2話 孤独と痛み。|父の不在と心のスキマ
貧しさや孤独の中で、生きる意味を探していた日々。
2歳の時、両親が離婚しました。
それから今日まで、約43年間、私は父に会ったことがありません。
第1話では、そんな私の人生の始まりを書きました。
地上の父を知らずに育った私が、やがて天の父の愛を知り、神の子として生き始めるまでの物語。
そして、暗闇の中にいた私が光に出会い、今度は誰かの人生に光を届ける者へと変えられていく物語。
今回は、その暗闇の中にあった、孤独と痛みについて書いていこうと思います。
私は幼い頃から、どこか心の中に埋まらない穴を抱えていました。
父がいない。
たったそれだけの言葉で片づけられそうで、実際には片づけられないものが、そこにはありました。
授業参観。
運動会。
父の日。
家庭科の授業。
友達の家族を見た時。
父親と一緒にいる同級生を見た時。
家族の話題が当たり前のように出た時。
そのたびに、私の心の奥では何かが静かに疼いていました。
「父親って、何なんだろう」
「自分には、何が足りないんだろう」
「自分は、普通じゃないのかな」
そんな言葉にならない感情が、少しずつ私の中に積もっていきました。
私は、いわゆるおとなしい子ではありませんでした。
むしろ、お調子者でした。
大人の言うことを素直に聞くような子でもありませんでした。
ふざけて、強がって、目立とうとして、平気なふりをしていたのだと思います。
でも今振り返ると、その明るさの奥には、寂しさがありました。
怒りもありました。
貧しさもありました。
父がいないことへの、どうにもならない痛みもありました。
今思えば、私の問題行動の根っこには、いつも父の不在と、ポッカリと空いた心のスキマがありました。
大人の言うことを聞かないこと。
母に強く当たってしまうこと。
感情を抑えられず、怒りでぶつかってしまうこと。
ふざけて、強がって、目立とうとすること。
表面だけ見れば、ただのわがままや反抗に見えたかもしれません。
でもその奥には、
「見てほしい」
「分かってほしい」
「愛されていると知りたい」
「自分には価値があると感じたい」
そんな叫びがあったのだと思います。
父の不在によって空いた心のスキマがある限り、人は何かでそれを埋めようとしてしまうのかもしれません。
私の場合、それは反抗であり、怒りであり、母への甘えであり、強がりでした。
そして時には、癇癪として爆発することもありました。
部屋の中で怒りを抑えられなくなり、お皿やコップを投げて割ったこともあります。
飾ってあるものを踏みつけたり、目につくものに怒りをぶつけたりしたこともありました。
もちろん、それは決して良いことではありません。
今の私が、その行動を正当化したいわけでもありません。
でも今振り返ると、あの頃の私は、自分でもどうしていいか分からない感情を抱えていたのだと思います。
寂しい。
苦しい。
分かってほしい。
愛されていると知りたい。
でも、どう言葉にすればいいか分からない。
その言葉にならない叫びが、怒りとなって外に出ていたのだと思います。
本当に必要だったのは、叱られることだけではなく、心の奥にあるそのスキマに、愛が届くことだったのだと思います。
その感情を、私はうまく言葉にできませんでした。
だから一番近くにいた母に、ぶつけていました。
母のことは大好きでした。
今でも、母がひたむきに私を育ててくれたことには、本当に感謝しています。
でも当時の私は、その愛を正しく受け取ることができていませんでした。
母は、父がいないことを気にしていたのかもしれません。
私に寂しい思いをさせたくない。
父がいない分、自分が何でもしてあげなければいけない。
そんな思いがあったのかもしれません。
だから私は、母に甘えました。
甘えた、というより、今思えば、母を自分の感情の受け皿にしてしまっていました。
母は、自分のために何でもしてくれる存在。
母は、自分の言いなりになってくれる存在。
まるで、しもべや召使いのように、私は母に接していた時期がありました。
本当に未熟でした。
でもその未熟さの奥には、埋まらない心の穴がありました。
どうして父はいないのか。
どうして自分の家はこうなのか。
どうしてこんなに満たされないのか。
その答えを持たないまま、私は母にぶつかっていました。
そして4歳の時、その抑えきれない怒りは、さらに大きな出来事につながりました。
兄との喧嘩でした。
感情を抑えられなかった私は、勢いのままガラスを殴ってしまいました。
その瞬間、手首にガラスが刺さり、大量に血が流れました。
幼い私には、何が起きたのか分かりませんでした。
気づけば意識を失い、救急車で運ばれていました。
その時、自分が家の上から、救急車で運ばれていく自分を見ているような、不思議な感覚がありました。
幼いながらに、死というものが、自分のすぐ近くにあるように感じた出来事でした。
でも今思うと、本当に怖いのは、ガラスで手首を切ったことだけではありません。
それほどまでに、自分の中にある怒りや寂しさを、誰にも言葉で伝えられなかったことです。
心のスキマが埋まらないまま、愛されている実感を持てないまま、私は自分でも制御できない感情に振り回されていました。
でも、それ以上に深く心に残っているのは、7歳の時の出来事です。
ある日、私は母と激しく口論になりました。
理由は、今となっては細かく覚えていません。
でも、その奥にあったものは分かります。
寂しさ。
貧しさ。
父がいないことへの怒り。
どこにもぶつけられない感情。
私はその全部を、母にぶつけていたのだと思います。
そしてその口論の中で、私は言ってしまいました。
「死にたい」
その一言を聞いた母が、静かに、でも強い口調で言いました。
「じゃあ死のう」
その言葉を皮切りに、私たちは近所の踏切まで歩いて行きました。
今思えば、母もまた限界だったのだと思います。
父がいない家庭で、必死に私を育て、守ろうとしていた母。
私に寂しい思いをさせまいと、何でも受け止めようとしてくれていた母。
でも、私の寂しさも怒りもぶつけられ続ける中で、母自身の心も、もう限界だったのかもしれません。
夕方だったと思います。
空の色。
踏切の音。
近づいてくる電車の気配。
幼い私は、その時初めて思いました。
本当に、これで終わるのかもしれない。
電車が近づいてくるタイミングで、母が私の手を思い切り引っ張りました。
強く、必死に。
その瞬間、私はものすごく怖くなりました。
本当に死んでしまう。
本当に終わってしまう。
そう思った時、心の奥から叫ぶような思いが出てきました。
死にたくない。
私は泣きました。
ただ泣きました。
母と抱き合って、泣きました。
あの出来事を境に、私は「死にたい」という言葉の重さを知りました。
それは、感情のままに口にしていい言葉ではない。
命を軽く扱ってはいけない。
本当は、自分は死にたかったのではなく、この苦しみから逃げたかっただけなのだ。
幼いながらに、そのことが心に深く刻まれました。
だから私は、あの出来事を思い出すたびに、母を責める気持ちよりも、親子でそこまで追い詰められていた痛みを思います。
そして今、大人になり、父となった私は思います。
あの時の私のような感情を抱えている子どもたちは、きっと今もたくさんいる。
明るく見えても、ふざけていても、反抗的に見えても、心の奥では「自分は愛されているのか」「生きている意味があるのか」と苦しんでいる子どもたちがいる。
何とかしなければいけない。
早く、誰かが光を届けなければいけない。
そんな思いが、今の私の中にはあります。
私は今、聖書のみことばを、天の父からのラブレターとして受け取っています。
昔の私は、聖書をそんなふうに読むことなど想像もしていませんでした。
でも今は、みことばを読むたびに、天の父が私に語りかけてくださっているように感じます。
父を知らずに育った私にとって、それは本当に大きなことでした。
聖書には、こう書かれています。
「そこでイエスは彼らに答えられた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできません。父がなさることは何でも、子もそのとおりに行うのです。』」
ヨハネの福音書 5章19節
このみことばを読むたびに、私は思います。
子は、父を見て育つ。
父が何を大切にしているのか。
父がどのように人を愛するのか。
父がどのように赦し、どのように導くのか。
子は、父を見ながら、それを学んでいくのだと思います。
だからこそ、地上の父を知らずに育った私の中には、ずっと分からないものがありました。
父とは何なのか。
男としてどう生きるのか。
妻を、家族をどう愛するのか。
子どもをどう導くのか。
私は、それを近くで見ることができませんでした。
だから迷いました。
だから恐れました。
だから母にぶつかりました。
でも今、私は天の父を知りました。
天の父は、私を責めるためではなく、愛するために近づいてくださる方でした。
私を見捨てる方ではなく、呼び戻してくださる方でした。
私の欠けを責める方ではなく、その欠けた場所に愛を注いでくださる方でした。
そして私は、イエス・キリストを通して、天の父の愛を知っていきました。
今、私たちがつながっているJTM、Jesus Tribe Ministriesという教会の働きの中にも、お父さんのいない子どもたちがいます。
長男のお友達にも、そのような子がいます。
もちろん、子どもたちは一人ひとり違います。
抱えている背景も、傷も、表現の仕方も違います。
でも、父の不在や家庭の痛みが、子どもの心や行動に深く影響することを、私は自分の人生を通して知っています。
だから私は、子どもたちの問題行動を見る時、ただ「悪いことをした」とだけでは見られません。
もちろん、してはいけないことは教える必要があります。
人を傷つけること。
盗むこと。
いじめること。
喧嘩すること。
それを、そのままにしていいわけではありません。
でも同時に、その行動の奥に何があるのかを見たいと思っています。
怒りの奥に、寂しさがあるかもしれない。
盗みの奥に、満たされなさがあるかもしれない。
いじめの奥に、自分の価値を見失った痛みがあるかもしれない。
喧嘩の奥に、「愛されている」と感じられない心の叫びがあるかもしれない。
私自身がそうだったからです。
父の不在と、ポッカリと埋まらない心のスキマを抱えたままでは、人は何度も同じような問題行動を重ねてしまうのかもしれません。
でも、そこに天の父の愛が届く時、少しずつ変わっていく。
愛を受け取った子どもは、愛を流す子どもに変えられていく。
私は、JTMの教会の働きの中で、その希望を実際に見ています。
教会で天の父の愛を教えられ、牧師や私たち大人から愛を受け取っていく中で、子どもたちの心が少しずつ満たされていく姿を見ています。
怒りがやわらいでいく。
人を傷つけることが減っていく。
盗むのではなく、分け合うことを覚えていく。
喧嘩ではなく、赦すことを学んでいく。
それは、ただルールで縛ったからではないと思います。
愛を受け取ったから。
自分は見捨てられていないと知ったから。
天の父に愛されていると、少しずつ心で受け取っていくから。
私はそこに、大きな希望を見ています。
あの時の私のような子どもにも、光は届く。
父を知らない子にも、天の父の愛は届く。
心の穴は、愛によって満たされていく。
だから私は、このことを伝えたいのです。
当時の私は、母に従うことも、感謝することも、うまくできませんでした。
むしろ、一番愛してくれていた母に、一番ひどく感情をぶつけていたと思います。
母は、私にとって一番近くにいた人でした。
だからこそ、一番感情をぶつけてしまった人でもありました。
それでも母は、私を見捨てませんでした。
私がどれだけ未熟でも、どれだけ感情をぶつけても、母は必死に私のそばにいてくれました。
母は、私の命を、何度もつなぎ止めてくれていたのだと思います。
それでも、心の穴は埋まりませんでした。
母の愛が足りなかったからではありません。
母は、母にできる精一杯の愛で、私を育ててくれました。
それでも、地上の父を知らずに育った私の中には、自分でもどうすることもできない空白がありました。
自分は何のために生まれたのか。
自分には価値があるのか。
どうせ死ぬのに、なぜ頑張るのか。
生きる意味とは何なのか。
小学生の頃から、そんな問いが心の奥にありました。
もちろん、毎日そんな難しいことを考えていたわけではありません。
友達と遊び、ふざけ、笑い、怒られ、またふざける。
普通の子どものように過ごしていた時間もたくさんありました。
でも、ふとした瞬間に、心の底から空っぽな感覚がやってきました。
授業参観で、父親の姿を見る時。
父の日の制作をする時。
友達の家族の話を聞く時。
家庭科の授業で、家族の温かさに触れるような時。
登下校中のふとした瞬間。
私は、どこかでいつも思っていました。
自分には、何かが欠けている。
その欠けた感覚を埋めるために、私は明るく振る舞ったのかもしれません。
お調子者になったのかもしれません。
人の言うことを聞かないことで、自分の存在を守ろうとしたのかもしれません。
怒ることで、寂しさをごまかしていたのかもしれません。
でも、どれだけふざけても、どれだけ反抗しても、どれだけ母にぶつけても、心の奥にある問いは消えませんでした。
私はなぜ生まれたのか。
自分には価値があるのか。
愛されるとは、どういうことなのか。
その答えを、私はまだ知りませんでした。
けれど、完全に光がなかったわけではありません。
まだ、天の父の愛も、イエス・キリストの救いも、私は知りませんでした。
でも今振り返ると、あの暗闇の中にも、小さな光はありました。
母がそばにいてくれたこと。
母が見捨てずにいてくれたこと。
痛みを抱えながらも、私が生き延びたこと。
そして、心のどこかでずっと「生きる意味」を探し続けていたこと。
それらは、後に光へとつながっていく道だったのだと思います。
あの頃の私は、まだ知りませんでした。
自分の中にある痛みが、いつか言葉になることを。
孤独が、いつか歌になることを。
怒りが、いつか誰かを励ます力に変えられることを。
心の穴を抱えたまま生きていた少年が、やがて音楽に出会うことを。
次に私の人生に差し込んだ光。
それは、音楽でした。
第3話では、私がラップに出会い、言葉にできなかった痛みを音楽に乗せるようになっていく話を書いていきます。
孤独と痛みの中で、ずっと探していたもの。
その答えにはまだ遠かったけれど、音楽は確かに、私の人生の軌道を少しずつ変えていきました。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
暗闇の中にいた私の人生にも、光は少しずつ差し込んでいました。
スーパーヒーローはYOU。
Blessings to you.
