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5-1 わしがついている以上お前がマーヤを一度でも抱けば完全にお前の勝ちだ ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~


ディミトリは、ザレン茶舗の石造りの建物を裏口から駆け上って、ザレン爺の書斎に走るように駆け込んだ。

ザレン爺はぴかぴかに磨かれた重厚なチークの書き物机の上で、葉巻の口火を切って、ゆるゆると葉巻を焙っていた。

「おい、ずいぶん早く帰ってきたな。...まさか振られたか」

「いや、振られたどころか...訳が分からねえ。まるでザレン様のご冗談そのままだった...だがご冗談ではないとおもう...ご、ご自分の方から...ずっと昔から好きだったと仰って…涙まで流しなすって…ご自分から俺に口づけまでしてくださったから...たぶん、ご冗談では、ない…」

ザレン爺はちょっと眉をひそめた。

(マーヤの馬鹿め!これだから処女は。せっかくディミトリに出世欲を出させよう、お前を獲得するために死に物狂いに働かせよう、と焚きつけてやったのに、そんな安売りしては高嶺の花でも何でもなくなるではないか!)

「何。マーヤ殿がお前なんぞに何でそこまで...しかもなぜそれでいて、お前はこんなすぐさま帰ってきたのだ」

ディミトリはザレン爺の書き物机に袋に入った金貨をざらざらとぶちまけた。

「市民権を買いたいんで。ザレン様のサインが欲しい」

「お前!...こんなにため込んでいたのか…!!酒も煙草も賭け事もやらないにしてもよくもまあ、ここまで貯めたな...!」

「衣食住は面倒見てもらってますから使いようがないんで」

(おかしい…確かに酒も煙草も賭け事もやらずに10年もすれば貯まるにしても...いくら何でも、異常に多すぎる...!)

ディミトリはザレンの不審そうな顔を見て少し険しい顔で言った。

「ザレン様、言っとくが、俺は茶舗の金は一銭たりともピンはねしてねえよ?ザレン様は知らなかったっけか?俺は茶舗の他にもいくつか仕事をしてます。休みの日に暇だからよ...たとえば、植木屋のハンス爺さん、ご存知でしょう、ハンス爺と一緒に、剪定とか、力仕事とか。茶舗の上客の上級市民の奥様連中の家に行くとめちゃくちゃ駄賃がいいんで」

「何だと!植木屋を手伝っているのは噂には聞いていたが...お前、その、敗戦奴隷の黒鉄の首輪を付けたままで、じょ、上級市民の自宅にまで仕事に行ってるのか!」

「あーー。お貴族様の家にだって時々行くよ?俺は茶舗の仕事で金持ち連中に接客慣れしてるから、ハンス爺さんの職人仲間の平民の小僧どもなんかよりも、俺の方がよっぽど間違いがねぇ。だからハンス爺さんは金持ち相手のときに限って、あえて俺ばっかり連れて行くのさ。俺は敗戦奴隷とはいえ、穏やかで有名な変わりモンだって街中の評判になってるし、ふつうの上級市民の奥様なら『あーあのザレン茶舗の店長のおだやかなお兄ちゃんね、喋ったことあるわ、なんだ、敗戦奴隷っていっても、別にあの子なら寄越して構わないわよ』ってなりますよ。だから何人かの間で評判になり始めたらもうこっちのもんですよ」

「...市民権の金だが...こんなには要らん!この4分の1もあれば市民権は手に入る。もちろんサインはしてやろう」

「4分の1だって?そりゃあ下級市民権だろ?そんなもんいまさら要らねぇよ。俺が欲しいのは一足飛びに普通市民権だ。...確か隷属の契約者がザレン様のように上級市民で、ザレン様の推薦状があれば、普通市民の取得がこの金額でちょうど可能ですよね?...推薦状を書いてほしいんです」

ザレンは目を見開いた。

「どういうことだ?マーヤ殿がお前に『いますぐ普通市民権を取れ』と仰ったのか」

「まさか。マーヤ様はまさか俺がここまで貯めこんでるなんて知る訳もねえ。無理を言うようなお方でもねえ...ただ俺が勝手に...マーヤ様の家ん中を見て...俺とマーヤ様じゃあつり合いが取れねえにもほどがあるって…つくづく思い知ったんでさ...まずは最低限の誠意を見せる...いくらマーヤ様が俺が気に入ったって仰ってたって...今のままじゃ上級市民の男にマーヤ様をかっさらわれるのは時間の問題だ」

ザレンはやっと合点が言ったように笑い声をあげた。

「結果的にはわしの狙い通りにお前を焚きつけられたようじゃないか」

「...それに俺が奴隷身分のままで、マーヤ様に俺そっくりの肌の浅黒い子を孕ませる事にでもなったら下手すると産まれた子は奴隷身分だ。子供とマーヤ様に謝って済まされる話じゃねえ」

ザレンは満足げに微笑んだ。

「全くな」

「…マーヤ様が、...高貴な方にたまにあるみたいに、遊びというか...いい家に輿入れ前にただ1回2回だけ俺と寝て思い出を、って意味なのか...それとも、常識では決してあり得ねえとは思うが、まさか、まさか、本気で俺と夫婦になっていいぞ、俺を夫と崇めて一生俺にかしずいて下さる、一生俺だけの女になって俺に毎日裸に剥かれて抱かれてやる、とまで言ってくださっているのか...それはわからねえが、だからってどっちの意味かなんて面と向かって聞けねえし...とにかく俺なりにあがいてみようかと思う」

「はん!マーヤがお前との事が一晩の火遊びか本気か、だと?そんなもんどっちでも構うものか、とにかくお前に口づけして一度は家まで連れ込んでくれたんだろ、お前と寝る気は、最低でも一回は、必ずある!あとはマーヤがお前と結婚せざるを得ないように、内堀からも外堀からも、徹底的に追い詰めてしまえば済むことよ」

ザレンは一息ついて葉巻を吸った。

「内堀に関しては、お前が一回でもマーヤと寝る機会があるならお前の勝ちさ。なぜってこのわしが!お前に女の本当の抱き方を教えてやるからな。賢いと言っても小娘だ。はじめは少々嫌々の結婚だったとしても、他に本命の忘れられない男がいたとしても…ふ、あんな小娘、いや女ならみんな、毎晩毎晩、徹底的に子宮の奥底まで熱くなるようにな、丁寧に丁寧に抱いてやればな、じきに骨抜きになってお前のいいなりに縋り付くものさ」

「ったくよお...女を虜にするならザレン様に任せろだと?ザレン様の大ぼらには付き合いきれねえよ」

ディミトリはザレン爺の話は、自分を元気づけようとして言った、ザレンなりの気遣いの冗談だと信じきって、失笑気味に答えた。

だが、ザレン爺の言っていることは実は本当ではあったのだ。女を子宮から完膚なきまでに満足させることで、気位の高い女を従わせ、自分に尊敬させ、一生自分の虜にする方法を、ザレン爺は知っていた。そしてそれをザレン爺は実際に自分の亡き妻をそのようにして従えたし、まさにそういう技を使って女を骨抜きにしてきた。

...ただし...そうやって女が究極に満足するほどの肉体的な充足を女に日々与え続けた時...男の方はどうなるかというと...実は...。

ザレン爺は、そのことはあえて今ディミトリに説明しなかった。まあ説明しなくても特に問題ないような内容ではあるし、健康に利こそあっても害になる訳でもない。

だから、年長者として女たらしの達人ぶって魔法使いのような技を知っていることをちょいと格好を付けたかったこともあるし、なによりディミトリにやる気を出させたかったので、そこはあえて伏せたのである。

「ディミトリ。そんな事より問題は外堀だ、マーヤに気がある男どもや、お前の足を引っ張ろうとする男どもが、お前に競り勝とうと邪魔してくるはずだ。...要するにつまり、とうとうお前、本気で稼ぐしか無くなってきたってことだなあ...?んん?」

ザレンの瞳が久々の心躍る余興に、ぎらついている。

「解ってますよ…で、ザレン様、推薦状のせめてものお礼に...いくつか儲け話の案があります」

ザレンの目が輝いた。

「いきなりそう来たか...!やはりお前は面白い...!わしの人生の最後の余興がはじまったな。お前がどこまで稼げるか、わしに見せてみろ!その、わしそっくりの顔で、街中の男達を蹴落として、この街でどぎつく成りあがって見せろ!わしは何年もそれが見たかったのだ!...おい、解ってるな...?精いっぱい気張れよ...?...さもないと、手品師が手品の鳩をかき消すように、まずわしがお前からマーヤを盗んでやるぞ…?一瞬でな!ふ、ふ、ふ...そうなってからぴいぴい泣いても返してやらんぞ..?」

その時、ザレン爺の眼が、いま目に前にいないマーヤを思い出してゆっくり反芻し、老人にあるまじきなんとも言えないえげつない様子で、獲物を見つけて構える蛇のようにぎらりと光らせたのを、ディミトリは完全に見逃していた。

「はあ?上級市民の若い男ならともかく、ザレン様がマーヤ様を俺から一瞬で取り上げるですって?この爺様ったらもう、またまた大ボラこきやがるんだから」

ザレン爺は、ディミトリとは隷属主と奴隷の関係でありながら、下手な本物の祖父よりもよっぽどディミトリを大切にしていた。ディミトリも二人きりの時ならこうやっていくらでも軽口を叩いている。

金の計算、人あしらい、仕入れのコツ、茶の目利き...ディミトリを丁寧に丁寧に一人前の商売人に育て続け、食事や生活も簡素に見えて下僕としてはありえない待遇を与え、一回たりとも奴隷としての理不尽な暴力も命令も要求しないザレン爺。

ディミトリは、この爺のことを、本物の血の繋がった祖父のように信じ切っているのだった。

「…はいはい、ザレン様、解ってますよ、とにかく稼がなきゃならんのは存じておりますよ。...これで俺はほぼ一文無しだ。マーヤ様と夫婦になるなら…いくらなんでも金が足りなすぎる。しかも何の地位もねぇ上に、元敗戦奴隷なのは一生ついて回る。いまの俺のままでは、マーヤ様に纏わりついてる上級市民の男どもやら、金持ちの商人どもに、いずれマーヤ様をかっさらわれるのは時間の問題だよな。解ってるさ。だから...図々しいが...個別に成功報酬が出るなら、思いっきり気張らして貰いますぜ」

「どんな儲け話だ...?まずは話を聞こうか...話によっては明日役場に行って普通市民権を取りに行こうじゃないか。そこの椅子を持ってきてここに座れ」

ザレン爺は今までの話で既にディミトリに推薦状など当然書いてやる気になっているくせに、わざと勿体ぶって駆け引きめいた口振りでディミトリに儲け話を促した。

ザレン爺は葉巻を吹かすのを途中で忘れていたので、葉巻の火はすでに消えていた。ザレン爺はその消えた葉巻を真鍮の灰皿に置いて、書き物机に両肘をついて、自分の顎の下で両手を組んで、ぎらぎらした愉悦の瞳でディミトリを睨めつけた。

次の日の朝前には、ザレン茶舗の廊下に、「本日付でディミトリを本店の正式な店頭にする」という辞令が貼られた。

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ディミトリがザレン爺に語った「儲け話」はいくつかあったが、ザレンを最も喜ばせ、かつ、苛立たせたのは、この話である。...... (つづく)


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