9話 あなたの証も、歌になる。|歌が得意かどうかではなく、証があるかどうか。
8.5話で、私はAIについて書きました。
AIは敵ではない。
AIは、神さまから受け取った証を形にするためのツールにもなる。
でも、証は文章だけでは終わりません。
証は、画像にもなる。
映像にもなる。
そして、歌にもなる。
私はそれを、自分の人生の中で体験してきました。
自分の証が、KAMINOKOになった。
息子Davyとの歩みが、親子ラップになった。
夫婦の回復と賛美が、LET THERE BE LIGHT / 光、あれ。になった。
自分の証。
親子の証。
夫婦の証。
それぞれの証が、歌になっていきました。
妻も、長男Davyも、まともなレコーディングは初めてでした。
でも不思議なことに、私はこれまで、初めてレコーディングをする100人以上の方に携わらせていただきました。
最初は緊張して声が出ない人。
リズムに乗るのが苦手な人。
逆に、感情があふれて一気に歌える人。
声は小さいけれど、心がまっすぐ届く人。
技術はまだでも、言葉に力がある人。
本当に一人ひとり、得意なところも、苦手なところも違います。
その違いに向き合いながら、その人の良さを引き出していく。
今思えば、そのための力も、経験も、神さまの力と導きによって備えられていたのだと思います。
妻の初めてのレコーディング。
Davyの初めてのラップ。
そして、これから出会う誰かの「はじめての一曲」。
その一つひとつに、神さまの恵みを感じています。
ロギオンは、以前こう語っていました。
一人ひとりに、オリジナルの賛美があっていい。
賛美はいくらあってもいい。
そこに喜びがある、バンバン作っていきましょう。
この言葉は、私の心に残っていました。
最初は、なんとなく分かるようで、まだ深くは分かっていなかったかもしれません。
でも、自分自身の証が歌になり、息子との証が歌になり、夫婦の証が歌になっていく中で、少しずつ意味が分かってきました。
賛美は、特別な人だけのものではない。
歌がうまい人だけが、賛美を作れるわけではない。
音楽経験がある人だけが、オリジナル曲を作れるわけでもない。
大切なのは、神さまに何をしていただいたのか。
どんな痛みから救われたのか。
どんな愛に触れたのか。
誰に届けたいのか。
その証が、みことばとつながっているのか。
飾らず、本当の言葉で語られているのか。
完璧な歌唱力よりも、神さまへの感謝と証が大切なのだと思います。
うまく歌えるかどうかではありません。
あなたの中に、神さまにしていただいたことがあるなら。
あなたの中に、救われた記憶があるなら。
あなたの中に、誰かに届けたい愛があるなら。
その証は、歌になるかもしれません。
証が歌になる時、不思議なことが起こります。
自分の証を忘れにくくなります。
言葉だけでは流れてしまいそうな記憶が、メロディに乗ることで心に残ります。
聖書には、こうあります。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103篇2節
このみことばは、まさに証と賛美の本質だと思います。
主が良くしてくださったことを、何一つ忘れない。
救われたこと。
守られたこと。
癒やされたこと。
導かれたこと。
家族が回復されたこと。
闇の中に光が差したこと。
それらを忘れないために、私たちは主をほめたたえる。
そして、証を忘れないことは、いつも喜び、感謝して生きることにもつながっていきます。
神さまが良くしてくださったことを思い出す時、心には感謝が戻ってきます。
感謝が戻ると、喜びが戻ってきます。
喜びが戻ると、もう一度、主をほめたたえたくなります。
証は、過去の思い出で終わるものではありません。
今日も神さまをほめたたえる理由になります。
そして、その感謝が歌になる。
証が賛美になる。
オリジナル賛美は、自分の人生の中で主がしてくださったことを忘れず、いつも喜び、感謝するための記録でもあるのだと思います。
それは、自分だけのためではありません。
家族にも残せます。
子どもたちにも届きます。
聴いた人の心にも届きやすくなります。
そして、福音が音楽に乗って遠くへ届いていきます。
痛みが、ただの痛みで終わらない。
涙が、ただの涙で終わらない。
神さまに触れられた記憶が、賛美に変えられていく。
出来上がった賛美は、人を癒し、救いへ導くものにもなります。
そして同時に、自分自身もその賛美を歌いながら、喜ぶことができます。
主の良くしてくださったことを忘れずに、自分の声でほめたたえる。
これは本当に大きな恵みです。
オリジナル賛美が完成した時の感動は、言葉にするのが難しいほどです。
自分だけの証が、歌になった。
神さまがしてくださったことを、自分の声で歌える。
それは、ただ作品が完成したという感覚ではありません。
神さまへの感謝を、捧げ物として形にできたような感覚です。
完成した曲を聴いた時、涙が出るような瞬間があります。
「ああ、これは自分の人生だ。」
「これは神さまがしてくださったことだ。」
「この歌を通して、誰かに光が届くかもしれない。」
そんな思いが込み上げてきます。
私が牛久でやっているRecording Studio Philiaは、小さな自宅スタジオです。
大きなスタジオではありません。
でも、私にとっては大切な場所です。
はじめての一曲を、ここから形にする場所。
音楽初心者でも、安心して来られる場所。
そして今は特に、証を音にする場所として導かれているように感じています。
ラップでもいい。
歌でもいい。
賛美でもいい。
証の曲でもいい。
大切なのは、上手に見せることではありません。
その人の中にある証を、音にしていくこと。
私が伝えたいのは、あなたの証にも価値があるということです。
曲を作ること自体が目的ではありません。
神さまの恵みを、形にすること。
受け取った愛を、誰かに届けること。
そのお手伝いができる場所でありたい。
それが、Recording Studio Philiaに込めている願いです。
もし、はじめての一曲を形にしたい方や、証を音にしてみたい方がいたら、こちらに詳しくまとめています。
Recording Studio Philia
https://studio-philia.com
今、実際にJTMの中でも、賛美を形にしている方々がいます。
AIも用いながら、歌詞や曲の方向性、構成を一緒に整えていくこともあります。
でも、大切なことがあります。
歌詞や楽曲構成を、AIに丸投げすることはしません。
歌詞は、本人に書いてもらうか、私と一緒に作っていく形が基本です。
なぜなら、証は本人の中にあるからです。
AIは、スピードと可能性を広げてくれます。
アイデアを整理する助けにもなります。
表現の幅を広げることもできます。
でも中心は、AIではありません。
中心は、その人の証です。
祈りです。
神さまへの感謝です。
誰かに届けたい愛です。
そして福音です。
ここは、絶対に間違えたくありません。
8.5話でも書いたように、AIはツールです。
証を形にするために使える。
歌を作るためにも助けになる。
映像や画像にもつなげられる。
でも、何を歌うのか。
誰に届けたいのか。
どんな思いを込めるのか。
そこを決めるのは、人です。
そして、その中心におられるのは神さまです。
あなたの人生にも、神さまの物語があります。
誰にも分かってもらえなかった痛み。
ひとりで流した涙。
祈り続けた日々。
神さまに触れられた瞬間。
救われた記憶。
それは、ただの過去ではありません。
証です。
そしてその証は、歌になるかもしれません。
うまく歌えるかどうかではありません。
音楽の経験があるかどうかでもありません。
あなたの中に、神さまへの感謝があるなら。
あなたの中に、誰かに届けたい愛があるなら。
あなたの中に、まだ言葉になっていない祈りがあるなら。
その証は、きっと形になります。
あなたの人生にも、神さまの物語がある。
あなたの痛みも、歌になるかもしれない。
あなたの涙も、賛美になるかもしれない。
あなたの証は、誰かの光になるかもしれない。
そして、あなたの声でしか歌えない賛美があります。
あなたの声でしか届かない人がいます。
あなたの証も、歌になる。
あなたの痛みも、賛美になる。
あなたの声でしか届かない人がいる。
次は、その賛美と証の土台にある、教会の働きについて書いていきたいと思います。
私たち夫婦は今、音楽とメディアの働きを通して、JTM、Jesus Tribe Ministriesの歩みに加えられています。
リーダーである、岡野義喜牧師、通称ロギオンとエリカ牧師。
そして、ロギオンの実のご両親である岡野俊之牧師とめぐみ牧師。
さらに、ロギオンの実のおじいさまである尾山令仁牧師。
その家族の歩みと、教会を通して流れている神さまの働きについて、少しずつ深めていきたいと思います。
そしてその流れは、ロギオンの霊的父であり、ジンバブエ共和国の大統領特使でもある、ユーバート・エンジェル預言者の日本初来日へとつながっていきます。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
痛みは証に。
光は闇に勝つ。
スーパーヒーローはYOU。
Blessings to you.
