“優しさの正体”に気づいたとき、人間関係の見え方が変わり始めた-お互いhappyな関係性を目指す😁-
■ 優しくしていれば、うまくいくと思っていた
人に優しくすることは、
いいことだと思っていました。
できるだけ相手を気遣って、
嫌な思いをさせないようにして、
波風を立てないようにする。
そうやっていれば、きっと大丈夫だと
信じている節がありました。
■ その優しさの奥にあったもの
でも、ふと気づいたことがあります。
私は相手に「優しくしていた」のではなく、
「嫌われないために動いていた」
だけだったのかもしれない、と……。
優しくすれば、きっと大切にしてもらえる。
優しくすれば、きっと愛してもらえる。
そんなふうに、いつも心のどこかで
見返りを求めていました。
■ それは、生きるための選択だった
言い訳をさせてもらえるのならば、
あの頃の自分にとっては、生きていくための
選択だったのだと思います。
ただ、その優しさは、
ずっと“自分のためだけ”に使われていました。
それを白状すると
恥ずかしくて穴があったら入りたい
状態になります……あぁ……ぁぁ……😖
■ 自分ばかりを見ていた関係
どうしたら嫌われないか。
どうしたら見捨てられないか。
気づけば、矢印はいつも自分に向いていて、
相手のことを見ているようで、
相手を見ていなかったな、と反省します。
もちろん相手のことを思って
何かしたこともあります。
でもその相手を思っていた比率は
僅かだったのではないか、
と思い返すと反省ばかりです……。
■ どちらかだけが幸せな関係は続かない
でも、人間関係は、
どちらか一方だけが満たされる形では、
少しずつ歪んでいきます。
自分ばかり我慢する関係も、
相手にばかり合わせてもらう関係も、
長く続けることは難しいです。
そのうち破綻する可能性もあります。
どちらかだけがどちらかだけに寄りかかる
という関係は、バランスを崩す可能性が高いと
個人的に思います。
■ 「お互いにハッピーなポイント」を探す
だからこそ、最近はこう思うようになりました。
「お互いにとって、心地いいポイントは
どこだろう」と。
自分が無理をしていないか?
相手も無理をしていないか?
どちらかだけが頑張っていないか?
どちらかだけが我慢していないか?
その“ちょうどいい場所”を、少しずつ見つけていくことが大事なのではないでしょうか。
■happyという単語のニュアンス
happyには、もちろん「幸せ」
という意味があります。
ちなみに英語で「幸せ」を指す「Happiness」の語源は古ノルド語(古北欧の言語)の「happ」(機会)とされており、「happen」(起きる、偶然出くわす)という動詞も起源は同じです。 日本語も英語も「幸せ」ということばの語源は、偶然の機会を指すというのは興味深いですね。はじめは偶然の機会としての「幸運」を指していたものが、だんだんと人間が自ら作り出すものという、主体的意思を込めた意味が付加されていったものでしょうか。
そして、(be) happy with〜
という用法だと、「〜に満足している」
という意味になります。
もちろんお互い何の不満もない、
なんて関係は逆にありえないと思いますが、
それでも、お互いどのポイントだったら
満足を得られやすいだろうというのを
探す努力はできるのではないでしょうか?
■ 優しさは、関係を育てるためのもの
優しさは、誰かに好かれるための手段
ではなくて、関係を育てていくためのもの。
そう思えたとき、
人との距離の取り方が、
ほんの少し変わった気がします。
相手に差し出し過ぎない。
相手からもらい過ぎない。
その微妙な匙加減を、
今学んでいるのではないだろうか、と。
■ これから大切にしたいこと
これからは、
自分だけでも、相手だけでもない、
「お互いにハッピーでいられるポイント」
を探っていきたいです。
ただの理想論と言われてしまうかもしれません。
それでも、今まで白黒思考で
自分のため、もしくは相手のために
極端に偏っていた思考を、
徐々に緩めていきたい、そうも思いました。
今日も1日おつかれさまでした。
よくがんばりましたと自画自賛😌
