16年目の命日に思う 「弟の手帳と、ベトナムへの道」(2)
弟のバッグと、始まりの電話
弟が運び込まれた大阪の病院から連絡があったのは、
香川県で母と一緒にいた時でした。
慌てて荷物をまとめ、私たちはすぐに車で大阪へ向かいました。
病室に通されると、そこには弟の持ち物が一つだけ置かれていました。
それは、深いグリーンの本革の手提げバッグ。
見ただけで「3万円以上はするだろうな」と思う上質なものでした。
その中に入っていたのは、
たった二つ 手帳と携帯電話。

____弟のことを思い出す____
弟は、“いいものを長く使う”主義でした。
持ち物は少なくても、一つ一つにこだわりがあるタイプ。
当時の私はというと、安物をたくさん買って安心する貧乏性。弟はそんな私を見て、よくこう言っていました。
「お前、そんな安モンばっかりいっぱい集めて持つんやめて、ええもん一つに絞れ。
そうせな、ほんまに“ええもん”がどんなもんかわからんやろー。」

いつも上から目線で言うし 態度がでかいから、
周りの人には「姉弟」じゃなくて「兄妹」だと思われていました😆
弟がいなくなって、彼を見習い 私がいいものを大事に長く使おうと思えるようになったのは10年以上後の最近です。
弟という人
短命の人は魂レベルが高い──
そんな話を聞いたことがあります。
弟は、そうだったのかもって思います。
共感力が高く、リーダーシップがあり、
いろんな人から慕われて
ファッション関連のセンスは良くて、交渉上手。
そして何より人懐っこい。
特におばさん世代からは絶大な人気(笑)。
私がデパートの催事売り場で販売していた時、
ふらっと 来てくれた弟のおかげで、売り上げは倍になりました。
「おばちゃん、絶対こっちの方が似合うわ。
なんでかって言うたらな──」
軽やかに会話しながら、お客さんの心を掴むのが本当に上手でした。
まるで“おばさん向けのホスト”みたいに。

英語もペラペラでした。
……が、どうやら“オラオラ英語”だったらしいです。
アメリカに留学していた頃、交渉力がナカナカなものだと
現地の人から褒められていたので、
きっと「押せ押せ」「ガンガン」いっていたのでしょう😆

バッグの中の手帳
病室で、私は弟のバッグから手帳を取り出しました。
中にはびっしり書かれたアポイント。
「この予定、全部キャンセルしなきゃ…」
そう思って、私は一件ずつ電話をかけ始めました。
名前を検索すると、出てこなくていいのに、
ちゃんと出てくるんです。
……そして、その電話が、すべての始まりでした。
弟の関係者からの電話を私が受けるようになり、
ベトナムの工場の社長からも連絡が来ました。
気づけば、私はベトナムへ行くことになっていました。
あの時、あの手帳を開かなければ、携帯の電源を
切ったままにしておけば・・・
今の私は、ここにはいなかったかもしれません。
運命の歯車は、静かに、けれど確実に回り始めていたのです。

