「強くなれ」と言われ続けた私たちへ
「もっと強くならなきゃ」と思って生きてきた
私は長い間、
「自分は弱い」
「もっと強くならなきゃいけない」
と思って生きてきました。
少し傷ついただけで落ち込む。
人の言葉を引きずる。
空気を読みすぎる。
怖くなる。
泣きたくなる。
そんな自分を見て、
「こんなんじゃ社会でやっていけない」
と、自分で自分を追い込んでいました。
家族も「生き延びるため」に必死だったのかもしれない
そんな中で最近、
違う見方もできるようになってきました。
家族は私を苦しめたかったわけではなく、
「このままじゃ生きづらい」
「もっと強くならないと傷つく」
「社会は甘くない」
そんな不安や焦りから、
気にしすぎ
泣くな
強くなれ
ちゃんとしろ
を伝えていた部分もあったのかもしれません。
特に厳しい時代や環境を生きてきた人ほど、
“弱さを見せると生き残れない”
感覚を持っていることがあります。
だから、
優しく受け止めるよりも、
鍛える方向へ行きやすかったのでは、と。
「悪気がなかった」と「傷つかなかった」は別
でもここで大事なのは、
「悪気がなかった」
ことと、
「傷つかなかった」
ことは別だということです。
家族には家族の事情や、
生き延びるための価値観
があったのかもしれません。
でも感受性の強い子どもだった私にとっては、
「そのままではダメ」
を繰り返し受け取る体験にもなっていました。
本当に必要だった言葉
本当は、
「怖かったね」
「つらかったね」
「嫌だったね」
そう受け止めてもらうことが必要でした。
でも私はそれより先に、
「強くならなきゃ」
「泣く自分はダメ」
「ちゃんとしないと嫌われる」
を覚えていきました。
だから今も
“生き延びるために身につけた厳しさ”
を、自分自身へ向け続けてしまう
ことがあります。
私は「弱いだけ」ではなかった
でも最近私は
ただ弱かったわけじゃなかったと思います。
長い間、
空気を読み
我慢し
人を観察し
自分を責め
崩れないよう必死に耐えて
生き延びてきた。
それは強烈な強さではないかもしれません。
でも自分ならではの強さ
ではあったんじゃないかと思うのです。
「もっと強く」より、「もう少し安心してもいい」
だからこれからは、
「もっと強くならなきゃ」
だけではなく、
「もう少し安心してもいい」
を少しずつ自分に教えていきたいです。
そんなふうにすこしずつ。
