超短編【恋愛小説】 1188
その人の消息を私は知らない。
あの頃と同じ家に住んで、同じ会社に勤めているかもしれないし、そうでないかもしれない。元気にしているなら、相変わらず馬鹿みたいに仕事をしているのだろう。
その人を好きだった人のことを、私は知らない。噂なら聞いたことがある。本を書く人らしい。好きな人のことを好きと言える強さを、眩しく感じていた。
買い物帰りに立ち寄った図書館の、本日返却された本の書架から知らない名前の女性が書いた本を借りた。薄さが程よくて表紙がとてもきれいだったから。ジャンルも内容も何でもよかった。
そう若くはない女性が語る恋愛小説だった。大人の恋愛にしては気恥ずかしくなるような初々しさに、私はかつての恋を重ね、胸の高鳴りを覚えた。
読み進むうちに既視感が湧いてきた。その言葉をかける男性を私は知っている。そういう接し方をする男性を私は知っている。
作中のふたりは逢瀬を重ね、お互いの距離を縮めていく。続きを読まなくても私には判る。男性は次の章で自分語りを始めるのでしょう?その次の章でふたりは、泣きながら抱き合って髪を撫でるのでしょう?
私の切なさは、その人の手順の中に組み込まれていたのか。相手が他の誰であっても、優しさを感じるように、愛情が湧くように、同じような手順で接することができる人だったのか。湧き上がる感情を恋だと思ったのは、私だけだったのか。
知らずに想い出を慈しんでいた私は、何とおめでたいのだろう。笑いが込み上げてくる。
愛されていなかったのかもしれない。だからといって粗末に扱われたのでもなかった。少なくとも彼女と同じ手順で慈しまれていたのだ。そのときは。
それが判って良かったじゃないの。もう想わなくていい。忘れていい。私が「終わり」と思えば、それでいい。これ以上知る必要はない。
失望も怒りも蔑みも感じない。嫉妬も羨望も感じない。
それなのに続きを読みたいと思ってしまうのだ。私は。
(秋実れれ子)
2025.5.6
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