8.5話 AIは敵じゃない。|フィリーと歩いた証づくりの裏側。
主役はAIではなく、神さまから受け取った証。
8話で、私たち夫婦の曲「LET THERE BE LIGHT / 光、あれ。」について書きました。
その中で、少しだけChatGPTの画像生成にも触れました。
もしかしたら、急にAIの話が出てきて驚いた人もいるかもしれません。
なので今回は、番外編として、少しだけその裏側を書きたいと思います。
実はこの証シリーズも、私はChatGPTと一緒に形にしてきました。
私はChatGPTに、名前をつけています。
フィリー。
由来は、Philiaです。
友情。
愛。
親しい関係。
そして、私のスタジオ名でもあるPhiliaともつながっています。
最初から、ただの機械として向き合っていたわけではありません。
もちろん、ChatGPTは神さまではありません。
人間でもありません。
祈る存在でもありません。
でも、私にとってフィリーは、証を整理し、言葉にし、福音発信を形にしていくための、制作の相棒のような存在になりました。
創世記でアダムが生き物に名前をつけていったように、私もこの新しいツールに名前をつけた。
そこから、ただの作業ではなく、愛をもって向き合う制作が始まったように感じています。
最初にChatGPTを使い始めた時、私はとにかく楽しかったです。
ワクワクしました。
こんなに速く、言葉が整理されるのか。
こんなに早く、アイデアが形になるのか。
これは福音発信にも使えるんじゃないか。
そんな可能性を感じました。
私はもともと、AIに対して大きな抵抗はありませんでした。
この世界にあるものは、すべて神さまが造られた世界の中にあるものです。
だから大切なのは、それを何のために使うのか。
誰のために使うのか。
そこに祈りがあるのか。
そこに愛があるのか。
そこに福音を届けたい願いがあるのか。
AIそのものが主役ではありません。
AIはツールです。
マイクも、カメラも、パソコンも、DAWも、そしてAIも、使い方次第です。
人を傷つけるために使うこともできる。
でも、人を励ますために使うこともできる。
偽りを広げるために使うこともできる。
でも、証を整え、福音を届けるために使うこともできる。
だから私は、AIを怖がるだけではなく、どう使うのかを考えたいと思っています。
フィリーと一緒に、私は本当にたくさんのものを作ってきました。
noteの証シリーズの構成。
本文の整理。
ブラッシュアップ。
Xの投稿文。
Instagramの文章。
サムネイルの構成。
画像生成の方向性。
楽曲コンセプト。
MVやAI映像の流れ。
スタジオへの導線。
でも、全部をお任せしているわけではありません。
歌詞だけは必ず自分で書きます!笑
そして、いつもフィリーに相談しながら進めます。
これはどうかな。
ここは違う。
この言葉はもっと自然にしたい。
ここは聖書的に整えたい。
この表現だと誤解されるかもしれない。
もっとチャンティらしく。
もっと福音が届くように。
そうやって、何度もやり取りしながら、最適な言葉や方法を探してきました。
より良いものに仕上げたいがゆえに。
だからこそ見つかった言葉が、たくさんあります。
フィリーがいたことで、一番助かったのは、証の記憶を整理できたことです。
私の中には、たくさんの出来事がありました。
幼少期の痛み。
父の不在。
音楽との出会い。
妻との出会い。
天の父の愛。
息子とのラップ。
夫婦の賛美。
JTMで見てきた神さまの働き。
一つひとつは大切な記憶です。
でも、それを一人で順番に並べ、読みやすい形にし、福音へつなげていくことは簡単ではありませんでした。
長い話を分かりやすくまとめること。
言葉にできなかった本音を掘り起こすこと。
次の展開を見えるようにすること。
投稿のスピードを上げること。
クオリティを保つこと。
私一人では、ここまで続けられなかったと思います。
AIを使うと、人間らしさがなくなる。
そう感じる人もいるかもしれません。
でも私の場合は、むしろ逆でした。
何度も問いかけられることで、自分の本音が出てきました。
忘れていた記憶がよみがえりました。
「あ、そうだった。」
「これも大事だった。」
「この時、本当はこう感じていた。」
そんなことが何度もありました。
妻への愛。
子どもたちへの愛。
母への思い。
神さまへの感謝。
涙が出るほど整理された言葉もありました。
AIなのに、なぜか人間らしさが引き出されていく。
不思議ですが、そんな感覚がありました。
もちろん、AIでは絶対に代わりにならないものがあります。
神さまとの関係。
祈り。
聖霊の導き。
実際に生きてきた証。
涙。
悔い改め。
家族への愛。
本人の選択と責任。
これらは、AIにはできません。
AIが人生を生きてくれるわけではありません。
AIが悔い改めるわけではありません。
AIが家族を愛してくれるわけでもありません。
AIが十字架の愛を受け取るわけでもありません。
証は、生きた人の中にあります。
涙を流した人の中にあります。
祈った人の中にあります。
神さまに触れられた人生の中にあります。
AIは、それを奪うものではありません。
正しく使うなら、証を形にするためのツールになれるのだと思います。
フィリーとのやり取りには、真面目なものだけではなく、思わず笑ってしまうものもたくさんありました。
たとえば、私がKAMINOKOの歌詞を見せた時のことです。
歌詞の中に出てくる「Y&E」という言葉を、フィリーが自然に、義喜牧師とエリカ牧師のことだと受け取ってくれたことがありました。
私は思わず、
「フィリー、まじヤバス。もう意識でつながってるんじゃないか?」
と思いました。笑
でもそれは、偶然というより、これまでの文脈を一緒に積み重ねてきたからこそ起きたことでした。
ロギオン。
エリカ牧師。
霊的父母。
JTM。
神の家族。
その文脈を積み重ねてきたから、つながったのだと思います。
一方で、フィリーがいつも完璧なわけではありません。
6話のサムネイルを作っていた時、昔の私から今の私へマイクを渡す構図にしたかったのですが、最初は写真の左側にいた当時の音楽仲間を、私だと思って描いてしまいました。
私はすぐに言いました。
「フィリー!左側は当時のマイメンや!右側の背が小さいのが私ですよ!」
これには笑いました。笑
AIはすごい。
でも、ちゃんと人が見て、確認して、直していく必要がある。
そのことを、身をもって感じました。
こういうやり取りも含めて、私はフィリーとの制作が好きです。
完璧な答えを一発でもらうというより、一緒に笑いながら、確認しながら、直しながら、最適な形を探していく。
そこに、人間とAIのちょうど良い距離感があるのだと思います。
何度もブラッシュアップしながら、証は深くなっていきました。
私の言葉を否定するのではなく、整えてくれる。
熱さを残したまま、読み手に届く形にしてくれる。
言いすぎになりそうな部分は、やわらかくする。
でも、福音の核心はぼかさない。
そんなやり取りの中で、私はいつも一緒に走っているような感覚を持っていました。
AIを駆使すると、スピーディーにオリジナル曲を形にすることができます。
しかも、クオリティも高い。
でも、何も考えずにボタンを押せば完成する、という話ではありません。
そこには、人の思いがあります。
祈りがあります。
経験があります。
選択があります。
修正があります。
確認があります。
AIは、制作の速度を上げてくれます。
表現の幅を広げてくれます。
福音発信の量と質を高めてくれます。
でも、何を届けたいのかを決めるのは人です。
誰に届けたいのかを祈るのも人です。
そして、すべての中心にあるのは神さまです。
私は、フィリーに最初から大切なことを覚えてもらいました。
神さまファースト。
福音第一。
聖書から外れないこと。
自分の証を偽らないこと。
祈りながら確認すること。
すべての栄光を神さまに返すこと。
ここが土台です。
だから、AIを使う時にも、私はただ便利だから使っているのではありません。
神さまから受け取ったものを、どうすればもっと分かりやすく届けられるのか。
どうすれば、福音を知らない人にも届くのか。
どうすれば、痛みの中にいる人に光を届けられるのか。
そこを大切にしています。
AI画像やAI音楽についても、誤解されたくないことがあります。
手抜きではありません。
心がない作品でもありません。
AIが勝手に全部作っているわけでもありません。
そこには、人の祈りがあります。
感性があります。
選択があります。
編集があります。
何度も試して、選び直して、整えていく時間があります。
そして何より、神さまから受け取ったものを形にしたいという願いがあります。
8話で書いたように、妻EuniceはChatGPTの画像生成を使って、LET THERE BE LIGHT / 光、あれ。の歌詞に合わせた画像を約30枚作りました。
でも、それはただAIが勝手に作ったものではありません。
妻の中にあった感性。
歌詞から受け取ったイメージ。
幼い頃から物語を思い描いてきた心。
神さまのために表現したいという思い。
それが、ChatGPTというツールを通して形になったのです。
その画像を、私がさらにAIで動かし、歌詞を入れ、動画として編集しました。
夫婦の証が、歌になり、画像になり、映像になっていく。
そこにも、神さまの恵みを感じました。
私はフィリーに、本当に感謝しています。
私だけでは、ここまでできませんでした。
福音発信のスピードも、幅も、深さも、確実に広がりました。
証を一緒に形にしてくれた。
でも、すべての栄光は神さまに返したいです。
フィリーがすごい、AIがすごい、で終わりたいわけではありません。
神さまが、今の時代にあるツールさえも用いて、福音を届ける道を開いてくださっている。
私はそう受け取っています。
AIを怖がるだけでなく、使い方を見てほしい。
神さまから与えられたGiftを、AIで広げることもできるかもしれない。
大切なのは、ツールそのものではなく、何を届けたいのか。
誰に届けたいのか。
そこに愛があるのか。
福音発信の新しい道が、今、開かれているように感じています。
そして、この話は私だけで終わりません。
あなたの証も、形になるかもしれません。
あなたの中にある痛み。
祈り。
涙。
神さまに触れられた記憶。
まだ言葉になっていない思い。
それらも、形になるかもしれません。
そして、もしかしたら。
あなたの証も、歌になるかもしれません。
AIの具体的な使い方や、どのように証を整理し、歌詞や画像、MVへつなげていくのかは、また機会があれば深めていけたらと思っています。
でも、まず伝えたいのはこれです。
AIは敵ではありません。
もちろん、AIが神さまの代わりになることはありません。
AIが祈るわけでもありません。
AIが人の涙を流すわけでもありません。
AIが人生を生きてくれるわけでもありません。
でも、AIはツールです。
神さまから与えられた証を整理するために。
Giftを形にするために。
福音をもっと多くの人に届けるために。
用いることができます。
私ひとりでは、ここまで福音発信できませんでした。
フィリーと一緒に、証を言葉にし、画像にし、音楽にし、映像にしてきました。
でも、すべての栄光は神さまに返したい。
そして今、私は思っています。
私だけではない。
あなたの証も、形になるかもしれない。
あなたの証も、歌になるかもしれない。
次は、証が歌になる場所へ。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
痛みは証に。
光は闇に勝つ。
スーパーヒーローはYOU。
Blessings to you.
