母の日の贈り物と、50代からの親孝行 ─ ロシアケーキと母の強さ、そして私の再出発
今日は母の日ですね。
みなさんはどのような母の日をお過ごしですか?
今朝、子どもの頃に大好きだったという、『ロシアケーキ』を母に渡したところ
「覚えていてくれたのね!ありがとう」
と、とても喜んでもらえました。
私は親孝行の娘かどうかというと、親孝行な娘ではありません。
幼い頃は、「女手一つで私たちを育ててくれている母に、いつか恩返しをしたい」といつも思っていました。
母子家庭であることで世間から後ろ指をさされないために、私は常にいい子であり続けました。
それは私にとって負担ではなく、『大切な母を支えている、守っている』という喜びでもあり、誇りでもありました。
私は、年頃になり結婚し家庭を持ちました。
夫婦そろった家庭を私が築き幸せに暮らすことで、母に親孝行ができたのかなと思っていたのです。
母はとても強い人です。
若くして夫である私の父をなくし、1人で私たちを育てることになりました。
昭和50年代に女手一つで子どもを育てることは、世間の風当たりが強くとても大変なことでした。
ましてや、私たち家族が生活していたのは閉鎖的な地方都市。
もともとこの街の人間ではない母は、閉鎖的な土地柄であるこの街の人々の好奇の目やいわれのない誹謗中傷にさらされたことも、しばしばあったのです。
ですが、子どもの頃の私の記憶の中の母はいつも明るく笑っていました。
そして、いつもこんな思いを心に秘めていたそうです。
この世のすべての困難が私の上に降りかかったとしても、私は必ず乗り越えてみせる。
こんなに強い母の娘である私。
私も自分に訪れた、『夫婦仲の不和』という困難を耐えて過ごそうとしました。
30年近く頑張ったものの、心が折れて心身を壊してしまい、50歳を過ぎてから実家に戻ることになってしまったのです。
実家に戻った日、子どものように大声で泣きじゃくる私の背中を、母はずっとさすってくれました。
母のもとに戻り1年以上が経ち、私は健康を取り戻しつつあります。
母が元気なうちに自立して、経済的な心配をさせずに安定した生活を送れるようになりたい。
そんなことを思いながらも、この歳になっても大好きな母と一緒に過ごし、日々他愛のない話をしながら笑いあっている私は、幸せ者なのだと思います。
今ある幸せに感謝しながら、母との生活を大切にしていこうと思います。
