夜と枯れる華 4話
踊り子のヤライ
メリアは王都で一番の踊り子であった。王都では芸術座と呼ばれる組合があり、小さな頃から子ども達に特定の芸術分野に関する指導を行っていた。指導料などは取らず、才気ある子ども達を見つけては育て上げ、王侯貴族の夜会や巡業で売り込むことで稼いでいたのだ。
メリアの両親も、他の家庭と同じように、メリアが小さい頃から様々な芸術座での指導を体験させた。メリアはその中でも特に舞踊の才が秀でていて、10才の頃にはすでに王妃の主催する夜会で踊りを披露する程だった。
小さな頃からその美貌と己の才だけで生計を立てることに成功していたメリアは、同じ10代の子どもが経験するであろうことをほとんど経験することもないまま踊りに打ち込んでいたので、恋人はおろか、友と呼べるものすらおらず、同じ座のメンバーとも上手く関われずにいた。
18になる頃には王都で知らぬものがいないほど有名な踊り子となり、貴族の夜会には必ず招待され、巡業にいけば彼女の踊りをみるために王都の外からも多くの人々が集まってきた。
王都から東に山をいくつか越えたところから行商人として時々王都に来ていた青年カタバも例外なく、彼女の踊りに魅了され、王都を訪れる度に彼女の公演に通っていた。しかし、辺境の村の出身であったカタバは、王都で彼女が得ている名声などを知るはずもなく、一人の美しい踊り子として彼女に魅了され、分不相応にも村で手に入れた刺繍入りの布や村で作られる綺麗な櫛など彼女に贈り物をした。
村の出身でゴツゴツとした石のような顔で、学問もろくに出来ない青年の贈り物など、見向きもされず捨てられるのが王都では普通のことであった。
ましてや豪華な装飾の入った髪飾りや、一着で金貨何千枚にもなる衣装、果てには王都の中央からほど遠くないところにある土地まで贈られていたメリアにとってそれらの粗末な贈り物など、受け取ったことにすら気づけないはずだった。
これまた世を知らぬメリアにとって、どれほどお金のかかった品物よりも、素朴なカタバの贈り物の方が暖かく見えた。たくさんの贈り物が寄せられた楽屋から石や布などをこっそり持って帰っては自室に飾るようになり、月に一度程度そう贈り物をくれる人のことをいつからか知りたいと思うようになっていった。
そうして、どのようにしてメリアとカタバが出会い、どのようなやり取りを交わしていったのか、それは誰も知らないところであるが、結論からいう二人は互いが22の時に見事結ばれ、カタバの村で暮らすこととなる。王都であわよくば彼女のことを娶らんと考えていた人々が、その突然のことに黒黄金虫を飲み込んだような顔をしたかは想像に難くない。
二人の間には男の子が生まれ、笑顔の絶えない家庭を築き上げた。一人息子も器量良く育ち、村の人間との関係も良好で何一つ不自由ない暮らしを送った。
しかし、息子が10になるころ、カタバは行商で王都に向かう途中で北の伯爵領に向かう途中で山賊に襲われ命を落としてしまう。
メリアと息子は半年以上の間カタバの帰りを待ち続け、村の人々は二人のことを励まし続け、生活の面でも支え続けた。
村の人々の支えもあってか、始めは待てど待てどカタバが帰ってる様子のないことに、心を病んでいたメリアも、息子と村での生活のためにと、段々と元気を取り戻していった。
いつやらカタバを失った心の穴も塞がっていき、村の人間から見てもメリアは立ち直っているように見えた。息子も健やかに育ち、村の仕事を丁寧にこなすようになった。
それは突然ことであった。夜、村中の人々が家の戸を閉めて寝静まったあと、メリアの息子もか細い寝息を立てているのをメリアは家を飛び出した。メリアの心の中で自他共に閉じていたと思われていた心の洞が突然開き、とめどない衝動に動かされ夜の森へ駆け出した。森を抜け、誰もいない夜の平野で彼女は三日月とともに疲れ果てて身体が動かなくなるまで踊った。
村にカタバと越してきてからというもの一度も踊っていなかったが、身体が全ての所作を覚えていた。楽団もおらず、観客もいない、音の無い平野で、生まれてから一度も味わってことの無い高揚感を味わった。
それからというものメリアは時折夜に村を抜け出して、一人踊り続けた。回数を重ねる度にメリアは村に帰る道を進むことが億劫になった。息子の顔を思い出しては自分を奮い立たせ、村に帰った。村の人々は夫を亡くしたメリアに優しくて、特に義父母はなにかとメリアとその息子を気遣ってくれた。だけどメリアは誰かに優しくされる度、村を抜け出して踊りたい衝動に駆られるのだった。
そして何十回と踊ったある日、メリアはとうとう家に帰ることが出来なくなった。息子の顔を思い出して、帰りたい、帰らなければと何度も思うのだが、足が一向に動いてくれない。そしてメリアは朝になっても村に帰ることが出来ず、木の洞で足を抱えて眠った。そして夜が来る度に踊った。
村では息子がメリアの帰りを待っているかもしれない。優しい村人が探して回ってくれているかもしれない。そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、それでもメリアは村に帰ることが出来なかった。
そして罪悪感に蝕まれるように、踊る度にメリアは森に落ちているとゴツゴツとした小さな石を一つ飲み込んだ。喉は裂けて血が痰と絡まって息がしづらくなった。息をするたびに空気が傷口に触れて滲みた。それでもメリアの心はその愚かな行為でいくらか楽になった。カタバと息子と暮らしていたときのように心がすっと落ち着いて、それ以上自分を傷つけなくて済んだ。
そしてメリアは毎晩のように石を飲んだ。朝眠る前にいつも息子の名前を呼んでは悲しくなっていたが、もう声を発することすら出来なくなった。そしてついにはものを食べることも水を飲むことも出来なくなった。
今晩が自分が動くことの出来る最後の夜だと悟ったメリアは南の平原を抜けて眼下に広い森が見える。崖の前で最後に踊った。腕は上がらず、ステップを踏むことすら出来ず、ただ手足を飢えにあえぐように動かした。
一頻り踊り終わると崖から最後の力を振りしぼって飛び降りた。カタバがもしかしたらどこかで生きているかもしれないと思うことでメリアはわずかな希望を胸に村で生きることが出来た。愚かな母親にとって、最後に息子にしてあげられることは自分が死んだという証拠を残さないことであるとメリアは思ったのだ。
月に見守られながら、森へと落ちていく彼女の踊りは、きっと彼女の人生の中で最も美しいものだっただろう。
「以上、まだ完成していなくて誰にも話したことの無い新作のお話でした。もしよかったら感想をいただけると嬉しいな」
ヒビスさんは語っているときは打って変わって明るい表情で話を締めた。
出来うることなら感想を伝えてあげたい思いはあったが、私の頭の中は別のことでいっぱいになっていた。このお話はもちろん、ヒビスさんが聞いたことを元に話を作り挙げたものなので、事実と異なる部分は多く含まれているだろう。けれどもこの話は私の知っている人間のお話だ。
「私そのメリアって人のこと知ってるよ」
私はマツリが言うことが信じられなくて動けなくなってしまった。
「王都でよくお世話になってた人だ。名前も違うし、結婚した後のことまでは知らなかったけど、王都で一番の踊り手といったらあの人しかいないと思う」
この物語では私は息子ということになっているし、年齢も名前もきっとかえられてしまっているけれど、これはおそらく母の物語だ。
母がそれほどまでに有名な人で、マツリとも知り合いだったということに驚いた。
「それでも、自分の子どもをおいて死ぬような人じゃ無かったと思うけどね」
マツリは腑に落ちないような顔で呟く。
「君もヤライならなんとなく気分はわかるんじゃない。あくまで都合の良い解釈かもしれないけれど、現実で順調とはいかなくても、なんとなく生きていけてしまっている人ほど、胸に重いものを抱えて昇華しきれないんだよ。」
ヒビスさんは遠いところを見つめながら答えた。
「つくづくヤライという生き物はわがままな生き物だ」
マツリがはそう言いながら私の手を握る力を強めた。
「シクン嬢はもしかして、痛々しいのは苦手だったかな。もし苦手な内容だったら申し訳ない」
「いえ、そういうわけじゃなくて、ただちょっと思うところがあっただけなので・・・」
たとえこれが事実に忠実で無かったとしても、ほとんどが想像に過ぎないとしても、母の最後というのは今まで考えたことが無かった。”いなくなった”のだと、それ以上考えることはしなかったし、心の内でヤライになっていしまったのかもしれないと思うことがなかったわけではないけれど、それに対して悲しくなったり怒りを覚えてたりしたこともなかった。
これが作り話でも、私の中で一つ大事なことに決着がついた気がした。不安定だった自分の居場所が定まっていく。だから・・・
「ありがとうございます。物語を作ってくれて。語ってくれて」
私はきっと晴れやかな顔で彼に感謝を伝えることが出来ただろう。
まだ陽が出るには時間があったが、ヒビスさんはもう寝るということで、私たちはヒビスさんと別れることになった。
「ヤライのくせに夜の間も起きてられないなんて変なの」
マツリはも少し話を聞いていたかったのか、拗ねたような口調で言う。
「物語ってのは、身体を横にして眠るか眠らないか、そんなときに生まれてくるのがほとんどなんだよ。あくまで妄想の世界だからね。だから、寝るといっても、意識を働かせながら横になるんだ。僕にとってはこの時間が一番大切な時間だから、必然的に起きてる時間の方が少なくなるのさ」
「寝たら忘れちゃうんじゃない?」
「確かによくあるね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「シクンさん、ちょっとだけ時間いいかな」
ヒビスさんに背を向けて帰路につこうとしていたところで、彼に呼び止められる。
隣を歩くマツリは不思議そうな顔をしていた。私が近づいていくと、ヒビスさんは3枚の紙片を私に手渡してきた。
「さっきの踊り子のヤライの物語だよ。走り書きで読みにくいところがいっぱいあると思うけれど、申し訳ない」
ヒビスさんはマツリに聞こえないような小さな声で話した。
「どうして私に?」
「僕もよく分からないんだけれど、君に渡しておきたいなって今思ったんだ。それにその物語はもう僕の頭の中にあるから、あとで書き起こせばいい。だから気にせず受け取って欲しいな」
きっと彼はその踊り子のヤライが私の母だということには気づいていないだろう。私は物語を受け取った。
「大事にします。何のことかは分からないかもしれないけれど、彼女のことを物語にしてくださってありがとうございます」
ヒビスさんはきょとんとした顔をした後、満足げに首元に手をやって、
優しく慈しむように傷を撫でた。
「それと、君はマツリとは付き合いが長いのかい?」
先ほどよりも一層小さな声だった。
「いえ、まだ今日を含めて3回しか会ったことがないです。月に一度だけ、満月のように会うんです」
「そうか。これからも会うようなら彼女には十分気をつけた方がいい。もし彼女のことを大事にしてくれるなら、どうかこれ以上彼女が自分を傷つけないように止めて欲しいんだ」
「それって一体どういう・・・」
「彼女は君のことを本当に気に入ってるんだと思うよ。だから詳しくは彼女にちゃんと聞いてみるといい」
ヒビスさんは大事なことをはぐらかして答えた。
なんだか要領を得ない話ではあったけれど、私も彼女に聞きたいことはある。最初はヤライのことを知ることで彼女のことをもっと知ることが出来ると思っていた。だけど実際にはヤライについて知る度に彼女について疑問が増えていった。
マツリは一体何者なのだろうか。マツリはどうして私にヤライのことを知って欲しいと言ったのか。知らなくてはならない気がする。
「わかりました。ありがとうございます。ちゃんと話を聞いてみます」
ヒビスさんはにっこりと微笑んだ、ように見えた。実際には顔と唇の境目がないので笑ったのかどうかは分からなかったが。
「何の話だったの?」
マツリは少し離れたところで座って待っていた。
「さっきの物語の原稿を貰ったの。気に入ったならあげるって」
「そうなの、よかったじゃない」
マツリは柔らかい笑みを浮かべる。
「あの、ちょっとだけ聞いてくれる?」
私の言葉にマツリは笑みを崩さず頷いた。
「踊り子のヤライって、多分私が前言ってた、いなくなった母のことだと思う。名前も違うし、私は女だけど、きっとそうなんだと思う」
マツリはしっかりと話を聞いてくれる。
「いなくなって、どこで何をしていたかもわからないし、亡くなっていたのかすら分からなかったけれど、ヒビスさんがお話にしてくれたおかげで、私の中で決着がついたよう気がする」
「それで、話を聞いたあとあんな感じの反応だったわけだ」
「だから、その・・・、今日は連れてきてくれてありがとう」
マツリはゆっくりと立ち上がって、私の頭を撫でた。
「”メリアさん”はシクンよりも自分のことを優先したわけじゃないと思うよ。どっちも大事だったんだ」
「でもヤライになってしまった」
マツリは首を横に振る。
「誰もヤライになりたくてなるわけじゃないんだよ。ヤライになったのは結果でしかない。自分を傷つけていないといきていけないような生き物を、生き方を肯定できるわけないじゃない」
「それじゃあ、マツリもヤライになりたくなかったんだ」
「そうだよ」
マツリの声はまるで小さな子どもをあやすように穏やかだった。
「痛い?」
どこを傷つけているのかわからないけれど、ヤライである彼女もまた自分を罰しながら生きているのだろう。
「すごく痛いよ」
言葉とは裏腹になんでもないような口調で彼女は言う。
それがとても悲しくてしょうがなかった。
マツリは一歩私に近づく。二人の間にはもうほとんど空間が無い。
「シクンはさ、私のこと本当に好きなんだね」
急に投げかけれた言葉に思わずドキリとしてしまう。
「私のために悲しんでくれてありがとう」
彼女は甘い声とともに私の顔をのぞき込んだ。
ガラス玉みたいに綺麗な瞳が私のことを写していた。
彼女の顔が急に近づいてきて、それから唇に柔らかいものが当たる。
顔全体が熱くなって、息が止まる。
「まだ日の出には時間があるからもう少し一緒に歩こうか」
マツリは動揺する私をおいてゆっくりと前を歩いていった。
心なしか彼女の両耳が紅梅色に染まっている気がした。
それから私達は、東の空が白く染まる別れの際まで手を繋いで、無言で夜の森を歩き続けた。
夜の静寂がなによりもありがたかった。
