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どんな解釈も楽しい、という聴き方

目を閉じたら、満点の星空が浮かんだ。


RADWIMPSのトリビュートアルバムで、
米津玄師が歌う「トレモロ」を聴いた。

最初に感じたのは、
「原曲より、
 ほんの少しだけ世界が広がった気がする」
ということだった。

編曲は大きく変わっていない。
構造も、空気感も、原曲を壊していない。
それなのに、
確かに別の作品として存在している感じがする。

同じ曲なのに、違う作品。

そして、どちらもいい。

◼️内にこもる歌と、外に解き放つ歌


RADWIMPSの野田洋次郎が歌う
「トレモロ」は、
感情が内側に向かって
沈んでいくような歌だと思う。

言葉も、声も、
自分の中で反芻されて、
静かに折り畳まれていく
感じ。

一方で、米津玄師の「トレモロ」は、
その感情を外に解き放っていくように聴こえた。

特にビブラートが美しくて、
感情が余白を持って、世界に広がっていく。

どちらが正しい、ではない。
向いている方向が違うだけ。

内に向かう独白と、
外に共有される独白。

◼️正解がないから、意味が増える


この2つを聴き比べて思ったのは、
音楽って
「正解がないから楽しい」
ということだった。

聴いた数だけ、意味が生まれる。
背景を想像すると、無数に解釈できる。


「この人は、
 こんなことを考えて歌ったのかもしれない」
「ここは、あえてこう表現したのかもしれない」

そんなふうに考えるのが、ただ楽しい。

考察している人の話を聞いて、
「なるほど、そういう解釈もあるのね」
と思えるのも、
正解が一つじゃないからだ。

◼️考察は、当てにいくものじゃない


考察というと、
「作者の意図を当てにいくもの」
みたいに思われがちだけど、

私にとっては、
視点のコレクションに近い。

その人はどこを聴いていたのか。
どの言葉に引っかかったのか。
どんな人生フィルターを通して受け取ったのか。

それが見えるのが面白い。

自分の解釈を手放さなくてもいい。
他人の解釈を否定しなくてもいい。

どんな解釈も楽しい、でいい。

◼️だから、音楽が好き


音楽に詳しいわけじゃない。
専門的なことは分からない。

でも、想像することはできる。
想像できるから、世界が少し広がる。

同じ曲なのに、
違う作品として同時に存在できること。

正解がないから、
意味が増えていくこと。

たぶんそれが、
私が音楽を聴き続ける理由なんだと思う。

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あおい|仕事と本音のあいだ 仕事に子育て、アニメ。ごちゃまぜな日々の中でいつも何かを考え中です。日常のつぶやきですが、どこかで「わかる!」と共感してもらえたり、心に響くものがあればとても嬉しいです☺️ 良ければぜひ、応援よろしくお願いします🍀