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特別編 イエス・キリストと十字架。|なぜ神の子は、苦しみを知りながら従われたのか。


十字架の愛が照らす、まことの希望。



十字架。

今では、教会の屋根やアクセサリーなど、さまざまな場所で目にする形です。

けれど約2000年前、十字架は美しい飾りではありませんでした。

罪人を公の場で苦しめ、死に至らせるための処刑道具でした。

では、なぜ神の御子であるイエス・キリストは、その十字架へ進まれたのでしょうか。

苦しみを感じなかったからでしょうか。

神だから、何も怖くなかったのでしょうか。

聖書を読むと、そうではなかったことが分かります。

イエスさまは、これから起こる痛みを知っておられました。

そのうえで、逃げずに従われたのです。

イエスさまも、苦しみを知っておられた


十字架へかかられる前夜。

イエスさまは弟子たちと共にオリーブ山へ行き、ゲツセマネと呼ばれる場所で祈られました。

そして弟子たちから少し離れ、父なる神さまの前で激しく苦しまれました。

これから裏切られること。

捕らえられること。

侮辱されること。

鞭で打たれること。

十字架に釘づけにされること。

そのすべてを分かっておられたのです。

イエスさまは、この苦しみを取り去ってほしいと祈られました。

しかし最後には、ご自分の願いよりも、父なる神さまのみこころが行われることを選ばれました。

マタイの福音書26章36〜46節
ルカの福音書22章39〜46節
ヘブル人への手紙5章7〜9節

私はこの箇所を知った時、思いました。

「ああ、イエスさまも苦しんだんだ」

何も感じず、平然と十字架へ進んだわけではない。

痛みも、恐れも、悲しみも知っておられた。

イエス・キリストは神の御子でありながら、まことの人としてこの世界へ来られました。

だから、身体の痛みも、人から裏切られる悲しみも、本物でした。

それでも私たちを救うために、父なる神さまへ従われたのです。

なぜ、十字架が必要だったのか


聖書が語る「罪」とは、犯罪だけではありません。

人を憎むこと。

嘘をつくこと。

自分だけを正しいと思うこと。

愛するべき人を傷つけること。

そして、私たちを造られた神さまから離れ、自分を人生の王として生きることです。

私にも罪があります。

夫として、父として、愛したいのに、うまく愛せなかったことがあります。

人から認められることで、自分の価値を証明しようとしたこともあります。

だから私は、誰かを上から裁くために、十字架を語ることはできません。

私自身が、救いを必要としていた一人だからです。

聖書は、罪が神さまと人との間を引き離し、その行き着く先に死があると語っています。

けれど神さまは、私たちを見捨てませんでした。

罪のないイエス・キリストが、私たちの代わりに罪の重さを背負い、十字架へ進んでくださいました。

神さまの正しさは、罪を見ないふりにはしません。

同時に、神さまの愛は、罪人である私たちを見捨てません。

正義と愛が出会い交差する場所。

それが、十字架です。

王が、罪人のために命を差し出した


この世界の王は、通常、人々から仕えられます。

力を持つ人が上に立ち、弱い人が犠牲になることもあります。

けれどイエス・キリストは、まったく違う王でした。

人々を支配するためではなく、仕えるために来られました。

人の命を奪って王になるのではなく、私たちを生かすために、ご自分の命を差し出されました。

普通なら、王を守るために民が死にます。

しかし十字架では、民を救うために王が死なれたのです。

イエスさまは、十字架にかかることで多くの人に救いの道が開かれることを知っておられました。

過去に生きた人も。

今を生きる私たちも。

これから生まれる人も。

国籍や民族、立場を越えて、イエス・キリストを信じる者が罪の赦しを受け、神さまのもとへ帰ることができる。

その新しい契約を結ぶために来られました。

ルカの福音書22章20節

十字架は、敗北ではなかった


イエスさまは十字架で死なれました。

しかし、そこで終わりませんでした。

三日目によみがえり、罪と死に勝利されました。

もし十字架で終わっていたなら、それは一人の立派な人物の悲しい最期だったかもしれません。

けれど、墓は空になりました。

イエス・キリストは今も生きておられます。

復活は、罪と死が最後の言葉ではないことを示しています。

過去に何があったとしても。

人生が壊れてしまったように感じていても。

イエス・キリストにあって、新しく生き始める道があります。

これが、聖書の語るGood Newsです。

「自分には、到底できない」と思った


イエスさまが、苦しみを知りながら十字架へ進まれたと聞いた時、私は思いました。

「自分には、到底できない」

自分を裏切った人のために。

自分を傷つけた人のために。

命を差し出す。

私には、とてもできないと思いました。

ただ、その時に一つだけ浮かんだことがありました。

「自分の子どもの命を救うためなら、もしかしたら命を差し出せるかもしれない」

私は二人の子どもの父親です。

もし子どもを救うために、自分の命を差し出す必要があるなら。

怖くても、苦しくても、その道を選ぶかもしれない。

そう考えた時、父なる神さまの愛を、以前より深く考えるようになりました。

神さまは、ご自分のひとり子を与えるほど、この世界を愛されました。

そしてイエスさまは、父のみこころへ従い、私たちが神さまの子どもとして迎えられる道を開いてくださいました。

これって、本当にすごいことだと思いませんか?

父を知らずに育った私が、天の父の愛を知るまでの証はこちらに書いています。

5話
「心のポッカリを満たした父の愛。|地上の父を知らず、天の父に出会った日」

5話の記事リンク】

心を見透かされた、初めての神体験


私がイエス・キリストの弟子として、本格的に歩み始めるきっかけとなった神体験があります。

当時の私は、本当はラップがしたいという思いを隠していました。

生活のため。

家族のため。

エンジニアとして裏方に徹する。

自分より上手な人はいくらでもいる。

さまざまな理由をつけ、自分の本当の願いを見ないようにしていました。

けれど、本当は苦しかったのです。

やりたいことをやっていない苦しさ。

与えられたGiftを、自分自身で封じ込めている苦しさ。

そんな誰にも話していなかった心を、神さまは明らかにされました。

まるで、

「本当は、ラップがしたいんでしょう?」

そう問いかけられているようでした。

私は泣きながら、

「ラップがしたいです!」

と告白しました。

誰にも話していなかった心を知っている方がいる。

自分自身さえ隠していた真実を、すでにご存じの方がいる。

その体験を通して、

「神さまは本当におられる」

と確信するようになりました。

私はそこから、イエス・キリストの弟子として本格的に歩み始めました。

詳しい証はこちらです。

6話
「お父さん、ラップがしたいです。|自分を証明するためではなく、福音を届けるために。」

6話の記事リンク】

十字架は、私の家庭にも届いた


十字架は、遠い昔の宗教の話ではありませんでした。

イエスさまの愛は、私の人生と家庭にも届きました。

壊れかけていた夫婦関係。

愛したいのに、うまく愛せなかった私。

傷つき、すれ違い、お互いを理解できなくなっていた家庭。

イエスさまは、その中へ光を届けてくださいました。

すべてが一瞬で完璧になったわけではありません。

何度も祈りました。

何度も自分の罪や弱さと向き合いました。

赦すこと。

謝ること。

相手を変えようとする前に、自分自身が神さまの前で変えられること。

その歩みを通して、夫婦も、親子も、少しずつ回復へ導かれました。

今では家族で祈り、賛美し、音楽を通してGood Newsを伝えています。

私と家族に起きた回復そのものが、イエス・キリストが今も生きて働いておられることを証ししています。

夫婦の証が、一つの賛美へ変えられた歩みはこちらです。

8話
「夫婦で奏でる、御国の音。|夫婦の証が、ひとつの賛美になった。」

8話の記事リンク】

御国とは、どのような王国なのか


イエスさまは、この世界へ来られた時、「神の国が近づいた」と語られました。

神の国。

御国。

それは、ただ死んだ後に行く場所というだけではありません。

神さまが王として治められるところです。

神さまのみこころが行われるところ。

正義と平和と喜びがあるところ。

人が人を踏みつけず、奪い合わず、互いを愛し合う世界です。

涙も。

死も。

悲しみも。

苦しみも。

やがて完全になくなると、聖書は約束しています。

ローマ人への手紙14章17節
マタイの福音書6章10節
ヨハネの黙示録21章1〜4節

私たちは今、その完成をまだすべて見ているわけではありません。

この世界には、争いがあります。

貧困があります。

病があります。

家庭の崩壊があります。

自分だけが多く持とうとする心もあります。

だからこそ私たちは祈ります。

「御国が来ますように」

「天で行われている神さまのみこころが、この地にも行われますように」

御国は、力で奪い取る国ではない


ここで大切なのは、人間の力によって地上に完璧な天国をつくろうとすることではありません。

イエス・キリストが王です。

私たちが自分の理想を人へ押しつけ、支配することが御国ではありません。

御国は、十字架の愛によって広がります。

自分だけが得をするのではなく、分け与えること。

弱い人を切り捨てるのではなく、支えること。

相手を倒して従わせるのではなく、仕えること。

罪を見ないふりにするのではなく、真実を語りながら、赦しと再出発の道をつくること。

イエスさまが十字架で示された生き方が、御国の生き方です。

私たちは御国の王ではありません。

救い主でもありません。

けれど、イエスさまから受け取った愛を、目の前の人へ届けることはできます。

御国を完成させるのは神さまです。

私たちは、その御国をこの地上に表す者として招かれています。

JTMの国づくりプロジェクト


私が神の家族としてつながっているJTM、Jesus Tribe Ministriesでは、「国づくりプロジェクト」という働きを進めています。

これは、権力や政治によって人を支配する国づくりではありません。

家庭や地域に、神さまの愛を土台とした憩いと回復の場所を育てていく歩みです。

家庭。

健康。

教育。

仕事。

食や農業。

音楽や芸術。

それぞれの領域に与えられたGiftを持つ人たちがつながり、目の前の人へ仕えていく。

傷ついた家庭が回復すること。

子どもたちが、自分の価値を知って育つこと。

孤独な人に居場所が与えられること。

病や痛みの中にいる人のために祈ること。

食べ物を分け合うこと。

音楽や言葉を通して、希望を届けること。

それらは御国そのものを人間が完成させることではありません。

けれど、やがて完成する御国を、今ここで少しだけ味わわせる「しるし」になると私は信じています。

JTMの家族に救い上げられ、私たち夫婦と家庭が変えられていった証はこちらです。

10話
「JTM、神の家族に救い上げられて。|夫婦が回復し、家族が変えられていった教会の歩み。」

10話の記事リンク】

JTMについて詳しく知りたい方はこちら。

JTM Instagram

Jesus Tribe Ministries 公式ホームページ

十字架を背負って歩むとは


イエスさまは弟子たちに、自分の十字架を負って従うように語られました。

これは、自分を傷つけることでも、苦しむほど立派だと考えることでもありません。

自分だけを人生の王とする生き方を手放し、イエス・キリストを王として生きることです。

自分の正しさだけを押し通すのではなく、赦すこと。

奪うのではなく、与えること。

憎しみを返すのではなく、愛を選ぶこと。

自分のGiftを、自分を大きく見せるためだけではなく、人を生かすために用いること。

それは簡単ではありません。

イエスさまも、苦しみを知らなかったわけではありません。

苦しみの中で父なる神さまへ祈り、従われました。

だから私たちも、痛みや迷いを隠さず、神さまの前へ持っていくことができます。

王の十字架が、世界を変える


人間は長い歴史の中で、力によって平和をつくろうとしてきました。

多く持てば幸せになれる。

強い者が治めれば秩序が生まれる。

敵を倒せば平和になる。

けれど、争いはなくなりませんでした。

本当に世界を変えるのは、さらに強い暴力ではありません。

十字架で示された愛です。

自分を守るために人を犠牲にするのではなく、人を生かすために自分を差し出す愛。

憎しみに憎しみを返すのではなく、赦しへの道を開く愛。

失われた者を見捨てず、捜し、抱きしめ、家族として迎える愛。

イエス・キリストは、そんな御国の王です。

そして、その王は今も生きておられます。

私と家族の回復が、そのことを証ししています。

皆さんにも、十字架について考えてほしい


私は、誰かに無理やり信じさせたいわけではありません。

ただ、一度考えてほしいのです。

なぜイエス・キリストは、苦しみを知りながら十字架へ進まれたのか。

なぜ神さまは、ご自分のひとり子をこの世界へ送られたのか。

なぜ十字架で死に、三日目によみがえる必要があったのか。

そして、なぜ約2000年たった今も、世界中の人々がイエス・キリストによって人生を変えられているのか。

私も、その一人です。

Buddhaの弟子として答えを探していた私が、イエス・キリストに出会いました。

誰にも話していなかった心を明らかにされました。

夫婦と家庭が回復へ導かれました。

人生の痛みが、誰かへ希望を届ける証へ変えられました。

十字架は、遠い昔の話ではありません。

今を生きる私たちへの、神さまからの愛のメッセージです。

あなたも愛されています。

あなたの罪も。

痛みも。

過去も。

心の奥に隠してきた願いも。

すべてをご存じのうえで、イエスさまはあなたのためにも十字架へ進まれました。

そして今、御国へ招いておられます。

奪い合うのではなく、分け合う世界へ。

傷つけ合うのではなく、愛し合う家族へ。

偽りに縛られるのではなく、真理によって自由になる人生へ。

王であるイエス・キリストと共に歩む、新しい命へ。

Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。

痛みは証に。

光は闇に勝つ。

スーパーヒーローはYOU。

Blessings to you.




[主な聖書箇所]

マタイの福音書26章36〜46節
ルカの福音書22章20節、39〜46節
ヨハネの福音書3章16節
ヨハネの福音書14章6節
ローマ人への手紙14章17節
ピリピ人への手紙2章6〜11節
ヘブル人への手紙5章7〜9節
ヨハネの黙示録21章1〜4節

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