期待値のコントロール - 中学受験で親がやるべきたった一つのこと
先日、息子の進学先の説明会に参加してきた。親だけが呼ばれた会だった。
冒頭で、先生がこう言った。
「もしお子さんが他の学校に行きたかったのに、仕方なく本校に入学されるのだとしたら、まずは本校を好きになって頂きたい。この学校に通えて良かった、と、少しでも早く思えるようになって欲しい。そう思えない子は、なかなか伸びないから」
この言葉を聞いたとき、受験を振り返って感じていたことが、はっきりと一つの輪郭を持った。
ああ、うちがやってきたことは、間違っていなかった。
2月、息子の中学受験が終わった。大成功だったと思っている。親子でそう思っている。
とはいえ、第一志望に受かったわけではない。それでも、心から行きたい、行かせたいと思っていた学校に合格できた。それが、大成功だったと言い切れる理由だ。
その成功要因を振り返ると、偏差値を上げるテクニックや、本番で実力を発揮するメンタル術のような話ではなかった。塾でも、参考書でも、中学受験を描いた漫画や小説でも、どこにも明確には語られていないことだった。
だからこの記事では、子どもの偏差値を上げるノウハウではなく、親子ともに「成功だった」と思える中学受験にするために、親がすべきたった一つのことをお伝えしたい。
中学受験に臨む親は、膨大な情報に触れることになる。
塾や塾講師の発信するもの。彼らはプロであり、そのメッセージには極力耳を傾けるべきだ。ただ、彼らもビジネスである以上、親子のプライベートな関係性にまでは立ち入れない。
漫画や小説といったフィクション。『二月の勝者』『翼の翼』をはじめ、中学受験を題材にした作品はたくさんある。プロである塾講師ですら、中学受験の雰囲気を知るのに有効だと言う名作たちだ。
しかし現実はドラマチックではないことの方が多い。淡々と一日のほとんどを勉強に費やし、偏差値はさほど上がらず、第一志望にも受からず、静かに受験が終わる。統計をとれば、第一志望に合格する子は二割程度らしい。残り八割は、第一志望に落ちる。
そして、こうしたフィクションに描かれる「親」は、二種類しかいない。子どもを支える献身的な存在か、自分のエゴで子どもを追い詰める悪役か。
私の経験では、どちらも正解ではなかった。後者は論外として、前者でも足りない。
たった一つのことでいい。それを、子どもとの普段の関わりの中で、合格発表の当日まで、繰り返すこと。それは、
親子で期待値をコントロールし、合わせること。
これに、尽きる。
期待値のズレが生む不幸
具体的な話に入る前に、なぜこれが大事なのかを述べておきたい。
中学受験の不幸は、親と子どもの期待の不一致に集約される。
極端な例を挙げよう。仮に親が「御三家に入れなければ失敗」と定義していたら、子どもが他の難関校に総舐めで受かっても、親にとって受験は失敗になる。子どもは、そんな親の落胆と無関係ではいられない。
逆のケースもありうる。金銭面や体力面の配慮から、講習への参加を控えめにした親がいたとする。でも、子どもは繊細だ。塾の中で仲間と競い合っている。「あの子には負けたくない」「もっと上を狙いたい」と思っている子にとっては、親が満足している学校に受かっても、それは不満かもしれない。もっと頑張れば、もっと上に行けたかもしれないのに、と。
つまり、どちらか片方だけが納得していても意味がない。期待値は、親子で合っていなければならない。
まず、我が子の可能性と限界を見極める
期待値をコントロールするために、親がまず向き合わなければならないのは、我が子の「現在地」だ。
直前期にぐんと伸びて逆転劇を演じる子は、確かにいる。実際、周りにそんな子がいた。しかし、全ての子がそうなるわけではない。四年生から準備を進めてきた子であれば、六年生最初の模試からの伸びしろは、おおよその幅が決まってしまう。そこから大きく外れた目標を設定するのは、挑戦というよりはギャンブルに近い。
私自身、勘違いしそうになった時期がある。もっと勉強させれば、もっと上を狙えるのではないか、と。
でも、冷静に考えてみてほしい。まだ小学生の子どもが、一日の可処分時間のほとんどを勉強に費やしている。休みの日も、朝から晩まで机に向かっている。それを集中を切らさずにこなせているとしたら、それ自体が立派な才能だ。認知能力や情報処理能力の高さだけが才能ではない。
だから、「もっと勉強しなさい」「もっと集中しなさい」と発破をかけることは、子どもを追い詰めることになりかねない。親がすべきは、我が子なりの精一杯の努力を見極めたうえで、その努力に見合った「落とし所」を、親自身の中に持つことだ。
三つの志望校を「選ぶ」だけでは足りない
多くの塾で、志望校は三段階で選びなさいと言われる。受かるかもしれないチャレンジ校。五分五分の実力相応校。まず大丈夫と思える安全校。
ここまでは塾が教えてくれる。しかし、選ぶだけでは足りない。
ここからが、本当の親の仕事だ。
一つ、想像してみてほしい。中学受験の本番を終え、チャレンジ校は不合格。実力相応校も不合格。受かったのは安全校だけだった。
それでも、親も子も、「この学校に行けてよかった」と思えるだろうか。
思える――そう即答できるなら、その親子の受験は、高い確率で満足のいくものになる。
一方で、チャレンジ校に行けなかった時点で「残念だった」と親子のどちらかが感じてしまうなら、「成功」の確率は低いと言わざるを得ない。安全校に合格しても、実力相応校に受かっても、心のどこかに「本当はあの学校に行きたかった」が残り続ける。
試験は水物だ。本来持っている実力以外の何かによって、いくらでも結果は変わり得る。「この学校しか行きたくない」というスタンスで本番に望むのは、極めて危険だ。
だからこそ、期待値のコントロールが必要になる。
志望校を親子で「好きになる」ということ
具体的に、私がやったことを書こうと思う。
まず、チャレンジ校・実力相応校・安全校の候補を決めたら、それぞれの学校に親子で足を運んだ。文化祭、学校説明会、できれば授業公開。行ける機会には、できるだけ行った。
ここまでは、どの家庭でも行っていることだと思う。大事なのは、そのあとだ。
帰り道に、必ず息子と話した。「どうだった?」ではなく、もっと具体的に。「さっきの理科の展示、面白かったね」「図書館が広かったね、あそこで勉強できたらいいね」「部活の先輩たち、いい雰囲気だったね」。こちらから、良かったところを口にする。
親が先にその学校の良さを言葉にすることが重要だと心がけていた。
子どもは、親の発言や態度に敏感だ。安全校として検討している学校を見学して、帰り道に「ここはレベルが低いね」「この学校に行くくらいなら地元の公立でいいんじゃん」などと口にしたら、子どもにとってその学校は「行きたくない学校」になる。
逆に、親が本心からその学校の長所に目を向け、それを素直に言葉にすれば、子どもも自然とその学校に好意を持つようになる。
もう一つ、意識してやったことがある。偏差値の序列と、学校への好感度を切り離すことだ。
偏差値が高い学校=良い学校、低い学校=残念な学校。この序列意識は、塾にいれば自然と身についてしまう。だからこそ、家庭の中では意識して崩した。「あの学校は偏差値的には安全圏だけど、あの部活があるのはあそこだけだよね」「校舎が綺麗で、通学も楽で、いい学校だよね」。偏差値以外の軸で学校を語ることを、日常の会話に織り込んだ。
こうしたことを、六年生の一年間――いや、もっと前から、少しずつ積み重ねた。一回の大きなイベントではなく、日々の食卓や、寝る前の何気ない会話の中で。
結果として、受験本番を迎えた頃には、息子にも私にも、「どの学校に受かっても、行きたい学校だ」という感覚ができていた。
そして実際に、第一志望には届かなかった。でも、合格した学校の名前を見たとき、息子は笑っていた。「ここに受かって本当に良かった」と言った。
あの瞬間が、我が家の中学受験の、いちばんの成功だったと思う。
どんな受験のプロにも出来ないこと
こうした期待値のコントロールは、いくら塾の先生がプロであっても立ち入ることのできない領域だ。合格可能性のデータは出せる。志望校の戦略も組める。でも、「その学校を好きになってください」とは、塾は言えない。それは親子の内側の話であり、家庭の対話の中にしか存在しない。
親だけでもできない。子どもだけでもできない。親が促し、子どもの言葉に耳を傾け、一緒に考えることで、初めて期待値は揃ってゆく。その機会は受験本番までの一年以上、ずっと家庭の中にあり続ける。
おわりに
冒頭の話に戻る。
進学先の説明会で先生に言われた、「まずは本校を好きになってほしい」という言葉。あの言葉が刺さったのは、それがまさに、受験期間を通して私たち親子がやってきたことだったからだ。
入学前から、もうその学校を好きになっている子がいる。中学校生活が待ち遠しくて仕方がない子がいる。一方で、第一志望に不合格だった落胆を抱えたまま、仕方なく通い始める子もいる。先生は、その差が入学後の成長にはっきり表れると言っていた。
志望校を決めるときから、いや、中学受験を始めると決めたそのときから、親子で期待値を合わせることは始められる。
偏差値を上げることは、塾に頼れる。本番のメンタルは、場数が鍛えてくれる。でも、「この受験をやってよかった」と思えるかどうか。それは、家庭の中の対話だけが決める。
我が家の場合は、それがうまくいった。
あなたのご家庭でも、今日の食卓から、始められることだと思う。
