夜に枯れる華 3話
村の南、木柵を超えた森の奥、カラカラグサが絨毯みたいに一面生い茂った草原でマツリは、王都で昔に流行ったという歌を聞かせてくれる。雲ひとつない空に浮かぶ月は、まるで彼女だけを照らすみたいにあるみたいに青白い光を地上に降らせる。
曲の流れに合わせて揺らぐ彼女の白い腕は美しい鳥の羽のようだ。目の前の妖艶な光景に吸い寄せられると同時に、村の人間はこれを知らず、自分が独占しているのだと思うと、幸せで胸がいっぱいになる。
1ヶ月前に、ワイヤーアートを生きがいとする盲目のヤライに会ってから、私の中でヤライに対する恐怖は消えていった。ヤライは人を襲い残酷な方法で殺す化け物だと信じて生きてきた私にとって、これはとても大きな変化だ。今回は何も恐れることなくマツリに会いに来られた。マツリは前回と同様にこの草原で月を見つめて、座って待っていた。何度観ても彼女の美しさにはなれなくて、彼女の表情が1つ変わるだけで、彼女との距離が1歩近づくだけで胸の鼓動がうるさくなる。
「シクンは何か好きなことないの?裁縫とか絵画とかなんでもいいんだけど」
歌い終わったマツリが一息ついて口を開いた。
特に何も思い当たるものはなかった。12になって村の仕事をひとつ任せられてからは、朝起きてから陽の落ちるまでずっと働いて、家に戻ってからはしばらく考えごとをしながら眠りにつく。毎日代わり映えしない代わりに、毎日何かに焦ることもない。村にいる限り生きていくことは出来る。だから何か趣味を持とうとかそういうことはあまり考えたことがなかった。
「いいよ、そんな思い詰めた顔しないでも。あの村の出身じゃないから分からないけれど、他人の影響がないとなかなか趣味とかそういうのを始める雰囲気がない村みたいだからね。」
「やっぱり何かそういうものがあった方が人生楽しいですか。」
「今楽しくないの」
「いや、そういうわけじゃ…」
「じゃあ気にしなくていいよ。それとも一緒に歌ってみる?」
夜闇に咲く花が咲く。いつみても彼女の笑顔は幼くて美しい。
でも下手な歌を聴かれるのも嫌なので断っておく。
居なくなった母は王都ではそこそこ有名な踊り子だったらしい。行商で王都に行った父が一目惚れして、何度もアプローチして、村に連れて帰ってきたのだと母が何度か同じ話をしていたのを覚えている。それでも母が踊っているところは一度も見たことが無い。装束だっていくつか王都から持ってきていたようだけど、母がそれを着ているところは一度も見たことが無かった。きっと仕事を村から与えられて、何不自由なく暮らしていける環境におかれると人は、生活に不要な何かをいつのまにか忘れ去られていくのかもしれない。それでも何か別の世界に生きようと思える人間が恵まれているように感じる。私にはそんな気持ちが起きない。やらなくても生きていけるのだから今すぐ出なくたっていいのだって思ってしまうだろうし・・・
「マツリはどうして歌うの?」
マツリはきょとんとした顔をする。初めて見た顔だった。表情がコロコロ変わる彼女は見ていて本当に楽しい。
「私は、そうだな、歌わないと生きていけなかったし、今も多分生きていけないからかな」
「歌うことが一番楽しいってこと?」
「いや、それが生き方だったし、習性だからかなあ」
習性っていうのはヤライの習性ってことだろうか。前の月、いくつかヤライについて知ったことがある。その一つにヤライは誰のためでもなく、何かを生み出して表現して生きていくのだという習性があった。きっとマツリのそれは歌うことなのだろう。
「マツリが歌を歌っていてくれて良かったよ。でなきゃみつけられなかっただろうから」
「私も本当にそう思うよ」
再び夜に花が咲く。月よりも眩しくて直視できない。
「じゃあ、そろそろ行こうか。今夜も一人約束しているヤライがいるんだ」
マツリは手で服を払って立ち上がる。
「今日はどんなヤライなの?」
私は前を行くマツリに付いていく。
「今日会うのはヒビスっていうヤライなんだけど、若干見た目が怖いから最初驚いちゃうかも」
「すごくガタイがいいとか」
「いや、細身で昔は、毎日のように恋文が届くくらい顔が整っていたらしいよ」
昔は?ということは今は違うのだろうか。すごく太ってしまったとか?
マツリはさらに南の方まで歩いて行く。草原が果てしなく続いていくようにも思えるくらいに長い距離を歩いた。しばらく行くと視界の下方に森が見えてきた。草原が途切れて崖になっているところに大きめの岩があり、その前に座って月を見つめる人影、もといヤライが見えた。
縁のある帽子をかぶり、王都の商人が着るような黒くて長い丈の外套を纏っている。
「ヒビスさん。こんばんは」
マツリは大きな声で呼びかける。
ヒビスさんは座ったまま軽く手を挙げると、私たちが来るまで座ったまま待っていた。
「やあ、マツリ嬢。そのお嬢さんが、この前行っていた人間だね。名はシクンさんというのだったか。僕はヒビス。どうぞよろしく」
ヒビスさんは私の手を取って、そっと口づけをした。初めてされる挨拶に少し戸惑ったが、それよりも私はヒビスさんの見た目に驚いた。
襟の間に見える首から口元まで、皮膚が抉られたような傷で覆われていて、ほとんど皮膚の下の肉が見えていた。目元は優しくていかにも貴公子といった感じだが、顔の半分が痛々しい傷で満たされているせいで、恐ろしさが勝ってしまう。これが「昔は」とマツリが言った原因だろう。
「こんばんは、ヒビスさん。今日はよろしくお願いいたします」
「こんな見た目だけど、君たちが思うような恐ろしい存在ではないですよ。僕は君を取って食ったりしやしませんから」
私は努めて表情に出ないようにしていたが、どうやらヒビスさんには私の恐れがどうやら伝わってしまったらしい。
「それはもう伝わってるから大丈夫よ」
マツリが私の肩を掴んで背後から口を挟む。
「へえ、それは良かった。こんな見た目だから誤解されてしまいそうでね。久しぶりの人間のお客様だ。不必要に怖がられたくないんだ」
ヒビスさんの顔と唇の境目が分からなくなった口が優しく弧を描く。
「ヒビスさんはどんなことをして普段暮らしているんですか」
見た目を恐れて彼の機嫌を損ねてしまうのは申し訳なかったので、私はできるだけはっきりと問いかける。
「それはマツリ嬢から聞いてないんだね。僕はね、語り部なんだ。見聞きしたことを元にして物語を作って語って聞かせるんだ。」
ヒビスさんはそう言いながら外套から、分厚い紙の束を取り出した。端がボロボロになった束は、物語が長い時間をかけて集められたものだと言うことを容易に想像させる。
「王都はもちろんのこと、北の伯爵領や西の国、東の山岳地帯までいろんなところを自分の足で歩いて物語を収集したんだ。集め終わったら、それを物語にする。どこで抑揚をつけたら、聴衆は物語に引き込まれるだろうか。どの場面に厚みを持たせれば、人々の印象に残るだろうか、なんてオンボロの宿に籠もってずっと考える。いつのまにか、見たこと、聞いたことを離れて行ってしまうこともあったけれど、聴衆が喜んでくれればそれで良かった」
ヒビスさんは紙の束を慈しむように撫でた。額の中心で半分に分けられた金髪が風に揺れる。
「せっかくだから、いくつか聴かせてもらいましょうよ」
マツリは私の肩に力を込めて座るように促す。月の光を受けた草木の絨毯はひんやりとしていて、座り心地が良かった。
「それじゃあ聞いてもらいましょうか」
私の手の上に隣に座ったマツリの手が重なる。
ヒビスさんは黒い革のブーツのかかとを地面でトントンと二回鳴らした。
きっとこれが物語の始まる合図だ。
「それではお話ししましょう。これは北の伯爵家に生まれた賢く、優しい兄弟のお話――」
鏡の双子
とある年の春のこと、北方伯爵マーゲルの妻が双子の男の子を生んだ。双子は不吉の象徴であり、生まれてすぐに片方の子を別の子どもの家に預けるのが通例であったが、マーゲルと妻にとっては長年待ちわびた待望の子どもであったのでそのどちらをも手放すことが出来なかった。そこでマーゲルは双子を屋敷の外には出さず、奥の部屋で隠して育てた。ヨメナとジョオンと名付けられた双子は、12になるとマーゲルに似て美しく、そして小さな頃から見てきた乳母やマーゲル達にも見分けが付かないほど、瓜二つの姿に育っていった。彼らは家族には見分けが付くように、ジョオンが伸びた髪を後ろで束ねる工夫をした。しかし、髪型以外で彼らを見分けることは周りの人間には不可能だったので、マーゲルは屋敷の外を知らぬ彼らに世間のことを学ばせようと、時々どちらか片方を連れて歩いた。領民はマーゲルに似て整った顔立ちの一人息子を歓迎した。外に出るときはルジオという仮名を名乗らせ、誰一人領民は彼らが双子であることに気がつかなかった。
ヨメナとジョオンは、小さい頃から同じ本を読み、同じことを学び、同じように剣術の指南を受けた。二人が一度訓練用の木刀で打ち合えば、日の落ちるまで決着のつかぬほどに同じように育ち、同じようにものを考えるようになった。
彼らが15になった頃、北の森では行商人を襲い積荷や金貨を奪っていく卑劣な山賊の活動が頻繁に起こるようになっていた。そこでマーゲルは兵隊と領地の男たちを連れて山賊討伐を行った。3ヶ月にも及ぶ闘いの末、北の森の山賊を全て捕らえることに成功した。領民は大いに喜び、領主であるマーゲルを一層称えたのであった。
しかし、その情報を聞きつけて西の国が突然、伯爵領に宣戦布告をした。西の国の狙い通り、伯爵領は長い山賊との戦いで疲弊し、少なくない犠牲を払っていたために西の国とまともに戦うことができる兵力は残っていなかった。マーゲルは西の国に和平交渉のための使者を送ることにした。使者が旅立ってから一週間後、西の国から告げられたのは、このようなことである。
『無血での停戦は受け入れられない、但し此度の開戦事由の大小を鑑みて、領主もしくはその後継の命をもって申し入れを受けん』
宣戦布告の内容もかなり理不尽なものであったことから、家臣の中には開戦を主張する者も少なくはなかったが、現在の国の状況を思い、自分の命を西国に差し出すことを決めた。
西国の兵士が来る夜のこと、ヨメナとジョオンはマーゲルの書斎にやってきて言った。
「父上、今回のお話、私たちのどちらかが犠牲となるのはどうでしょうか」
どちらも髪を下ろしているため、マーゲルには双子の見分けが付かなかった。
「自分の命のために息子を見殺しにする親がどこに居るというのだ。二人にこれからの領地をルジオとして守っていってもらわねばならない」
「しかし、父上。私たちはどちらが残っても次期領主として国を守っていくことが出来ます。幸い私たちは一人の息子として育てて頂きました。この命はこのときのためにあるのではないかと思っています」
確かに今まだ息子達が幼いうちに、自分がいなくなっては領民達を導けるものはいないのではないかと、マーゲルは考えてしまった。
「父上が私たちのどちらかを選んでくれれば、喜んでこの命を捧げましょう」
マーゲルは二人を書斎から出して、一晩中考えた。そして最終的に息子の一人を指名した。
「父上のお役に立てるのであれば、この命喜んで捧げます」
一人の息子は後悔一つないと言った顔で言ってのけた。
「愛する息子達の顔を見分けることの出来ぬふがいない父のことを許して欲しい。残った息子のことを二人を愛するように大事にしてみせる」
マーゲルは涙を流して謝った。しばらく泣き続けた後、マーゲルは疲れ果て眠りについた。
「ヨメナ、僕は今いいことを思いついたのだけれど」
「僕も今とてもいいことをおもいついたよ、ジョオン」
二人は見つめ合って大きな声で笑った。
「じゃあ今から準備が必要だね」
「西国の兵士がやってくるまで時間が無いね、急ごう」
そして二人は悪巧みの準備を始めた。
翌朝、犠牲となる息子は、この地域の正装に身を包み、西国の兵士が来るのを待った。ともに待っていたマーゲルは、息子が頬に切り傷を負っているのを見つけた。
「その顔の傷はどうしたんだ」
「朝方木の扉に顔を擦ってしまったのです。本当なら、このような傷をつけたまま最後を迎えるのは不本意だったのですが」
マーゲルは息子の運命を思うと不憫でならなかった。
そして、約束の時間通り、正午きっかりに西国の兵士が3人やってきた。
「さあマーゲル殿か、息子のルジオ殿かどちらをお連れいたしましょうか?」
真ん中に立っていた身なりの良い兵士の男が下卑た笑みを浮かべながら問うた。
「私が参ります。ですから約束通り、私の父と領民には手を出されぬよう」
息子は毅然とした態度で答えた。
「若いのに勇気のあるお方だ。もちろん我々も約束を違えるなど愚かな真似はいたしませぬよ」
そういうと両脇に立った兵士が息子の両手を後ろで縛り馬車に乗せて連れて行った。
マーゲルは涙をこらえ、見えなくなるまで馬車を見つめていた。
ジオンを乗せた馬車は領地を抜け、起伏のおだやかな緑の平原を抜け、西国の境にある山道にさしかかった。
「隊長、やはり最低限の人数で来て正解でしたね。これ以上人が乗ってしまってはこの山道は登れますまい」
山道は小さな石がいくつも転がり、鉄で出来た車輪がそれを踏んではぐらぐらと馬車が揺れた。坂はだんだんと急になり、馬車はだんだんと速度を落としながら、少しずつ前に進んでいった。
山道を半分も登り切らないところで、道の真ん中に数人の粗末な身なりをした男達が集まっていた。
「道を空けてくれ、急ぎの荷物を運んでいるんだ」
馬を操る兵士が声を荒げて呼びかける。
それでも男達はしゃがれた声で笑うだけで道から退くことは無かった。
「一体何のようだ、こちらを害するつもりならばこちらも容赦をするつもりは無いぞ」
兵士達は腰から鋭い光を放つ鉄剣を抜いた。
すると一際恰幅の良い男が口を開いた。
「まあ旦那方、そう焦りなさんな。西国の兵士様でしょう。旦那方に贈り物があるのですよ。北のマーゲルのところの一人息子でございますよ。あっしらには強請りの道具にしかなりませんが、西国の兵士様には使い方がいろいろありましょう。どうぞ少しの金貨と交換いたしませぬか」
兵士達は男達に捉えられた少年の姿を見た。傷一つ無い顔は確かにマーゲルの息子と言われても納得できるくらいには整っている。荷台に載せている少年ともどこか似ているように感じた。
どちらかがおそらく、替え玉であり、運悪く山賊に捕まってしまったのだろうと兵士達は思った。
しばらく3人で話し合った後、どちらにせよ殺してしまえば変わらないだろうということで、どちらとも西国に連れて帰ることとなった。
一人分の重さが加わった馬車はさらにゆっくりと山道を登る。
荷台にのせられた二人はじっとして動くことが無かった。もっとも不用意に動けば痛い目にあうのはわかりきったことではある。幸いに風一つ吹かぬ晴れていて、馬車は確実に西国へと向かっていく。
ちょうど西国と伯爵領の真ん中、山道ももうそろそろと終わりが近づいてきた頃、またしても山賊風な男達が、次は明らかに馬車の進路を遮るように6人立っていた。
「またか、マーゲルのやつは本当に山賊の掃討に成功したのか?」
隊長と呼ばれた男が苛立ちを隠さずに呟く。
先頭の兵士が山賊達に呼びかける。
「次は何だ。通行料でも取りたいのなら、ある程度の金貨はくれてやるから道を空けてくれないか」
山賊は両手を後ろで縛った少年を場所の前に突き出す。
「これが何かわかるか。伯爵の一人息子だ。こいつと積み荷の一部を交換しようじゃないか。お前らにとってもこれは悪い話では無いだろう」
今度は隊長が馬車の垂れ幕から顔を出して怒鳴りつける。
「おいおい。いい加減にするんだな。俺たちはすでにその一人息子とやらを二人も拾ってここまで来てるんだ。そいつで三人目だ。一人って意味をしてるか?いくら頭の悪いお前らでも数を数えるくらいは出来るだろう。そいつは偽物だよきっと。さっさと失せな」
しかしよく見てみると確かにどことなくマーゲルに似ていると兵士達は思った。だが、目隠しを外すと右目に大きな切り傷が入っていて、どうも貴族の息子と言うよりは山賊の下っ端にしか見えなかった。
「まあいいさ。どうせ俺たちには用の無いガキだ。好きに使うがいい」
山賊の一人がそう乱暴に言い捨てると、少年を蹴飛ばして、道から逸れて言ってしまった。
「隊長どうしましょうか」
荷台に控えていた兵士が恐る恐る訊ねる。隊長と呼ばれる男がいらだっているのが分かったからだ。
「もうよい。三人とも連れて行けばよい。この中が全て偽物なんてことはあるまい。」
さらに重さが加わった馬車は傾斜がより険しくなったところで動きを止めてしまう。そもそも最低限の人数でやってきた馬車に想定以上の人員が乗ってしまったのだから無理もない話である。
「このままでは日が暮れてしまう。どいつか一人を連れて帰ろう」
「最後に乗った少年はおそらく偽物でしょう。最近になるまで屋敷から出ているところを見たことが無いと、マーゲル領の人間が口にしていました。このような傷が付くようなこともないでしょう」
「それでいうなら、屋敷から連れてきたやつも偽物かもしれんな、頬に大きな傷がある」
「どことなくこの二人が似ている気もしますね。おそらくどこかで生まれた双子を影武者として控えさせていたのでしょう。」
「それでこんな傷のあるものを選ぶなど愚かとも言えるがな。」
そういって兵士達は一人を選んで、残りの二人を山において西国に帰った。
ヨメナとジョオンは馬車からこちらをが見えなくなるまで待ってから、山を下り始めた。
馬車に残された少年は、山賊の頭領の息子であった。ヨメナとジョオンは父と兵隊が捕まえてきた山賊達と交渉をして、身代わりとなって、しばらくの間捕まることと引き換えに、彼らの身柄を解放した。山賊達は、ヨメナとジョオンに感謝をして、二度と北の伯爵領を荒らさぬことを誓った。
きっと、山賊達は馬車を襲って、少年を取り返し、伯爵領を荒らす代わりに西国に活動の拠点を移すことであろう。
翌朝悲しみに暮れるマーゲルのもとにヨメナとジョオンが帰ってきた。二人は顔に大きな傷を負っていたものの、マーゲルはすぐに彼らが自分の息子であることがわかり、二人を抱き寄せて再び泣いた。
「父上、頬に傷がある私がヨメナです」
「右目が見えなくなってしまいましたが、私がジョオンです」
「最後の別れのときになって、父上に名前を呼んで頂けないのが哀しいことだと分かったので、すぐに分かるようにしてみました」
ヨメナが誇らしげに言う。
「同じ傷がついたときは、また別の傷をつけて見せましょう」
ジョオンがまっすぐと父の顔をみていう。
「ヨメナ、ジョオン無事で居てくれて本当にありがとう」
マーゲルは二人の顔を交互に見ながら、それぞれの名前を呼んだ。
話を聞いている間、呼吸を忘れてしまうほどにのめり込んでいた。そして双子の無事がわかってほっと息を吐いた。ヒビスさんは話しながら私の顔をみて、嬉しそうだった。
「さすが、王都一の語り部。すごくわくわくしたわ。時間を忘れるってのはまさにこのことだね」
マツリの賛辞に私も首を大きく振って賛同する。
「二人とも生きていられて本当に良かったって思いました。」
「そういってもらえるのはとてもありがたいことなんだけどね。人気があったのは、僕の語りが上手かっただけってわけじゃないんだよ。知ってるでしょ?」
「いやいや、今の見た目になった君の語りは王都で聞いたときよりも、真に迫るものがあったよ」
やっぱりマツリは王都で暮らしていたようだ。歌も私の知らない王都のものばかりだったからそうなんだろうとは思っていたのだけれど、改めて彼女のことを知れた気がした。
「もしかして、女性に言い寄られるのが嫌で、そんな風に自分を傷つけたんですか?」
ヒビスさんは、不思議なものでも見たように小首をかしげた。
「マツリ嬢、やっぱり説明していなかったんだね。いつまでも隠しておけやしないよ。」
マツリは月に目線を移して、気まずそうに口を開く。
「まあ・・・徐々にでいいかなあとか思ってて・・・」
ヒビスさんが薄めた目でマツリを非難するように見つめる。
「もしかして、ヤライであることが関係しているんですか?」
ヒビスさんはまだマツリをにらんでいる。
「僕が説明してしまってもいいのかい。」
マツリは拗ねたみたいにそっぽ向いて小さく頷いた。こうしていると本当に少女がそのまま大きくなったような無垢な印象を感じる。
ヒビスさんはしばらく考えて話し始めた。
「ヤライの習性みたいなものでね、ヤライは自分のことを傷つけていないと落ち着かないタイミングがあるんだよ。発作みたいに突然自分のことを痛めつけたくなる。きっと、こんな生き方をしてしまっている罪悪感の表れみたいなものなんだろうね」
「じゃあその傷はヤライになってから自分でしたってことですか?」
「そうだよ」
ヒビスさんはさも当然のことであるように頷いた。
首の周りから、顔の半分までほとんど皮膚が残っていない。それほどもまでに自分自身を痛めつけることが果たして普通の人間に出来るだろうか。きっと痛みや怖さが勝って、これほど深い溝のような傷をつけることはできないだろう。それをまるで日常のように話せる彼らは、やはり人間では無いのだと改めて感じてしまう。
「タンゲ爺さんの目も自分でやったんだよ・・・」
両足を抱えてうずくまるような姿勢でマツリはぼそっと呟いた。
自分の目を潰してえぐり出す想像をして、背筋に嫌な波が走る。
「まあ、だから村の人間が僕らのことを化け物だって言うのも少し納得できるんだよね。人間を襲ったりは、やっぱり本当にしてないんだけどね。」
点と点が線で繋がった快感とそこに思考が至ってしまった不快感で頭がぼやけていくのを感じる。
「じゃあ・・・村でたまに見つかった傷ついた死体は・・・」
「十中八九ヤライの死体だろうね。自分を傷つけすぎて身体が壊れちゃったんだ」
マツリが私たちとは反対の方向を向きながら答える。
「僕もね、これ以上やってしまうと、すぐ死んじゃうんだろうなって感じはするよ」
ヒビスさんの口から乾いた笑いがこぼれる。
「村出身のヤライなんかは死の間際に家に帰ろうとでもして、死体になって見つかったんだろうね。僕なんかはわざわざ王都まで帰る気にもなれないけれど」
村で見つかった笛の上手だった女性の死体は全ての歯が折られていた。あれは自分自身の手で・・・
「私たちのことがまた怖くなった?」
マツリはまだこちらに身体をむけぬまま呟くように言った。
怖かった。けれど、彼女たちから離れたいという怖さではではなくて、そんな悲しい習性を背負って生きていく、彼女らのこれからが思わず目を背けたくなるほどに痛々しいものであったからだ。それに・・・
「マツリはどこを傷つけているの?」
もしかして声はすごく繊細な部分に踏み込んでしまうような質問だったのかもしれない。彼女の気を悪くしていないかと、横目でマツリの方を見た。
マツリは四肢を地面に投げ出して横たわっていた。両手両足の関節が柔らかな曲線を描き、身体全体が月の光を受けて青白く光っている。白くて長い髪が少し広がっていて、数本の髪が彼女の唇にかかっていた。無防備で妖艶な姿は扇情的で思わず目を見つめてしまった。
「気になるなら調べてみてもいいよ。服が邪魔なら脱がせていいわ。好きなだけ身体に触れて、見つけてみて。」
甘えるような口調で言うマツリの目は挑発的に見えた。
きっとマツリには気づいているのだ。私が彼女の身体に触れるということに、傷を探す以上の意味があることを。
「ごめん。別にどうしても知りたいってわけじゃないから。」
どうしても言い訳がましくなってしまう。
「あら、残念。」
マツリが起き上がって悪巧みに成功した子どものような顔で私を見つめてきたのがなんとなく悔しかった。
ヒビスさんは私たちのやり取りに興味などないかのように手元の紙の束を捲っていた。
「それではせっかくだから自分自身を傷つけすぎてしまったヤライの物語をさせてもらおうかな。さっきと違ってそれほど長くないお話だから、どうぞお付き合いください。」
そういうと彼はブーツの踵で2回音を鳴らした。
