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【思い立って千葉旅】①佐原に行くつもりが佐倉に行った話

1月の正月明けの3連休は、年末年始の海外旅行から帰って来たばかりで、何をするか全く決めていない状態でした。家族は実家のある関西に帰省したのですが、自身は3連休に自宅で少しやることがあるので、自宅に居残ることに。そして、自宅での予定は、連休中日の朝のうちにあっさりと終了。さあ、約2日間時間があるなあ・・と思ったら、急に旅に出たいと思い立ちました。近場だけど少し遠くに行った気持ちになり、自由に旅ができるきっぷとか、無いかな・・と思っていたら、こちらのきっぷが目に留まりました。

お、これは旅行するのには最適なきっぷではないのか・・!!

期間限定で、千葉県内の鉄道会社のほぼ全部が2日間乗り放題になる、「サンキュー♡ちば フリー乗車券」。これで、1泊2日の千葉ぶらり旅に出かけよう!ということで、当日思い立って、今回の千葉旅が始まりました。

行先はあまり何も決めておらず、とりあえず房総半島を1周しそうかな??と思い、当日予約できたビジネスホテルを予約。千葉は結構広いですが、1泊2日であれば、色々回れそうかな・・と思いながら、旅を始めました。

まず、向かいたかったのが、伊能忠敬の故郷でもある、水郷・佐原。そこを目指して電車旅を始めたのですが・・なぜか佐倉の町を歩くことに。佐原と佐倉、よく間違えられる2つの町は、結構離れているのですが・・。そんな旅の模様をお伝えします。

■1 千葉への旅をスタート

旅のスタートは、フリー乗車券を入手するところから。都内の駅では、自動券売機で発売されています。

こちらがそのフリー切符です。

最初に乗ったのは、京葉線。京葉線といえば、内房線・外房線に向かうのに便利な路線です。実は、まだこの時は、千葉に行ってもどこに行こうか決め切れていなかったのです(笑)。

ひとまず、京葉線の快速電車に乗車。
京葉線の魅力は、千葉県内に入ると、東京湾の海が見え始めるところ!

実は、京葉線の電車の中で、「佐原に行きたい!」ということを決めたのです。ということで・・、

終点、蘇我駅に到着するや否や・・、
内房線 各駅停車 千葉行き に乗車。
最近の房総方面は、この色の電車が多いのです。

実は、この日は房総半島に低気圧の影響による強風が吹き寄せていて、内房線は上総湊駅から先が運休中。ということで、内房・外房方面はちょっとやめておこうか・・という感じで、佐原に行きたいと決めました。

■2 千葉駅から佐原を目指すが・・

そんな感じでやってきた、千葉の大都会、千葉駅。
総武本線の電車に乗ります。

佐原は、佐倉駅から分岐する成田線に乗り換えて向かう必要があるのですが、成田線の電車の発車まで時間があったので、先に出発する総武本線の電車に乗り、乗換駅の佐倉駅まで行きました。

というわけで、佐倉駅に到着。

そこで、駅のアナウンスで、「総武線で強風により架線に支障物が引っ掛かり、しばらく電車が来ない」との放送が入りました。佐原に行くと、宿をとった場所まで帰ってこなければいけないのですが、こんな運転状況だと、それは断念せざるを得ないな・・というのと、京成線は動いていそうだから、佐倉の町を見ながら、京成線の佐倉駅まで歩こう!と思い立ち、佐倉の町中方面を通って乗り換えをしようとしたのでした。

■3 11万石の城下町 佐倉

佐原は、利根川の下流部にある、水郷の街です。江戸時代に利根川が改修されて、舟運で栄えた街でした。一方、佐倉は、11万石の佐倉城の城下町として栄えました。その2つの町がJR成田線でつながっているという、ちょっとややこしい関係です(笑)。

ここで少し、佐倉のある、千葉県の北東側の地形を、国土地理院の地形図で書かせてみましょう。千葉県北東部は、北側を利根川が東西に流れ、利根川から分かれる形で印旛沼や手賀沼のような低地がちょっと複雑な形で入り込んでいます。そして、その南側に下総台地が広く分布しています。

北側に利根川と印旛沼・手賀沼、その南に下総台地がある地形。

下総台地は、毛細血管のように細かい谷戸を形成していて、なかなか起伏に富んだ地形をしています。佐倉は、その下総台地に、印旛沼から蛇行する形で伸びる低地が入り込んだ岬のような地形になります。

佐倉は、東京方面から成田方面に向かう際に、最短ルートを通る際に必ず通らなければいけない低湿地を、少しだけの距離で越えることができる場所であり、そういう意味で交通の要衝であり、江戸の防衛の要でもある場所だったので、お城が作られたのです。ちなみに、京成線やJR線は、佐倉の旧市街地に駅を設けたくても急な崖に阻まれて駅を作ることができず、旧市街の南北の低地に駅を作らざるを得なかった、という立地条件のようです。

佐倉付近の拡大図。

佐倉駅と京成佐倉駅の間の等高線図をさらにお見せします。低地の中に半島のようにある台地。どちらの駅からも、旧市街地までの間は急坂があるという、なかなか特徴的な地形を持つ町。さて、前置きが長くなりましたが、実際に歩いた模様をお伝えします(笑)。

南のJR佐倉駅と、北の京成佐倉駅との間にある、半島のような城下町。
城跡は半島の西端、城下町は半島の東側にあります。

■4 佐倉駅から歩く

佐倉駅の駅前広場。ちょっと人通りが少ないです。

佐倉駅の少し西側には、線路跡っぽい空地がありますが、これは物井駅との間のかつての旧線の廃線跡の名残。今は物井駅との間にある丘陵はトンネルで越えますが、かつてはこの丘陵を迂回して低地を回るルートでした。また、駅の南側には小さな機関区がありました。

佐倉駅のすぐ西側には、かつて線路が引かれていたようなスペースが。
航空写真の新旧比較。かつての線路は、北側に伸びています。
駅の南側には、転車台のある機関区が見えます。
駅の近くの公園には、SLが保存されています。
機関区のあった町のSLとして、大切に保存されています。
お城に向かう急坂を登ります。
武家屋敷が何軒か建っています。

佐倉城址は、明治維新以降は日本陸軍の歩兵第2連隊などが置かれていました。第2連隊を率いたのが、日露戦争時代の陸軍大将である児玉源太郎であり、その居宅跡であることを示す説明板がありました。

ここが、明治時代の陸軍大将、児玉源太郎の居宅跡。
佐倉藩の藩校である、成徳書院跡。
今の千葉県立佐倉高校の前身です。

佐倉城址は、戦前は陸軍の連隊が置かれていたのが、今ではその跡地に国立歴史民俗博物館になっています。城下町とは武家屋敷を挟んで少し離れた場所にあります。

城跡と城下町の間にあった、佐倉養生所の跡地。
こちらは、佐倉藩の鎮守の神様、麻賀多(まかた)神社。

そして、麻賀多神社の東側に、佐倉の城下町が広がります。

城下町が広がります。江戸から成田を結んだ、成田街道です。

佐倉の城下町は、成田街道の宿場町でもあったようです。

そして、成田街道が折れ曲がるこの交差点に、「佐倉町道路元標」が。

城下町にある、老舗の和菓子屋、蔵六餅本舗は、実は銀座にある「木村屋」の2号店として明治時代に佐倉にできたお店です。陸軍の連隊にパンなどを納める役割を果たしていたとか。明治以降の城下町は、軍都を支える城下町でもあったのですね。

明治初期から続く、蔵六餅本舗。
蔵六餅は、餅入りの最中。昭和29年の佐倉市制施行を記念した名物です。

そして、城下町の中心にあるのが、佐倉市立美術館です。正面に古い建物が残されています。これは、旧・川崎銀行(今の三菱東京UFJ銀行)の佐倉支店跡で、その後当時の佐倉町に売却され、かつては市役所の庁舎として使われていました。

旧・川崎銀行佐倉支店跡です。立派な建物です。
城下町から、京成佐倉駅へ向かって下っていく道路。なかなか趣があります。
そして、たどり着くのが、京成佐倉駅です。

■5 京成佐倉駅から、新たな目的地へ!

京成佐倉駅に到着。「サンキュー♡フリー切符」は、千葉県内の京成線にも乗れるので、しばらくダイヤが乱れそうなJRではなく、京成線に乗って、成田空港周辺をめぐろう、という目的地に切り替えることにしました。

都営地下鉄や京急と直通運転をしているので、車両も各社から来ています。

というわけで、京成線の電車(都営線から直通)に乗り、成田を目指すこととします。その模様は次回にお伝えします。

■終わりに

急に思い立ってぶらりと出かけた千葉への旅。行先もあまり決めない中、佐原に行こうと思ったら強風に阻まれ、佐倉で城下町を眺めながらJRから形成までの徒歩乗換を実施したのでした。結果的には、とても面白い街の様子をはじめて知ることができました。

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