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✏️ADHDのみんな、仲間はここにもいるからね。筋金入りの仲間が。


私が自分のことをADHDだと知ったのは
二人目の子を産んだ直後だった。
ADHDの私には
家事というものの複雑さが手に負えず、
そこへもってきて
二人の幼い子どもが登場したことで
日々の生活どころか
自分の人生そのものが
破綻をきたしていたのだ。


〈普通の人が普通にできることが
自分は何度トライしてもできない〉。
小さい頃からそうだった。
勉強はできる、
でも普通の日常生活ができない。


片付けはできない、物はよく失くす、
スケジュールは管理できず、
主婦としても母親としても、
もう致命的なことだらけだ。


子どもの健診や予防接種ひとつとっても
その予定を
カレンダーに書いておくことすら奇跡。
そのカレンダーの日付を
ちゃんと確認できることも奇跡
(私は、カレンダーの数字を見ても
「今日だ」「明日だ」という感覚に
結びつかない)。
ちゃんと予定を確認できても、
今度は母子手帳や保険証が見当たらない。


そんなふうに常に落ち着かず
気持ちが焦っているから、


夕食を作っていても ふと
「あれっていつだったっけ?」と
その場を離れる。
「そうだ、今度こそは
カレンダーに書いておこう」と
カレンダーに記入するために
ボールペンを取りに行くと、
たたまなきゃいけない洗濯物が目について
「あっ、そうだ。洗濯しておかなきゃ」

洗面所に行って、洗濯を始めたりする。
我に返ったときには キッチンではもう
フライパンが黒焦げになって
部屋は煙だらけ。
そこで大騒動しているうちに
確認しておこうとしていた
スケジュールなんてどこかへ飛んで、
予定の日を何日も過ぎたあとで
「あれ?!すっかり忘れてたけど
どうしたんだっけ?!」
となる。


せめて片付けだけでも
できるようになりたい、と
本当に死に物狂いで
いろんなことを試してみた。
でも何をやっても失敗する。
自分にも何か
合う方法があるんじゃないか、と
めげて落ち込んで
どうにか立ち直るたび
そういうものを一生懸命探して
トライした。
そういう中で、たまたま
ADHDという言葉を知ったのだ。


自分のことが書いてある、と
びっくりした。


どこに行ったら
そういう自分への
対処方法を教えてくれるんだろう、と
その当時出ていた
ADHDについてのわずかな種類の本を
あれもこれも必死になって読んで、
病院を探した。
でもその当時は、
成人のADHDを診てくれるような病院は
ほとんど存在しておらず
唯一、
子どもの発達障害を専門に診ているという
名古屋の先生の情報を知って
無理やり頼み込んで、診てもらった。


「ADHDで間違いないと思うね」
と先生に告げられたとき、
私はその場で号泣した。
私がおかしいんじゃなかった。
私だけがおかしいんじゃなかった。
単なるADHDという
障害を持っていただけだった。
私が悪かったわけじゃなかった。
先生の前で、
声をあげて長い時間号泣した。
その年配の先生は、
私が泣くのを止めたりはせず
「自分が何者であるかが分かると、
安心するね」と
優しく声をかけてくれた。


私はようやく、
「私は人間の中の、
ある一つの種類に属している」
「ちゃんと私という人間を
説明できるものがある」と、
自分という存在に 
納得がいく理由を見つけたのだ。
この当時はまだ、
周りの誰も知らない障害だったけれど
どんなに希少な少数派であっても
自分がちゃんと
説明のつく存在であるということは
私にとって とても重要な事だった。


そしてその数年後には、
我が子二人が
それぞれADHDであるという診断を受けた。
ADHDの親子がいる生活というのは
それはそれは大変な毎日だった。
でも、私は
彼らを育てていく中で
驚くべき発見をした。
「確かに少数派であるけれど
ADHDの彼らは 
直感と本能に従って
人としてど真ん中のところを
生きている」。


ADHDの仲間たちにも伝えたい。
もしかして 今 
苦しんでいることがあるとしたら、


それは本当は
ど真ん中を思いきり生きていきたい
あなたの本質に
周りや 
周りからたたき込まれてしまった自分が
いろんな知恵や言い訳や
見栄を覆いかぶせてしまって
それが苦しくて 
もがいているからかもしれない。


我が家の二人の子どもたちと一緒に
ADHDというものの
本来の姿を見つけ出す旅に出よう。
人としての本質を見つけ出す
旅に出よう。
普通のことが普通にできない
我々ADHDだけれど、
〈普通の人がうっかり避けてしまう
ど真ん中の道を
堂々と進んでいく勇気がある〉
ADHDという種族が
この社会にとって
いかに必要で重要な存在であるか、
この本を読めば
それがきっと 
あなたにもわかっていただけるはずだ。


〈「3人のADHD」前書きより〉


この本は、なみえを含めた
我が家の3人のADHDについて書いた
2020年出版の本です。

「3人のADHD 〜奇跡を起こす少年と不登校の癒しの少女&モンスターペアレントの物語〜」


なみえがADHDの診断を受けたのは
今から20年前だった。

このまえがきにある病院では
たぶん
大人の患者はわたしだけだったと思う。
(発達障害の子どものための病院だったけど
当時は発達障害なんて言葉も知られてなくて
なみえ以外の患者さんは
自閉症のお子さんたちだけだった気がする)

当時はまだ
精神科や心療内科の先生たちのほとんどが
「ADHD」なんて言葉すら知らなくて

診断を受けて数年後に
家の近くの病院を探してみようと思ったけど
(このまえがきにある 主治医の先生が
紹介状も書いてくれた)、

「それは…
自分が頑張ればいいだけじゃないの?」

他の病院では鼻で笑われて、

泣きながら車を運転して帰宅し、
そのまま一晩中泣いていたこともある。

(ただし、これには後日談があって

なみえはそれまで全然知らなかったけど、
このまえがきにある
本当に優しかった最初のわたしの主治医は

実は 精神科界隈では
そうとう有名な先生だったらしくて

なみえを鼻で笑って追い返した医師がいる
病院の院長から、
後日 平謝りの電話がかかってきた という
オチがある…。

そのとき、その院長が
「○○先生(なみえの主治医)にも
謝罪したいので
○○先生にもお詫びの電話をさせてもらって
よろしいでしょうか?」
と言ったけど

かえって主治医の先生に
無駄な面倒をかけてしまうだけだから、
もちろんわたしは断った)



あれから20年。

まだまだ社会は
ADHDに追いついてない!と
なみえはそんなふうに感じているけど

ADHDのみんな、がんばろう。
きっといつか、
社会が追いついてくる日が来る。

がんばろう、みんな。
仲間がちゃんといるからね。
ここにも。




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