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表現することの怖さはどこから来ている?

自分を表現することが怖い。

自分の思っていること、
自分の考えを表明するって
けっこう勇気がいります。

これ言ったら引かれるかな。
これ書いたら誤解されるかな。
そんなことを考えて、言葉を削ったりします。

自分の心の中を自分の言葉で話すこと。

それって何が怖いんだろう、と
ちょっと考えてみました。


否定されること。
非難されること。

最初に出てきた怖さはそれでした。

自分の考えがおかしいと指摘されて、
そこから非難の輪が広がっていって……
なんて考えるだけで震え上がります。

特に現代のネット社会では
SNSで炎上なんてすぐ起きちゃいます。
昨日まで投稿しても反応がほとんどなかったのに
炎上するときってあっという間、
というイメージがあります。

炎上までいかなくても、
一生懸命考えた言葉を
心ない言葉で否定されるのは
やっぱり悲しい。

だからなるべく慎重に。
間違えないように。
って考えちゃいますよね。

じゃあ、
なんで非難されるのが怖いんだろう?

いや、もちろん嫌ですよ。
非難されないならされないに
越したことはないです。
だってわたし、ガラスのハートですから♡
傷つきたくない!って思います。

それは分かった上で、
その奥にもっと何かがあるような気がして。

そうして出てきたのが
「普通じゃなくなる」ことが怖かったのかも。
ということでした。

自分を表現することで、
仮にそれが評価されたとしても、
非難されたとしても、
それってつまり
「何かが他と違う」ということ。

「周りと同じであるように」

そうやって生きてきた過去のわたしが
「違うは怖いよ」って
まだ言っているのかもしれない。

そんなふうに思ったんです。

逆に言えば、
本来のわたしは自分が周りと違うことを
いちばん分かっていたのかもしれません。

だから過剰に
周りと同じであろうとしたのかも。

そもそも人間、
完璧に同じなんてことはないですよね。
みんな違うところがあるし、
似てるところがあっても完コピではない。

だから違って当たり前なのに、
わたしは違いをなくそうとしていた。

そのこと自体に無理があることを
まったく無視して。

こういうことを考え始めると、
やっぱり母親との関係に行き着いちゃいます。

「ちゃんとしなさい」
「周りから外れないようにしなさい」
「迷惑をかけないようにしなさい」
「察しなさい」

そう言われて育ってきたから、
「周りに合わせなきゃ」が
デフォルトになっていたという自覚はあります。

(でもたぶん、母親のせいだけじゃなくて
わたし自身の特性も関係していたのかも、
という話はまた別の機会に。)

日常の行動は、
もうずいぶんそこから抜け出したと思います。

無理に周りに合わせて
やりたくないことをやったり、
察しすぎて自分を削ったり、
といったことはしなくなってきました。

だけどきっと、心の奥底には
「周りと違う=怖い」が
まだ残っていたんですね。

そしてこの怖さが「言葉での表現」において
残っていたということは、
普段の行動よりも
自分の気持ちを言葉に表すほうが
ダメージが大きいからなんだと思います。
否定されたら傷つく部分なんだと思います。

つまりわたしは、
行動より言葉に本心を乗せている。

そして、
言葉で誰かと繋がりたいと思っている。

うん、そうですよね。
だからnoteを書き始めた。
気づきを書き残す場所にnoteを選んだ。


今までよりもう少し、
わたしの言葉でわたしの思いを
綴っていきたい。

きれいじゃないかもしれないし、
整っていないかもしれないけど、
より「わたし」という人間の本質に近い部分を
言葉に乗せていきたい。

今、そんなふうに思っています。

わたしの言葉が
多くの人に届くことを願いながら、
同時に
自分の「違い」を見られることを恐れていた。

そんなこれまでのわたしとは、
そろそろサヨナラのタイミングかな。

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