絶望の検索履歴を、私はどうやって消したか。
先日、会社の同僚が大きな交通事故を起こした。
詳細は書かないけれど、その知らせを聞いたとき、
胸がざわついて仕方なかった。
「もしそれが夫だったら?」
「いや…自分自身だったら?」
そんな想像が、抑えようもなく広がった。
同僚が今どんな気持ちでいるのか。
どんな処罰になるのか。
これからの人生はどうなってしまうのか。
想像しようとしても…はかり知れない。
だけど──
あの夜のことを思い出した。
「なんで私ばかり、こんな目に?」
「私が何をしたっていうの?」
泣きながら、スマホに打ち込んでいた。
「出口 見えない」
「生きる意味」
「疲れた 消えたい」
その履歴が、自分の“心の底”みたいで、
目を逸らしたくなった。
そんなとき、タイムラインに流れてきた
一冊のタイトルが、今の自分に向かって
語りかけてくるようで、指が止まった。
田坂広志『すべては導かれている』
うさんくさいと思いつつ
でもその時はもう、何だってよかった。
とにかく、「この苦しみに意味がある」と
誰かに言ってほしかった。
…いや、そんなきれいごとじゃない。
ただ何かにすがりたかった、それだけだ。
その中にあった一文──
人生を分けるのは、
出来事そのものではなく、
それをどう解釈するかである
「そんな都合のいい話あるか」と
すぐには受け入れられなかった。
でも、時間が経つにつれ、
その言葉が、ゆっくりと、
自分の中に染みこんできた。
どう頑張っても“現実”は変えられない。
でも、“解釈”だけは自分の手に残されている。
そしてその「解釈」が、次に踏み出す一歩を
決めていく。
解釈が変わると、見える景色が
ほんの少し変わった。
それだけでも、あのときの私には
前進だった。
検索履歴を消したのは、決意ではなく、
静かな納得だった。
「もう、答えを探す夜は終わりにしよう」
そう思えたとき、スマホに向けていた指が
止まった。
私もいつかまた、何も信じられなくなる夜が
来るかもしれない。
そのときこのnoteが、未来の自分への手紙に
なっていればいいと思う。
同僚の事故を聞いてからずっと
心がざわついているのは、
彼の痛みが他人事じゃなかったから。
今の私に「この本を読んで」と伝える術はない。
でもどうか、彼にも、絶望の先にある光を、
"解釈"を、見つけて欲しい。

