Ⅴ清澄という孤独ー飛び込む勇気がない私/彼に届くまでの手紙たち
「華梨ちゃんって、優しいよね」
「華梨ちゃんって、真面目だよね」
そんな言葉が悪口に聞こえる時期があった。
優しい私、真面目な私なんて偽物だ。
偽善者。そう呼ばれている気がした。
でも本当は、そんな大層なものですらなかった。
私はただ誰にも興味がなかっただけだ。
独りだった。
ある日の国語の授業を思い出す。
先生が古代中国の詩人屈原の漁夫を朗読したー
「世の中がみな濁って、わたし一人が澄んでいた。
人々がみんな酔っ払い、わたしひとりが醒めていた。
だから放逐されたのだ。」
屈原は愛国家・哀国家と言われていた。
国の未来を想って放逐された。
でも私はその清さが何なのか、なぜ私だけもっているのか分からなかった。人が失敗しているのを見てゲラゲラ笑う同級生を見ても心は動かなかった。
私は、何か信念があるわけでもないのに人から距離を取られている。
彼の清さは苦しみの中の誇りだ。私の清さは、空っぽで無関心の象徴だった。
私は誰にも興味がないだけなのだ。
それゆえに穏やかで人当たりがいい。無関心ゆえに、他者と自分の線引きが簡単なだけだ。人に優しい、真面目だと言われる度に自分の冷たさを指摘された気分だった。
自分に貼られたレッテルと、自分の中身が真逆で戸惑った。そのレッテルを見て私を「良い」と思った人の期待に添えず失望されるのが恐かった。だから、自分のことを最低限しか話さなかったし、他の人の話を聞いてあげてはいたが、聴くことはできなかった。
友人の失恋、女子同士の喧嘩、陰口、おせっかい。
他の人のために感情的になれる人が心底羨ましかった。私にはないものだった。
見よう見まねでそれをしようとしたが、操られている人形のようで、ぎこちなく気持ち悪かった。私が蝕まれ、他の誰かになっていくような感覚がして吐き気がした。
屈原の歌には、続きがあった。
屈原の歌を聞いた漁夫は、こう返した。
「賢い人ってのは、頑固じゃないんだ。
みんなが濁っているのであれば、あえてその中に飛び込み濁るのも、
生き方の一つだよ。」
でも私は、
飛び込む勇気がない。
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