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オリンピックの思い出 ︴青ブラ文学部

荒川静香さんが金メダルを獲った日


その日は冬の寒さが凍てついて、
教室の扉を開ければ、皆手をさすりながら席に着く。

そんな、吐く息さえも白く結晶化してしまいそうな季節のことだった。


「ねえ、見た? 昨日のイナバウアー」
「凄かったよね。あんなに背中を逸らして、どうして氷の上を滑れるんだろう」
朝の教室は、昨日見たオリンピックの話題で朝から持ちきりだった。現実は、期末テストという無機質な戦いの真っ只中。学生特有の、逃げ場のない重圧と焦燥。冷え切った教室に漂う張り詰めた空気に荒川静香さんの金メダル獲得は
冷え切った教室にも、光の粒をプレゼントしてくれた。

「日本人、初めてなんだって」
「衣装すごく綺麗じゃなかった」
「荒川静香さん、綺麗な人だよね」

ふざけた男子が、イナバウアーのポーズをとる。
それを見て笑う女子

その日の1日「イナバウアー」が流行語大賞になるのではないかと思うくらい
クラスの話題持ちきりになった。この時期は寒さも余ってテスト勉強をするのは身体に応えた。
「テスト勉強どれくらいした?」という質問は
私はこれくらいしたよ。というアピールでもなく
点数を競うためのトラップでもなく、寒さという中で
「私たち頑張っているよね」という共感の掛け言葉だったと思う。

そんな中でひとつ
同年代の浅田真央選手がオリンピックに出場できなかった。期待のニュースター⭐︎フィギュアスケートグランプリ総ナメ。誰もがメダル獲得を期待する、人物でした。
わずか14歳9ヶ月という年齢制限により出場権を得られなかった浅田真央選手。
流した涙も、悔しい気持ちもテレビに映らなかった。
誰よりも応援していたファン達の嘆きの声が、テレビに映る。勿論、教室でも「浅田真央ちゃん、オリンピック出られなかったんだって」と「なんか残念だよね」
と同世代の活躍を慈しむ、悲嘆の声も上がった。

ひとり、「俺トリプルアクセサル練習するわ」
唐突に、一人の男子が声を上げた。

「はぁ?あんたなんかにフィギュア出来る訳ないでしょ」誰かの呆れた声が飛ぶ。
それでも彼は、その場で灯油の匂いが鼻を突く教室の隅で、見事に上履きを交差させ、まるで変身ヒーローのような大真面目な顔でポーズを決めた。


「それ、トリプルアクセルじゃないから」
「ダブルもいってないって」
教室に、どっと笑いが弾けた。その瞬間、テスト勉強で擦り切れていた私の心の糸が、ふっと解けるのを感じた。制服姿で、滑稽なほど真剣にポーズを決める彼の瞳が、あまりにも真っ直ぐで、誰よりも輝いて見えたから。

「見てろよ、俺なら飛べる気がするんだ」その根拠のない、けれど揺るぎない自信に満ちた表情。
私は、真っ赤な線が引かれた教科書から、そっと指を離した。
いい学校に入って、立派な大人になって、もし失敗したらどうしよう。そんな、まだ見ぬ未来への不安に怯えていた自分が、急に馬鹿らしく思えた。
人生は、きっと血の滲むような努力と、それと同じくらいの「馬鹿馬鹿しい面白さ」でできている。
あの時、彼が指先をどう動かしていたか、正確には思い出せない。けれど、張り詰めた教室の空気が一瞬で色づいたあの光景だけは、今も胸の奥に焼き付いている。
私は少しだけ鼻を啜り、窓の外の冬景色を見やった。教科書や参考書の中に答えはない。
人生において本当に大切なことは、こんな風に、凍える指先を笑い合える瞬間の中にこそ、隠されているのかもしれない。
真子は、静かにそう悟り、小さく微笑んだ。



おわり.


イナバウアーに沸いた冬。テストの重圧を溶かしたのは、彼が教室で跳んだ「トリプルアクセル」だった。#note


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山根あきら様主催の
#青ブラ文学部に
参加させて頂きました。
宜しくお願いいたします。

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