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【翻訳】ガイ・マディン『世界で一番悲しい音楽』メイキング~"From The Atelier Tovar"より

第25回東京フィルメックスのプレイベントにてガイ・マディン『世界で一番悲しい音楽』が上映された。ガイ・マディンといえば、日本では忘れ去られたカナダの鬼才であり、かつては『アークエンジェル』や『ギムリ・ホスピタル』などといった作品が紹介されていた。東京フィルメックスも2004年にガイ・マディン特集が組まれており、『世界で一番悲しい音楽』『ドラキュラ 乙女の日記より』『臆病者がひざまずく』が上映されていた。

その後も、彼は「ユリシーズ」をひとつの部屋の中でやってのけたような『Keyhole』や潜水艦に出現した異界の扉から地獄巡りする様をサイレント映画のタッチで描いた『The Forbidden Room』などを発表しているが日本ではほとんど上映されることがなかった。私が記憶している限りコロナ禍にユーロライブにて『The Green Fog』をイベント上映したぐらいだろう。本作は、『ブリット』をはじめとするサンフランシスコが登場する映画のフッテージを繋ぎ合わせてヒッチコックの『めまい』を再現する実験映画であった。

2010年代以降は、ジョン・ウォーターズが毎回ガイ・マディンの作品を紹介していたが、それでも日本に来る兆しはなかった。しかし、ここ数年で新しい布教者が現れた。

アリ・アスターである。彼は映画学校時代にガイ・マディン作品と出会い衝撃を受ける。学生時代に制作した作品はガイ・マディン作品にオマージュを捧げたのだが、勢いはそれだけに留まらずリンカーン・フィルム・センターで特集上映を企画したり、『ボーはおそれている』では『臆病者はひざまずく』『Stump the Guesser』を引用したと公言している。

しまいには、ガイ・マディンの新作である『Rumours』の製作総指揮を務めているのである。アリ・アスターはA24同様、良くも悪くも映画のブランドとなる存在であり、ライト層の映画ファンにも広まりつつある名前である。

また、来年公開される『ユニバーサル・ランゲージ』の監督マシュー・ランキンはガイ・マディンと同じカナダ・ウィニペグ出身であり、長編デビュー作『The 20th Century』はガイ・マディンを意識した作品となっている。そのため、日本で一番リバイバル上映すべきなのはガイ・マディンであるのだ。

「今でこそガイ・マディン特集を!」とここ数年言い続けていたら、フィルメックスが今回『世界で一番悲しい音楽』を上映してくれた。柳下毅一郎のトークイベント付き初回上映はどうやら盛り上がったらしい。はじめてガイ・マディン映画に触れた知り合いはその異様な世界観に衝撃を受けているようだ。

実は、手元にガイ・マディンのエッセイ集"From The Atelier Tovar:Selected Writings"がある。ガイ・マディンの日記や論考が雑然と散りばめられた一冊であり、シアトルの「スケアクロウビデオ」で『アークエンジェル』の日本版VHSを見つけてサインをした話や過小評価されるジャンル《メロドラマ》をダグラス・サークではなくボリウッド映画から語りインド系カナダ人監督ディーパ・メータの紹介へと繋げる文章、ラース・フォン・トリアー映画に関する論考が掲載されている。

水曜日の『世界で一番悲しい音楽』上映に向けて、本作の舞台裏の記事を翻訳した。本記事は、ガイ・マディンが『世界で一番悲しい音楽』のクランクインをしてから5日間の出来事を書いた内容である。イザベラ・ロッセリーニに対してビビっている様子にニヤつくこと間違いなしだ。もし興味持った方は、"From The Atelier Tovar:Selected Writings"を購読してみたり、ガイ・マディン過去作を追ってみるとよいだろう。

悲しき歌は多くを語る:『世界で一番悲しい音楽』メイキング

Day 1。何ヶ月も前から、俺は撮影初日を記念してニレの木を植える計画を立てていた。パリにはヴィクトル・ユーゴーが​​植えた木が点在し、落葉樹の年輪よりも多くの伝説が膨らんでいる。同じように、今から200年後、俺が長い間待ち望んでいたこの映画(350万ドルの予算、24日間のスケジュール、本物の映画スターたち)が、『世界で一番悲しい音楽』の撮影地を訪れる人々を歓迎し、高くそびえ立ちもがき苦しむ、苔むした枝に記憶されることを望んでいる。

その日は、この単純な樹木イベントから始まり、後に計画された最初のシーン、マリア・デ・メデイロスとマーク・マッキネイに着目した《Two Strip Melancolor》の葬儀に進む予定だった。しかし、俺の生家の裏庭へニレの苗木を拾いに行ったとき、地面が永久凍土で固くなっているのに気づいたのだ。夜間の最低気温はマイナス44度まで下がり、つるはしとシャベルでいくら作業しても土を削ることができなかった。俺は美術部にバーナーとノミを持って来るよう要請、最終的に土は緩んだが、細く眠っている小木の根は焦げてしまったのだ。俺たちはこの方法で次々と木を伐採しようとしたが、常に木を燃やしたり、切り倒したり、短く折ったりしてしていた。その日の遅くになって、ようやく凍ったライラックの茂みを地面から引き抜けた。それは叔母のリルのものだったのだが、黄麻布の球根を浅瀬に投げ込み、スタジオの敷地内の温暖なツンドラに根を張る墓石に根を巻き付けた。撮影する時間がなく明日にした。今では、すでに完全に成長した灌木が植えられており、撮影初日ではなく、その前日を記念して植えたのだ。映画組合では、樹木外科医志望者全員のために、これがすでにどれだけの費用がかかったか考えたくもない。

Day 2。昨日のことは忘れた。出演者とスタッフの士気は高かった。おそらく、全員がThe Burtoniansから寄贈されたホッケージャージを着ているからだろう。The Burtoniansは、かつてゲス・フーのリードシンガーだったウィニペグ出身のバートン・カミングスへの愛着が頂点に達し、地元の伝説的なバートン ・カミングスの顔をユニフォームの胸元にシルク スクリーン印刷しているBリーグチームだ。リハーサルと照明の間、俺たちはこのユニフォームを着て、まったく生意気に闊歩する! 幸福は構造と階級によって決まると感じ、ジョッパーズと堂々としたフェズ帽をかぶって、監督としての自分の地位を際立たせた。

カメラは、まるでポップコーンのように、あのカラーの葬儀を食い尽くした。スローストックに必要な太陽は、一日中天窓から差し込んでいた。俺たちは、このプロジェクトのために特別に作った直径約40フィートの回転台の上に置かれた小さな墓地セットを回しながら、空を横切る太陽を追った。スケジュールは巻きで進み、天窓にカーテンをかけて、ちょっとした夜景を撮影する時間さえあったのだ。

この映画は、世界で一番悲しい歌を持っている国を決める競争を描いたもので、俺の初めてのミュージカルだ。数日間は曲の撮影をしないにもかかわらず、スタジオは、この洞窟のような空間の奥深くに潜み、さまざまな哀歌を延々と練習しているアーティストで溢れている。音響撮影中に演奏を止めさせるのは大変である。まず、こいつらを見つけなければならない。今日は、壊れた木箱の後ろに隠れてアコーディオンで船乗りの歌を演奏しているノルウェー人を見つけるのに約10分かかった。マリアッチバンドはクレズメリムと本当に意気投合し、2人が唯一知っている曲で何時間もジャムセッションを行い、エンゲルベルト・フンパーディンクの「スペインの瞳」から、人を虜にするハイブリッドな逸品を生み出した。俺たちは皆、めちゃくちゃハッピーだ。しかし、翌日に状況が変わる。イザベラ・ロッセリーニだ。

Day 3。彼女が自分の名前を甘美な声で発音する「イーズ・ア・ベル」に、私たちは恐怖を覚える。もし俺がイザベラという名前だったら、自分の名前をあんなに華麗に発音する落ち着きなど絶対にないだろう。なんとかしていま使っている名前のように、それらの文字を全部、1つの不自然な、ぎこちない音節に詰め込むだろう。ああ、彼女は素晴らしい! 人を魅了し、気取らない。彼女は化粧もせずにウィニペグ空港に到着し、エコノミークラスで飛行機に乗ればお金が節約できたのにと心から願っていた。これは彼女のスカンジナビア人らしい一面だと思う。

なぜ俺たちは恐怖を感じているのだろう。彼女は過去半世紀のトップ100人の写真家によって撮影されてきたのに、いまのオレは小さなスーパー 8 カメラで彼女と向き合わなければならないから、俺より前に撮影した人たちのことを考えざるを得ない。俺はカメラが小さいことを彼女に警告する。彼女も理解してくれているようだが、問題は彼女とマークのラブシーンにある。ただ飛び込んでいかねばならん。だが、俺にはできん。怯えている撮影監督のリュック・モンペリエも同様だ。プロデューサーのジョディ・シャピロが素晴らしい解決策を思いた。ラブシーンには非常にクローズアップしたショットが必要だから、イザベラにカメラを渡して演技中の自分の写真を撮らせたらどうだろう。俺たちはやってみることにした。すべての焦点が合うように広角レンズを取り付け、《Miss R.》はカメラを片手に持ち、自分の顔に向け、残りの体と全身全霊でマークと向き合って演技をした。カメラを持った彼女の腕が伸びている理由を逆のショットで説明し、カメラから解放された情熱的な手は、彼女の「恋人」を掴んでいる。まさに映画の魔法だ! これで、彼女にはカメラマンとしてのクレジットも与えられる。

イザベラの伝説がいかに恐ろしいか、俺たちのスチールカメラマン(バンクーバーで5年間にわたり40人以上のハリウッドスターを撮影してきたベテラン)でさえ、ハーブ・リッツやファプルソープらの亡霊と対決することを拒否し、ジョディは彼女の代わりとして法廷画家を雇わなければならなかったほど。宣伝用の画がなくても、どうってことない。監督なら誰でも持っているものだが、これらの画はなんと魅力的な記念品になることだろう。

Day 4。ジョディは、他の撮影クルーと同じように、我慢してイザベラを自分たちで撮影しなければならないと言った。いつかこの命令に感謝することになると思うが、今朝の威圧的な口調は確かに好ましくなかった。結局俺たちは、その日の作業に熱中することにした。それは主に、イザベラの足をどうやって映画で切断するかを考えていたからだ。デジタル効果を現代のグロテスクな遺物として避け、メリエス時代のさまざまなトリックを隠し持ってきたが、それがどうなるかは誰にもわからなかった。結局、プロデューサーの口止め命令により明らかにできない方法で、脚本どおりに、彼女の足を取り除き、ビールの入ったガラスの義足に置き換えました。彼女の有名な父親ロベルトが、経験の浅い俳優のつま先に紐を結び、話す番になると引っ張って指示していたことを思い出し、ラリーとスピーディーにイザベラのガラスの足に小さな釣り糸を結び付けてもらった。つま先。この糸が、どういうわけか、時を超えて、彼の娘を通じてネオリアリズムの父に私を結びつけているように感じた。私はすぐに鳥肌が立ちました。リュックが撮影している間、私はこのものを引っ張って、彼女に何度も私を蹴らせるのを楽しみにした。しかし、やりすぎたようだ。すぐに長いガラスの脚の中のビールがかき混ぜ始め、酵母の泡が彼女のガーターから膝にこぼれてしまった。スピーディーは余分な頭を塗りつけましたが、彼によれば、これまで見た中で最悪の状況のひとつだったとのこと。なぜ監督業は俺をこんなにも絶望させるのだ!!!

何年もの間、俺は「憂鬱の解剖学」の手法を演出に取り入れようとしてきた。そしてついにそれが実現した。バートンの古い大著から集めた憂鬱のさまざまな説明とシソーラスから集めた約40個もの悲しみに関する同義語を索引紙に書き写しておいた。毎日、その日に働く俳優でいっぱいの朝食テーブルに、52枚のカードすべてを裏向きで配ることから始める。各俳優は、単語の意味についてそれぞれ異なる、時には曖昧な考えを持っている。たとえば、《lugubrious》や《throboxyc》などを挙げる。さて、どちらが悲しいだろうか?

俳優は制約が大好きだ。では、唯一公平な方法で彼らを制約しないのはなぜだろう。つまり、参考書からランダムに選ばれたコマンドを抽選で当てるという方法じゃだめか?

結果はセンセーショナルなものだった。陳腐で決まりきったものは、このような演技システムの下では通用しない。セリフは、脆弱X症候群の不器用さで行から行へとぎこちなく進み、場面はリタリンを飲み干したような刺激で展開する。最も重要なのは、完成した作品が、私が計画した超プリミティブな切り貼り編集スタイルと同じ調子であることだ。映画の見方を忘れたい。俺の映画の画像を失読症的に反転させて、観客が読みやすいようにしたい。少年時代に 3 つの単語をようやく連続して認識できたときの興奮を再現したいのだ。

Day 5。今日は、過去 3 日間、食堂で歌っていたポーランドのソプラノ歌手と寝ないでほしいと、舞台画家に 2,000ドル支払った。俺自身、彼女と寝る気はまったくない。気が狂いそうだ。



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CHE BUNBUN 映画ブログ『チェ・ブンブンのティーマ』の管理人です。よろしければサポートよろしくお願いします。謎の映画探しの資金として活用させていただきます。