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英雄は本当に英雄だったのか?

― 結果論バイアスで歴史を読み解く―

歴史書を読むと、英雄たちはまるで未来を知っていたかのように描かれる。
秋山真之は「対馬」と断じ、
東郷平八郎は決断し、
扶蘇は忠義を貫き、
李斯は国家を動かした。
しかし彼らは未来を知らない。
未来を知っているのは、二千年後の私たちだけである。


結果論バイアスという罠

心理学には**結果論バイアス(Hindsight Bias)**という言葉がある。
結果を知った人は、
「最初からそうなることは分かっていた」
と思い込んでしまう現象だ。
歴史はまさにその連続である。


秋山真之は本当に名参謀だったのか?

日本海海戦。
後世から見れば、
「対馬海峡で待ち伏せした名判断」
である。
しかし当時は、

  • 津軽海峡

  • 宗谷海峡

  • 対馬海峡

どこへ来るか誰にも分からなかった。
もし外していたら、
「秋山の判断ミス」
と語られていただろう。

真之「ロシア怖えええ・・・」 
東郷「青森経由か?対馬か」
島村「わかりません・・・賭けです!」
東郷「秋山!どうみる?!」
真之「お・・おれ?!・・・はっ!津軽に見せかけて対馬です!」
島村「まじか?」
秋山心の声「しらんがな・・・対馬にしとこうや・・」

東郷「あきやま〜〜!!どうする!!!敵が迫ってくる!!」
秋山「は・・・はあ・・とりあえす逃げましょう!生きて帰ってなんぼ」
東郷「ターン!」
島村「あれ?敵は直進してくるから・・」
秋山「撃ってみたら??」
東郷「え?撃つの???_・・・撃て。」

ドーーーン!!!

ロシア艦隊
「被弾!」
「混乱!」
「右舷!!右舷!!」
島村「当たりました!!」
秋山(心の声)

「当たるんかーーい!!!」
=======================

秋山兄「コサック・・怖・・・」
部下「如何いたしますか?!」
秋山兄「・・・酒・・持ってきて__」
部下「こんな時に・・」
秋山兄「持ってきて・・」
部下「はっ!」
秋山兄「怖い・・飲まなやってられんわ・・・」
部下「なんて豪胆なんだ秋山さんわ・・・」

後世……
司馬遼太郎
「秋山好古は酒を酌みながら悠然と敵を迎えた。」
読者
「なんという豪胆な将軍だ!」
実際の好古「緊張して胃が痛かったんや……。」


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これは秋山兄弟を否定しているのではない。
英雄とは、不完全な情報の中で決断した人なんじゃないかな?


扶蘇は本当に愚かだったのか?

史書では、
「偽詔に従い自害した。」
と簡単に書かれる。
しかし本当にそうだったのだろうか。
父である始皇帝への忠義。
国家への責任。
蒙恬との議論。
葛藤。
そうした一夜があったかもしれない。
結果を知る私たちは、
「確認すれば良かった。」
と思う。
しかし当事者は未来を知らない。


李斯もまた同じ

李斯は韓非を失脚させた。
そして後に趙高によって自らも陥れられた。
歴史は、
「因果応報」
として描く。
しかし李斯もまた、
「国家のため」
「自分の判断は正しい」
と信じていたのではないだろうか。
人は決断してから理由を作る。
歴史もまた、その連続なのかもしれない。


人間は理性ではなく感情で決断する

歴史を見ていて思う。
人は理では分かっている。
しかし、
恐怖、
名誉、
嫉妬、
忠義、
愛情、
保身、
そうした感情が決断を下す。
理性はその後、
「その判断は正しかった」
と説明を始める。


英雄を神から人へ

私は最近、
歴史上の人物を神格化するより、
普通の人間として考えるようになった。
秋山真之も、
「ロシア怖ぇ……」
と思ったかもしれない。
東郷も、
「秋山、本当に対馬か?」
と迷ったかもしれない。
扶蘇も、
一晩眠れなかったかもしれない。
そう考えると歴史は急に面白くなる。


歴史は物語である

司馬遷は人物を描いた。
司馬遼太郎は人物に命を吹き込んだ。
だから私たちは英雄を身近に感じる。
しかし同時に、
史書もまた一つの物語である。
そこには後世へ伝えたい教訓が織り込まれている。
だから歴史は、
「何が起きたか」
だけでなく、
「なぜそのように語られたのか」
まで考えると、さらに面白くなる。


結論

歴史は英雄が作ったのではない。
未来を知らない普通の人間たちが、限られた情報と感情の中で下した決断の積み重ねである。
だから私は歴史を見るとき、
英雄ではなく、
「もし自分だったらどう判断しただろう。」
という視点で読む。
その瞬間、歴史は年表ではなく、人間そのものの物語になる。

サッカーのゴールも、投資も、歴史も最後は物理法則の世界になる。
人間が決められるのは、運そのものではなく、運が来た時に成功する確率をどれだけ高められるかである。
英雄とは、運だけで勝った人でも、未来を知っていた人でもない。
運が転がり込む場所まで、自分を運び続けた人なのではないだろうか。

パチスロの設定6を1週間打ってもマイナスの可能はある。だから設定を知らない人は、
「低設定だった。」
と言う。
しかし確率論では、
「設定6でも起こり得る。」
となる。
歴史も同じだ。
英雄とは、未来を知っていた人ではない。
たった一度しかない試行の中で、確率的に正しいと思う判断を下した人なのかもしれない。ww

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