白い雪の上のひまわり
白い雪の上のひまわり
北海道の白い雪の上に、少し大きくて、生命力のある黄色いひまわりが咲いている。 雪の白。 飾らなさ。 親しみやすさ。 ひまわりの黄色。 笑い。 生命力。 その場にいる人間を明るくする力。 その男は、北海道の大地からやって来た。 しかし、最初から大きな舞台に立っていたわけではない。 江別の煉瓦のような赤茶色の時間があった。 赤茶色は、派手ではない。 古い建物の壁に積み重なり、雨や雪に耐え、長い時間をかけて風景の一部になる。 その男にも、そんな時間があった。 まだ全国に知られていない頃。 ローカル番組の中で、笑われ、慌て、怒り、困り、失敗し、格好悪くなる。 普通なら、人前で見せたくない姿だった。 芸能人なら、もっと格好良く見られたいと思う。 失敗したら隠したい。 慌てたら冷静なふりをしたい。 怒ったら取り繕いたい。 困ったら余裕のある顔をしたい。 しかし、その男は違った。 ジンギスカンの骨だけ出されて、 「これ、どうすんの?」 とでも言いそうな、少し間の抜けた感性がある。 隙がある。 笑われる。 しかし、笑う側には回らない。 誰かを見下して笑うのではない。 自分が笑われる場所に立つ。 その姿に、妙な人間らしさがある。 完璧な人間ではない。 慌てる。 怒る。 困る。 失敗する。 格好悪くなる。 しかし、そのすべてを隠さない。 むしろ、その格好悪さが笑いになる。 笑われることを恐れず、笑われた自分を笑いに変える。 その姿を見ていると、こちらも少しだけ肩の力が抜ける。 人間は、いつも完璧でいなくていいのかもしれない。 失敗してもいい。 困ってもいい。 何をしていいかわからなくなってもいい。 その瞬間を、笑いに変える人間がいる。 江別の煉瓦を焼くには、土を捏ねなければならない。 形を整え、釜に入れ、火に耐えさせる。 すぐには煉瓦にならない。 長い時間をかけて焼かれ、ようやくひとつの形になる。 その男の下積み時代も、そんな土を捏ねる時間だったのかもしれない。 ローカル番組で知名度を高める。 面白い人として知られる。 北海道では知られていても、全国ではまだ知られていない。 その差を埋めるには、時間が必要だった。 土を捏ねるように、笑いを捏ねる。 失敗を捏ねる。 言葉を捏ねる。 自分の人間らしさを捏ねる。 そして、何度も釜に入る。 笑われる。 試される。 失敗する。 それでも、少しずつ形を変えていく。 やがて、ひとりの面白い男というイメージは、全国の人間に知られる存在へと焼き上がっていった。 しかし、焼き上がったからといって、そこですべてが終わるわけではない。 俳優という世界は、また別の釜だった。 面白い人というイメージが、今度は壁になる。 笑いの人。 バラエティの人。 旅番組の人。 その印象が強いからこそ、真剣な役を演じても、どこかで笑いを期待される。 これは、ひとつの成功が、次の挑戦では壁になるということなのかもしれない。 それでも、その男は俳優の世界へ進んでいった。 石狩川のように、激しい流れもあれば、ゆっくりと流れる季節もある。 人生も同じなのだろう。 一気に流れる時期がある。 何も進まないように感じる時期がある。 流れに逆らうこともある。 流されることもある。 その流れの中で、男は少しずつ姿を変えていった。 バラエティでは、慌てる。 舞台挨拶では、場を和ませる。 映画では、役の中に沈む。 そしてまた、どこかで笑いを生む。 ひとつの場所に閉じこもらない。 小麦の金色のように、形を変える。 パンにもなれる。 麺にもなれる。 さまざまな料理になる。 その男も、ひとつの型に収まらなかった。 笑いにもなれる。 俳優にもなれる。 旅人にもなれる。 歌うこともできる。 人の前で話すこともできる。 水色の空のような自由さがある。 どこへ行くのかわからない。 何が起きるのかわからない。 それでも、旅は続く。 深緑の北海道の大地のような生命力がある。 簡単には枯れない。 失敗しても、また立ち上がる。 格好悪くなっても、そこに立ち続ける。 そして、時間が流れる。 黄色は、やがて琥珀色になる。 若い頃の明るさに、年月の深みが加わる。 ただ笑わせるだけではない。 長い時間を生きてきた人間の、人情のようなものが加わる。 かつて笑われていた失敗が、いつの間にか、その人の魅力になっている。 それは、少し不思議なことだ。 人間は、弱点を隠そうとする。 しかし、隠さなかった弱点が、やがて個性になることがある。 慌てること。 怒ること。 困ること。 失敗すること。 格好悪くなること。 それらを消さずに、そのまま人前に出す。 すると、そこに人間らしさが生まれる。 舞台挨拶で見せるコミカルな人柄。 バラエティで見せる、隙のある反応。 その笑顔は、ただ明るいだけではないのかもしれない。 暗くなる瞬間を、笑顔で包む。 空気が重くなりそうな時、言葉をひとつ置く。 誰かが困っている時、自分が少し格好悪くなることで、その場を軽くする。 その人は、笑いを作っているというより、暗くなりそうな場所に笑顔を置いている。 だから、ひまわりなのかもしれない。 白い雪の上でも咲く。 寒さの中でも、黄色い花を開く。 その黄色は、無理に明るく振る舞う黄色ではない。 失敗も、挫折も、恥ずかしさも、長い時間も知ったうえで、それでも咲いている黄色。 白い雪。 黄色いひまわり。 赤茶色の江別煉瓦。 小麦の金色。 深緑の大地。 水色の空。 琥珀色の時間。 そして、長い年月の先にある金色。 その男は、最初から金色だったわけではない。 土を捏ねた。 釜で焼かれた。 笑われた。 失敗した。 格好悪くなった。 それでも、笑われる人間であることをやめなかった。 やがて、その笑われる姿が、人間らしい魅力になった。 成功しても、どこか隙がある。 スターになっても、どこか親しみやすい。 大きな舞台に立っても、ふとした瞬間に、ジンギスカンの骨だけ渡されて困っているような顔をする。 その姿に、人は笑う。 しかし、嗤わない。 その人が誰かを見下していないことを知っているからだ。 白い雪の上に、黄色いひまわりが咲いている。 その花は、北海道の大地から生まれた。 笑われることを恐れず、失敗した姿を隠さず、暗くなる瞬間を笑顔に包む。 やがてその笑いは、ひとりの人間のものではなくなった。 多くの人の記憶の中に残る、ひとつの明るい風景になった。 白い雪の上に咲く、少し大きくて、生命力のある黄色いひまわり。 その花は、今日もどこかで笑っている。
