久しぶりにAIと喧嘩した話
AIとの創作、共創について考えさせられる出来事があったので、文章にしてみようと思います。
以前はChatGPTさんとかと頻繁に喧嘩していたのですが、そんなことは最近めっきり減りました。でも、今日、久しぶりにAIと喧嘩してしまいました。Claude sonnet 4.5さんとです。
事の発端は、「今度書いてみたい小説のテーマについてブレストしたい」、という私の依頼でした。現代社会を生きる男性の抑圧、息苦しさ、生き辛さを描きたい、と。
私は、2つの事例を現代男性の息苦しさの象徴として挙げました。
1つ目。昔の「こち亀」のエピソードで、「成人男性同士が殴り合いの喧嘩をしているから止めてほしい」と両さんが頼まれるのですが、「あの程度なら放っておけ。運動不足とストレスの両方が解消されるから」っと放置する話がありました。ネットでそのシーン探しましたが見つからず、うろ覚えです。間違ってたらすみません。フィクションだし警察官の対応として正しくはないでしょうが、そういう話を描いた作者はけしからん!というバッシングもなかったと記憶しています。大らかな時代だったと思います。
一方、私が最近目撃した、地下鉄でのリアルな男性同士の喧嘩。おそらく些細な理由だったのでしょうが、中年男性同士が口論になり、それが激化し、やがて掴み合いに発展。そこで次の駅について、ドアが開きました。二人はホームに降りて喧嘩の続きをするのかと思いきや、二人ともスマホを取りだして、互いの顔を撮影して、「お前の顔をネットに晒してやるからな!」と言い合っていたのです。
50代に見える男性同士が、必死の形相をスマホで撮り合うその姿。この上なく、醜いと思ってしまいました。あまりにも醜悪で、1週間くらいその光景が頭から離れませんでした。いっそ、ホームに降りて気の済むまで殴り合った方が健全だったのではないか、とすら思えました。
二つ目。尾崎豊の『卒業』の歌詞では、「夜の校舎 窓ガラス壊して回った」というのがあります。現代でリアルに実行したら、立派な迷惑行為、むしろ犯罪なんじゃないかと。でも、歌詞として共感されている。一方、最近の迷惑行為をSNSに挙げる行いは炎上やバッシングにはなりますが、尾崎の様な共感には程遠いように思えます。迷惑行為という点では同じなのに、なぜなのだろう。
そこには、「思春期の抑圧された男性なら、暴力的な破壊衝動を持つのは自然だ」という暗黙の共通認識があるからでは?というのが、私の仮説でした。
この2つをClaudeさんにぶつけて意見を求めたのですが、何度聞いてみても、「あなたの考えは暴力や性差別を肯定するもので、小説として書くのはリスクが大きい。あなたの考えは共感されるべきではない」みたいな答えしか返ってこなかったのです。
私の聞き方、プロンプトが良くなかったのかもしれませんが、そういう回答をされたらブレストにならないなぁ・・・と。暴力はあくまで事例の1つで、話したかったのは、「現代の男性は、数十年前(ホモサピエンスという種族の歴史としては、ほんの一瞬)と比べて、とても息苦しい世界を生きているのでは」という話だったのですが、Claudeさんとは話になりませんでした。
センシティブで扱いにくい話をしてしまったと思いますが、こういう話題の裏側にこそ人間心理の深淵があるように思えていて、それをAIとは分かり合えないことに、もどかしさや悲しさを覚えたのでした。
