
そこには、自分がいてもいいと思える空気がありました。
音楽は、私を一度救ってくれたのだと思います。
少なくとも、その時の私にはそう感じられました。
音楽があったから、自分の感情を整理できた。
音楽があったから、自分にも価値があると思えた。
音楽があったから、仲間ができた。
音楽があったから、孤独だけではない時間を知ることができた。
誰かが私の曲を聴いて、
「元気をもらった」
「毎日聴いてる」
そう言ってくれたこともありました。
その言葉は、本当に嬉しかったです。
自分の言葉が、誰かの一日に届いている。
自分の声が、誰かの力になっている。
それは、幼い頃からずっと「自分には価値があるのか」と問い続けていた私にとって、大きな出来事でした。
最初は、モテたい。
かっこよくなりたい。
有名になりたい。
見返したい。
そんなところから始まったラップでした。
でも少しずつ、私の中で音楽の意味は変わっていきました。
ただ自分を大きく見せるためではなく、誰かを励ますために歌いたい。
自分の痛みを、誰かの希望に変えたい。
そんな思いが、少しずつ芽生えていきました。
けれど、それでも音楽だけでは、心の穴は完全には埋まりませんでした。
ステージに立てば満たされた気がする。
仲間といれば寂しさを忘れられる。
誰かに褒められれば、自分にも価値があるように感じられる。
でも、ひとりになると、また戻ってくるものがありました。
自分には本当に価値があるのか。
自分は何のために生きているのか。
本当の意味で愛されるとは、どういうことなのか。
その問いは、まだ私の中に残っていました。
音楽で満ち足りたような人生を歩んでいるように見えても、私の心の奥には、まだ空白がありました。
そして20代前半。
私は再び、大きな絶望期に入っていきます。
きっかけのひとつは、髪の毛が薄くなっていったことでした。
いわゆる若ハゲです。
今なら少し笑って話せる部分もあります。
でも当時の私にとっては、本当に深刻でした。
かっこよくなりたい。
モテたい。
見返したい。
自分には価値があると証明したい。
そんな思いで音楽を始めた私にとって、若くして髪が薄くなっていくことは、自分の価値が崩れていくような感覚でした。
また、絶望が来ました。
また、自分には価値がないのではないかという思いが襲ってきました。
そして私は、少しずつ生活が荒れていきました。
夜の遊びに近づき、浪費も増えていきました。
心の空白をごまかすように、刺激のあるものへ流されていきました。
その場では楽しい。
その瞬間だけは忘れられる。
でも朝になると、何も満たされていない自分が残っている。
そんな日々でした。
音楽があるのに、満たされない。
仲間がいるのに、孤独が消えない。
笑っているのに、心の奥では壊れている。
お金の使い方も崩れていき、気づけば借金まで抱えるようになっていました。
今振り返ると、それは音楽が悪かったのではありません。
音楽は確かに、私を支えてくれました。
でも音楽は、私の神さまにはなれませんでした。
音楽は、心の痛みを言葉にする力をくれました。
でも、私の存在そのものを根っこから愛し、癒やし、満たしてくれるものではありませんでした。
私はまだ、本当の愛を知りませんでした。
天の父の愛を知りませんでした。
自分が神の子として愛されていることを、まだ知りませんでした。
そんな荒れた日々の中で、26歳の時、ひとつの出来事が起こります。
私は、徳光和夫さんの番組「会いたい」に出演することになりました。
目的は、まだ一度も会ったことのない父に会うことでした。
2歳の時に両親が離婚してから、私は父に会ったことがありません。
当時の私は、どこかでずっと思っていたのだと思います。
父に会えば、何かが分かるかもしれない。
父に会えば、自分の中にある空白の理由が少しは分かるかもしれない。
父に会えば、この心の穴に、何か答えが見つかるかもしれない。
でも結果として、父に会うことはできませんでした。
それでも、その出来事は無駄にはなりませんでした。
その番組出演をきっかけに、私は約10年間断絶していた兄と和解することになります。
兄との関係が断たれていた理由は、幼い頃の喧嘩だけではありませんでした。
兄は国立大学に通うために、地元である茨城県取手市を離れ、水戸で一人暮らしをしていました。
そして大学では、演劇部の活動に熱中していました。
一方で、母は兄に仕送りをしていました。
その頃の私は、就職したばかりでした。
働き始めたばかりの私が、毎月母にお金を渡している。
その母が、兄に仕送りをしている。
私は、そのことがどうしても許せませんでした。
「なんで自分ばかりが」
「なんで母がそこまでしなければいけないんだ」
「なんで兄はそれを受け取っていられるんだ」
そんな怒りが、私の中に積もっていきました。
今思えば、そこにもやはり、父の不在からくる家族への歪みや、心のスキマがあったのだと思います。
母を守りたい気持ちもあった。
でも同時に、自分の苦しさを分かってほしい気持ちもあった。
そして兄に対する怒りや、許せない思いもありました。
その結果、兄との関係は長い間、断絶してしまいました。
けれど、「父に会いたい」と願って出演したテレビ番組をきっかけに、私は父ではなく、兄と向き合うことになりました。
父には会えなかった。
でも、兄と和解することができた。
これは、今振り返ると本当に不思議な導きでした。
さらに兄は、私が抱えていた約50万円の借金を完済してくれました。
その時の私は、まだ神さまを知りませんでした。
まだイエス・キリストの救いも、天の父の愛も知りませんでした。
でも今振り返ると、あの時すでに、見えないところで導きがあったのだと思います。
父に会うことはできなかった。
でも、壊れていた兄との関係が回復した。
どうにもならなかった借金が助けられた。
そして、私の過去の痛みの中に、小さな回復の光が差し込んだのです。
後に私は、聖書の中でこのみことばに出会います。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
ローマ人への手紙 8章28節
今の私は、このみことばの意味を、人生を通して少しずつ知っています。
良いことだけではありません。
痛みも。
孤独も。
失敗も。
恥ずかしい過去も。
後悔も。
荒れた日々も。
神さまは、それらすべてを無駄にせず、後に益へと変えてくださる方です。
もちろん、当時の私はそんなことを知りませんでした。
ただ必死でした。
ただ満たされたくて、認められたくて、愛されたくて、生きる意味を探していました。
音楽は、そんな私に最初の光をくれました。
言葉にできなかった痛みは、音楽になりました。
孤独は、リリックになりました。
強がりは、ビートの上で声になりました。
そしてその音楽は、確かに私を一時的に救ってくれました。
でも、本当の救いはまだ先にありました。
その先に、妻との出会い。
そして、天の父の愛が待っていることを、当時の私はまだ知りませんでした。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
暗闇の中にいた私の人生にも、光は少しずつ差し込んでいました。
スーパーヒーローはYOU。
Blessings to you.
