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■■大阪を歩こう!■■⑥「大坂」の地名の語源にもなった、上町台地の旧街道歩き

大阪の上町台地でこの4月から新生活を送っています。そんな街を歩いていた際、こんな道標が整備されていたのが気になりました。

熊野街道」と書かれた案内標です。

ということで、ちょっと気になったので、熊野街道を少しばかり辿ってみたいと思います。

■1 熊野街道とは?

熊野街道とは、世界遺産にもなっている、熊野三山への参詣の道のひとつで、大阪から紀伊半島に向かう古い街道です。そのスタートは・・、

ここ、八軒家浜です。

八軒家浜とは、淀川の舟運の拠点として昔から栄えた場所で、かつては京都から大阪に人や物を運ぶ、三十石船の船着き場としてにぎわった場所です。ある意味大阪の水辺の玄関口、そういう場所がこの街道のスタートでした。そこから、上町台地を通り、大阪から和歌山に向けて、平行する紀州街道より少し内陸側を通りながら、紀州のほうに抜けていく街道筋です。

この街道筋を辿るには、こちらのHPが親切です。大阪府内を中心に、街道筋の元々のルートを紹介してくれています。ちなみに、熊野街道だけでなく、他の街道筋も紹介してくれているので、また別の機会に探索してみたいと思います(笑)。

しっかりと街道の情報を紹介してくれている頼もしい案内サイトです。

熊野街道の案内(大阪府HPより)
https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/29351/k01-16.pdf

■2 「大坂」は、上町台地に登る坂が由来!?

さて、街道を少し歩いてみたいですが、八軒家浜を出るとすぐに、上町台地に登る坂道が出現します。「大坂」という地名の語源は、このような上町台地に向かう大きな坂を意味していて、八軒家浜から上町台地に向かう主要な街道筋であった、熊野街道のこの場所は、「大坂」という地名を表す場所、と言ってもおかしくない場所かと思います。

この坂道こそ、「大坂」なのでしょうかね??
道中には、きちんと道標や説明板が整備されています。
こんな感じで、定期的に道標があり、街道めぐりが楽しくなります。

■3 上町台地を歩く

熊野街道は、上町台地を南北に貫きます。中央大通りと阪神高速を、こんなすれすれの高さで横断します。これはあくまで私見ですが、普通の道だったら、ちゃんと立体交差できるところまで迂回するように道の形が変わってしまうのでしょうが、ここはさすが旧街道、分断することは避けたくて、無理矢理つなげるような道になったのではないでしょうか?

中央大通りと阪神高速をこの高さで横断します。
頭上注意 高さ1.7mです!

■4 「太閤下水」という現役下水道遺産

そして、この街道筋を歩いていると・・、

南大江小学校という、伝統校があります。
創立100周年記念のモニュメントがありますが、この一角に・・、
こんな見学スペースがあります。

実はここ、太閤下水という、豊臣秀吉が大阪城を築城した際の城下町に整備したのが原型とされる、下水道の暗渠で、今も現役の施設なのです。この下水は、碁盤の目の町の両側の裏側に暗渠を設置し、どちらの町からも排水できるようにした、背割下水という方式を採用しています。

こちらの窓からのぞくと、石積みの側壁と、今もしっかり流れる下水が。

かつては、道路と交差する場所以外は開渠だったそうですが、そこにコンクリート製のふたをして、暗渠になっているのが基本なのだとか。

この建物と建物の間に、恐らく太閤下水の暗渠が続いています。
そういう目線で見ると、こんな路地の下には、下水があると想像しちゃいます。
意外とこういう路地が多いのです・・。

大阪市の下水道台帳で眺めてみると・・、

南大江小学校をまっすぐ横切る、背割下水。

背割下水は、町割(町の境界)でもあり、そこに排水路を通すという思想だったそうです。

■5 巧みに高低差を避ける街道筋

さて、上町台地をさらに進む熊野街道ですが・・、

街道筋に建つ、このちょっと古そうなビルですが・・、
こちらは、UHA味覚糖株式会社の研究施設。

味覚糖の本社は、今はここから少し離れた表通りである、松屋町筋にショールームを兼ねたものがありますが、ひょっとしたら昔はこちらが本社だったのでしょうかね?今の本社ビル、カフェとかもあり、なかなかいい雰囲気です。さすがは「天下の台所」、さりげなく有名な会社がありますね。

こちらが、松屋町筋にある、UHA味覚糖本社ビル。

さて、味覚糖のビルを少し過ぎると、街道は東に折れます。まっすぐ進むと、こんな階段が。

街道をまっすぐ行き過ぎると、急に現れる石段。
その脇に、小さな祠が建っています。
さらには、「南国太平記」の石碑が。

実は、上町台地と言っても、結構起伏に富んでいる場所です。国土地理院の地形図と街道筋を重ねてみると・・、

長堀通りに向かっての急坂を避けて、尾根沿いに折れる旧街道。

こんな感じで、街道筋は急坂を避けて通っているのだそうです。ちなみに豆知識ですが、こちらの地図では碁盤の目に描かれた地割があり、この地区の街路には、いきなり急坂が出現したりするのですが、なぜか大通りである長堀通りだけは少し北に迂回し、緩やかに坂を登るようになっています。恐らくこれは、大正時代の地図と重ねてみると、大阪市電が通るルートだったので、急勾配が苦手な電車のために、坂を緩くする工夫だったのでは?と思われます。昔から、意外と上町台地への「大坂」は難所だったのですね。

大正時代の地図。長堀通りに市電が走っていますね。
長堀通りをまっすぐ進むと、ご覧の通りの階段の急坂になってしまいます。
こんな街路が旧街道だったとは・・。緩やかな起伏がある街道筋。
谷町筋を渡ります。今では交差点を立体交差できる車道があります。
谷町6丁目交差点です。
長堀通りを渡る交差点にも、さりげなく「熊野街道」の文字が。
古い町ですが、たまに面白そうなお店がある感じの界隈です。

■終わりに

こんな感じで、天満橋駅の近くの八軒家浜から、谷町六丁目界隈までの熊野街道をご案内しました。もう少し南に進むと、四天王寺、阿倍野、住吉大社・・みたいな場所を辿っていけるようで、これはまた色々と街道めぐりがしたいな・・と思い始めたところです。これ以外にも、京街道や中国街道、紀州街道、暗峠奈良街道・・など、いろんな街道筋があります。江戸には「五街道」があり、それらは教科書にも取り上げられ、大名の参勤交代などもあり、華やかで賑やかなイメージですが、大阪の旧街道筋は、どちらかというと庶民が参詣のためなどに歩いた道が多いイメージで、さりげなく旧街道、という佇まいの場所が多い感じがします。そういうところを見つける街歩きも、また楽しいのではないでしょうか。

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