真夜中の優しきお化けたち
錆びついた入り口
行き場のない夜だった。
月明かりだけが、僕の影を長く伸ばしている。
ふと気がつけば、金網の隙間をくぐり抜けていた。
そこは、立ち入り禁止の廃線跡だ。
かつては多くの人を運んだであろう鉄の道も、今は赤茶けた静寂に包まれている。
枕木を踏む音が、心臓の鼓動のように響いた。
恐怖よりも、どこか懐かしさが勝る。
世界から忘れ去られた場所は、孤独な人間にとって妙に居心地が良いのだ。
線路の先には、朽ちかけた診療所のような建物が佇んでいた。
吸い寄せられるように、僕はその扉に手をかけた。
診察室のユーモア
中に入ると、頭上でチカチカする蛍光灯が僕を出迎えた。
点滅のリズムが不規則すぎて、逆に目が回る。
お化け屋敷の演出だとしたら、もう少し整備した方がいい。
そんなことを考えていたら、急に胃のあたりが込み上げてきた。
恐怖ではない。
さっきコンビニで買った安酒のせいによる、単なる吐き気だ。
「おや、二日酔いかい?」
どこからともなく、呑気な声が降ってきた。
声の主を探して奥へ進むと、ひんやりとした部屋に行き着く。
そこには、解剖室のベッドが置かれていた。
驚くべきことに、その硬く冷たい台の上で、透き通った老人があぐらをかいている。
彼は腰をトントンと叩きながら、苦笑いを浮かべていた。
「ここ、寝心地が最悪でねえ。整体師でも連れてきてくれんかね」
死んでまで腰痛に悩む幽霊なんて、聞いたことがない。
井戸端のサイダー
僕は思わず吹き出してしまった。
こみ上げていた吐き気は、笑いと共にどこかへ消えていた。
「せっかくだ、一杯やっていくかい?」
老人は軽やかにベッドから降りると、僕を裏庭へと手招きした。
草むらの中には、古びた井戸がある。
貞子が出てきそうな雰囲気だが、覗き込んでみて拍子抜けした。
そこにはスイカと、瓶のサイダーが冷やされていたのだ。
紐を引いて引き上げると、カランと涼やかな音が鳴る。
「冷蔵庫が壊れちまってね。これが一番冷えるんだ」
老人は栓を抜き、僕に差し出した。
シュワシュワと泡立つサイダーは、生きている僕の喉を潤し、
死んでいるはずの老人の喉も、同じように潤したらしい。
「現世もあの世も、大して変わらんよ。たまにこうして、一息つく時間が大事なだけさ」
月明かりの下、透けた体でゲップをする姿は、あまりにも人間臭かった。
夜明けの帰り道
気がつけば、空が白み始めている。
不思議な宴はお開きだ。
「また、疲れたらおいで。腰のマッサージ付きなら歓迎するよ」
老人は手を振り、朝霧の中へと消えていった。
帰り道、廃線跡を歩く足取りは軽い。
恐怖スポットだと思っていた場所は、ただの休憩所だった。
生きることは、時に幽霊になることよりもしんどいかもしれない。
けれど、まあいいかと思えた。
死んでも腰は痛むし、サイダーは美味いのだ。
それなら、もう少しこの世で、不恰好に生きてみようか。
僕は空になったサイダーの瓶をポケットに入れ、朝の街へと歩き出した。
ーーーーFin.ーーーー
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