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【創作大賞2026 エッセイ部門応募作】大丈夫な人


第一章 コンビニの洗面所


夜十時。


私の一日は、車の中で目を覚ますことから始まる。


二年前まで、私は会社を経営していた。


従業員百二十人と働く毎日だった。


今は、車で暮らしている。


まず感じるのは、膝の痛み。


運転席と助手席にまたがるように体を横たえているから、足は一晩中曲がったままだ。


寝返りなんて打てない。


肩も腰も固まっている。


「痛ててて……。」


ハンドルにつかまりながら、ゆっくり体を起こす。


私は仕事用の安全靴を履き、いつものコンビニへ向かう。


トイレを借りる。


顔を洗う。


髪を整える。


鏡を見る。


「よし、今日も何とか人間や。」


そう思う。


いや、正確には、


「車で暮らしている人には見えへんな。」


と確認している。


会社へ行けば、私が車で寝泊まりしていることを知る人はいない。


だからこそ、身だしなみだけは整える。


最後のプライドなのか。


それとも、ただの見栄なのか。


自分でもよく分からない。


でも、これだけは崩したくなかった。


---


ある休日の朝だった。


車を降りようとして、運転席のドアに映った自分を見た。


「誰や、お前。」


思わず声が出た。


髪の毛が四方八方へ跳ねていた。


漫画みたいだった。


前の日、ジムでシャワーだけ浴びて帰った。


ドライヤーもせず、節約のためにリンスも買っていなかった。


その結果がこれだった。


たった数百円を節約した結果、失った見た目の方が大きかった。


昔の私は、従業員によく言っていた。


「人は身なりで判断するから、整えることが大切やで。」


髪を整える。


靴をきれいにする。


服に清潔感を出す。


そんなことを偉そうに話していた。


その本人が、一番ボサボサだった。


「説得力ゼロやん。」


車の中で一人笑った。


でも、その笑いはすぐに止まった。


家がないことは仕方ない。


借金も、今さら仕方ない。


でも、自分を雑に扱い始めたら終わりだ。


そう思った。


その日のうちに美容室を予約した。


帰りにドラッグストアでリンスも買った。


節約は大事だ。


でも、自分まで安売りしたらあかん。


四十七歳になって、そんな当たり前のことを学んだ。


---


今の家は車だ。


……と言うと、少しカッコよく聞こえる。


現実は、ただ運転席と助手席で丸まって寝ているだけだ。


後部座席には荷物がぎっしり積んである。


着替え。


本。


ノート。


筋トレ道具。


いつか部屋を借りたら使おうと思って残したものばかりだ。


その「いつか」は、なかなか来なかった。


車検が切れ、しばらく動かさないうちにバッテリーも上がった。


エンジンはかからない。


窓も開かない。


夏は暑い。


ドアを少し開ける。


風が入る。


蚊も入る。


閉める。


暑い。


また開ける。


「どっちやねん。」


夜中、一人でツッコミを入れる。


笑うしかない。


でも、その笑いに何度も救われた。


---


家を出て最初の一年は、スーパー銭湯で暮らした。


仕事が終わると、まず風呂へ向かう。


湯船につかる。


サウナへ入る。


水風呂へ入る。


何度も繰り返す。


身体を整えるというより、心を整える時間だった。


夜になると、リクライニングチェアを探す。


一年も通うと、どの席が寝やすいか分かってくる。


テレビの近くはうるさい。


出入口の近くは人の出入りが多い。


エアコンの風が直撃する席は寒い。


全然自慢できない特技だけど、その頃の私には大事な技術だった。


お気に入りの席に座る。


バスタオルは2枚、枕の代わりのクッションと体に掛ける。


足を伸ばす。


「あぁ……。」


思わず声が漏れる。


横になって眠れる。


たったそれだけで、本当に幸せだった。


家があった頃には、一度も考えたことがなかった。


人は、失って初めて当たり前の価値を知る。


私は家を失ってから、当たり前をたくさん見つけた。


---


昼間は図書館へ行く。


本を読む。


眠くなる。


また読む。


また眠くなる。


ある日、肩を軽く叩かれた。


「大丈夫ですか?」


図書館の職員さんだった。


私は反射的に答えた。


「大丈夫です。」


職員さんは笑って言った。


「窓際、暑いですからね。水分取ってください。」


帰り道、一人で笑ってしまった。


会社が苦しかった時も。


借金を抱えた時も。


家を失った時も。


図書館で起こされた時も。


私は全部、


「大丈夫です。」


だった。


もしかしたら、この言葉は人に向けていたんじゃない。


一番聞かせたかった相手は、自分だったのかもしれない。


第二章 ばあちゃんの背中


図書館でお昼ご飯を食べていると、時々ばあちゃんのことを思い出す。


コンビニのおにぎりを一つ。


2リットルのペットボトルの水を一本。


そんな昼ご飯でも、不思議と寂しくない。


「あの頃も、こんな感じやったな。」


そう思う。


子どもの頃の記憶は、不思議なものだ。


何十年も前のことなのに、食卓の匂いや、ばあちゃんの笑顔だけは昨日のことみたいに思い出せる。


---


私は小学校高学年から、家庭の事情で祖母に育てられた。


三兄弟の真ん中だった。


高齢の祖母は、突然三人の孫を育てることになった。


みんなは「おばあちゃん」と呼ぶ。


私はずっと「ばあちゃん」だった。


裕福な家ではなかった。


新しい服は、お正月くらい。


欲しいものを何でも買ってもらえる生活でもなかった。


それでも、自分の家が貧乏だと思ったことは一度もない。


毎日、お腹いっぱいご飯を食べていたからだ。


今になって思う。


「あの頃、よくあれだけ食べさせてくれたな。」


そう思う。


---


ばあちゃんには、知り合いが営む定食屋があった。

店へ入ると、入口の横にはガラスケースが並んでいる。

焼き魚。

煮物。

卵焼き。

小鉢がずらりと並び、食べたいおかずを自分で取る昔ながらのお店だった。


店を切り盛りしていたのは、ばあちゃんより年上に見える女性が二人。


時々、三兄弟に加え、友達まで連れて行ってくれた。


「いっぱい食べ。」

ばあちゃんは、いつもそう言った。


私たちは遠慮なんてしない。

好きなおかずを取り、ご飯をおかわりする。


夢中で食べた。

その日も、いつもと同じだった。

帰り道までは。


---


祖母と兄弟が前を歩いている。


私は友達と少し後ろを歩いていた。


その友達が、何気なく言った。


「お前のおばあちゃんって、いっつも残りもの食べてんの?」


私は思わず足を止めた。


「え?」


言われるまで気付かなかった。


家へ帰ってからも、その言葉が頭から離れなかった。


その日の夕飯。


私は初めて、ばあちゃんが何を食べているのかを見た。


本当だった。


私たちが食べ終わるまで、自分はほとんど箸をつけない。


魚は、一番身が少ないところ。


おかずも残ったものだけ。


私は聞いた。


「なんで先に食べへんの?」


ばあちゃんは笑いながら言った。


「みんなが美味しそうに食べてるんを見るんが好きなんや。」


その時だった。


子どもながらに気付いた。


そういえば、昔はもっとふくよかだったばあちゃんが、少しずつ痩せている。


毎日一緒にいると気付かない。


気付けなかった。


気付こうともしなかった。


大人になった今でも、あのことを思い出すたびに申し訳ない気持ちになる。


あの日を境に、私は食べる量が少し減った。


ばあちゃんに遠慮したわけじゃない。


ただ、それまでと同じようには食べられなくなった。


---


大人になってから親戚に聞いた。


ばあちゃんは知り合いに頭を下げ、お金を借りながら私たち兄弟を育ててくれていたらしい。


私は何も知らなかった。


知らないように育ててくれていた。


子どもに心配をかけたくなかったんだと思う。


だから私は毎日、お腹いっぱい食べていた。


大人の苦労は、子どもには見えない。


いや、見せないようにしてくれていたんだ。


その優しさに気付いたのは、大人になってからだった。


---


でも、ばあちゃんは優しいだけの人じゃなかった。


私が今まで会った中で、一番度胸のある人だった。


小学六年生の頃。


住んでいたアパートが立ち退きになった。


毎日のように、その筋の人だと子どもでも分かるような男の人たちが家へ来る。


玄関の向こうから怒鳴り声が聞こえる。


私は怖くて仕方がなかった。


学校から帰るたびに、


「今日は来てへんかな。」


そればかり考えていた。


でも、ばあちゃんは少しも動じなかった。


ある日、私は聞いた。


「ばあちゃん、大丈夫なん?」


すると、ばあちゃんは笑いながら言った。


「立ち退き料を上げるために、ごねとるんや。」


子どもの私は意味が分からなかった。


ただ、怖い人を相手に笑っているばあちゃんの方が、もっとすごい人に見えた。


結局、相手が折れた。


ばあちゃんは帯の付いた札束を持って帰ってきた。


「ばあちゃん、やるやろ。」


そう言って笑った。


四百万円。


当時の私は、その金額の大きさなんて分からない。


でも、その笑顔だけは覚えている。


「かっこええ。」


子どもの私は、本気でそう思った。


---


大人になった今、あの頃のことを思い返すことがある。


もしかしたら私は、知らないうちにばあちゃんの生き方に影響を受けていたのかもしれない。


ばあちゃんは、決して誰にでも優しい人ではなかった。


間違っていると思った相手には厳しかったし、納得できないことには絶対に頭を下げない人だった。


でも、私たち孫のことになると話は別だった。


自分のことはいつも後回し。


美味しいものがあれば私たちに食べさせる。


苦労も見せない。


お金がなくても、私たちにはお腹いっぱい食べさせてくれた。


私はそんな背中を見て育った。


だからなのか、大人になった私は、誰かのために動くことが当たり前になっていた。


ただ、一つだけ違った。


ばあちゃんは、大切な人を守るために自分を後回しにしていた。


私は、人から期待される自分を守るために、自分を後回しにしていた。


似ているようで、そこには大きな違いがあった。


その違いに気付いたのは、すべてを失った後だった。


第三章 優秀な人


中学校を卒業すると、高校へ進学するという選択肢は、私の中にはほとんどなかった。


勉強は嫌いだった。


自分は頭が悪い。そんなふうに思い込んでいた。


でも、それ以上に強かったのは、ばあちゃんにこれ以上負担をかけたくないという気持ちだった。


借金をしながら三人の孫を育ててくれた人に、「高校へ行かせてほしい」とは言えなかった。


だから私は働くことを選んだ。


あの頃は、それが当たり前だと思っていた。


学歴も資格もない。


だから私には、働いて結果を出すしかないと思っていた。


二十四歳で上京した。


知り合いもいない。


お金もない。


それでも、不思議と不安はなかった。


「何とかなる。」


根拠なんて一つもない。


でも、それまで何度も、ばあちゃんが笑いながら「大丈夫や」と言う姿を見てきた私は、それが当たり前だと思っていた。


振り返れば、それが私の一番の強みであり、一番の弱さだったのかもしれない。


---


三十六歳で独立した。


創業前、会社名義の口座を作ろうと思い銀行へ行った。


法人担当の窓口で事情を説明すると、担当者は事務的に言った。


「会社を設立してから来てください。」


「今はお作りできません。」


それだけだった。


少し拍子抜けした。


ドラマみたいな起業を想像していたわけじゃない。


でも、何となく「頑張ってください。」くらいは言ってもらえるのかなと思っていた。


現実は、そんなに甘くなかった。


私は何も言わず銀行を出た。


結局、個人口座を作り、その口座で会社をスタートさせた。


今思えば、その時の悔しさが、最初の原動力だったのかもしれない。


---


創業すると毎日が戦争だった。


朝から電話が鳴り続ける。


採用。


営業。


従業員からの相談。


取引先との打ち合わせ。


気付けば夜になっている。


昼ご飯を食べたかどうかも思い出せない日が何日もあった。


でも、不思議と嫌じゃなかった。


会社を大きくしたい。


そんな野心があったわけじゃない。


ただ、その時その時の期待に応えたかった。


従業員の期待。


取引先の期待。


銀行の期待。


育ててくれた社長の期待。


「HIROなら大丈夫。」


そう言ってくれる人たちを裏切りたくなかった。


気が付けば会社は大きくなっていた。


私は会社を成長させていたというより、期待に応え続けた結果、会社が大きくなっていたのかもしれない。

---

創業初年度。


年商は五億円になった。


従業員も五十人を超えた。


正直、自分でも驚いた。


「こんなことってあるんや。」


毎日必死だったから、成功しているという実感はなかった。


ただ、目の前の仕事を必死にこなしていただけだった。

---

創業から三か月ほど経った頃だった。


ある日、何の連絡もなく銀行の担当者と支店長が会社へやって来た。


「近くまで来ましたので、ご挨拶に。」


そう言って名刺を差し出された。


その瞬間、支店長の顔を見て私は思わず心の中で笑ってしまった。


創業前に法人口座を断った、あの人だった。


もちろん向こうは覚えていない。


「初めまして。」


そう言って名刺を差し出してくる。


私は何も言わなかった。


経営状況を説明すると、支店長が資料を見ながら言った。


「ぜひ、お手伝いをさせてください。」


数か月前には法人口座すら作れなかった会社に、今度は銀行の方から頭を下げてくれる。


人生って面白いなと思った。


悔しかった気持ちは、もうなかった。


むしろ一つ勉強になった。


信用は、お願いして手に入るものじゃない。


積み重ねた先で、相手が与えてくれるものなんだ。

---

会社は順調に大きくなった。


店舗は増えた。


従業員は百二十人を超えた。


取引先も増えた。



気が付けば会社は年商十億円、従業員百二十人を超えていた。


両親も中卒。


私自身も中卒。


そんな生い立ちだった私が経営者になっていることさえ、不思議だった。


ましてや年商十億。


最初は現実味がなかった。


「本当に自分の会社なんやろか。」


そう思うことが何度もあった。


でも、今振り返ると、私は会社を大きくしたかったわけじゃない。


ただ、人から期待されることが嬉しかった。


学歴にも、生い立ちにも、自信がなかった私にとって、


「HIROさんなら大丈夫。」


その一言は、自分を認めてもらえた気がした。


だから期待に応えた。


また期待される。


また応える。


その繰り返しだった。


気が付けば、会社も、そして「期待される自分」も、想像以上に大きくなっていた。


業界の会議へ行けば、


「優秀だって噂は聞いてますよ。」


初めて会う人に、そう言われることが増えた。


「一度、お会いしたいと思っていました。」


そんな言葉まで掛けてもらった。


後になって知った。


私を育ててくれた社長が、いろいろな場所で私のことを話してくれていたらしい。


さらに、独立した会社の規模も大きかった。


その二つが重なって、「優秀な人」という噂だけが一人歩きしていた。


嬉しかった。


本当に嬉しかった。


生い立ちにも、学歴にも、自信のなかった私には、その言葉が何より嬉しかった。

だから私は、期待されるたびに、その期待以上で応えようとしていた。


でも、その嬉しさは少しずつ私を縛っていった。


---


「HIROさんなら大丈夫ですよ。」


「HIROさんなら何とかしてくれますよね。」


そう言われるたびに、私は笑っていた。


「大丈夫です。」


「何とかします。」


本当は、不安なこともあった。


迷うこともあった。


でも、その顔だけは見せられなかった。


期待されている人は、不安な顔をしてはいけない。


社長なんだから。


みんなを安心させないといけない。


そう思い込んでいた。


頼まれたら断らない。


休日でも電話に出る。


従業員から相談があれば予定を変える。


困っている人がいたら、自分が動く。


それが社長の仕事だと思っていた。


今振り返ると、私は会社を経営していたようで、実は違った。


「期待される自分」を守ることに必死だった。


そして、その期待は少しずつ大きくなり、いつしか会社そのものより重たい存在になっていた。



第四章 安心という借金


会社が苦しくなった日は、はっきり覚えていない。


少しずつだった。


売上が少し落ちる。


翌月も少し落ちる。


また翌月も。


最初は、


「今月だけや。」


そう思っていた。


いや、そう思いたかった。


会社を立て直してきた経験もある。


今まで何度も壁は乗り越えてきた。


今回も何とかなる。


そう信じていた。


---


忘れられない日がある。


従業員への給料をすべて支払い終えたあと、会社の口座を確認した。


残高は三十万円。


正直、その数字になることは薄々分かっていた。


毎月の資金繰りを見れば、決して驚くような数字じゃない。


それでも、画面に表示された「三十万円」を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。


「……ヤバい。」


その一言しか出なかった。


すぐに机へ戻る。


直近の売上。


支払い予定。


入金予定。


一つひとつ数字を書き出して計算する。


何度計算しても、答えは変わらなかった。


その時初めて、私は現実を受け入れた。


「本当に、もう後がない。」


---


それまでは毎日のように数字を見ていた。


試算表も、資金繰り表も確認していた。


もちろん、その後も見ていた。


でも、以前のように細かく計算しなくなった。


「大丈夫やろ。」


「来月には戻る。」


そんな希望ばかりを信じるようになった。


今なら分かる。


私は数字を見ていたんじゃない。


数字から目をそらしていた。


---


誰にも相談できなかった。


見栄もあった。


でも、それだけじゃない。


「会社が苦しいんです。」


その一言を言った瞬間、


今まで積み上げてきたものが全部崩れてしまう気がした。


「優秀だって噂は聞いてますよ。」


「HIROさんなら大丈夫ですよ。」


そう言ってくれた人たちの期待を裏切るのが怖かった。


だから私は笑った。


「大丈夫です。」


その言葉だけは、最後まで上手だった。


---


そんな時、新型コロナウイルスが広がった。


街から人が消えた。


会社も静かになった。


ニュースでは毎日、


感染者数。


営業自粛。


緊急事態宣言。


そんな言葉ばかりが流れていた。


従業員の顔を見る。


みんな不安そうだった。


家族がいる。


生活がある。


だから私は笑った。


「大丈夫。」


本当は、一番不安だったのは私だった。


---


銀行から提案されたのが、コロナ融資だった。


私は迷わず申し込んだ。


数日後、会社の口座を開く。


五千五百万円。


その数字を見た瞬間、全身の力が抜けた。


「あぁ……助かった。」


心の底からそう思った。


これで時間ができる。


景気が戻れば返せばいい。


また前みたいに会社を立て直せる。


そう信じて疑わなかった。


---


最初は、


「これは融資のお金。」


という感覚があった。


ところが数か月すると、その感覚は少しずつ薄れていった。


売上で入ったお金なのか。


融資で入ったお金なのか。


その境目が分からなくなっていった。


毎月、口座の残高だけが静かに減っていく。


まるで氷が溶けるようだった。


音もしない。


匂いもしない。


ただ、確実に小さくなっていく。


気付いた時には、五千五百万円はほとんど残っていなかった。


---


今振り返ると、あの日借りたのは、お金じゃない。


安心だった。


残高が増えたことで、不安だけが消えた。


だから動けなくなった。


本当なら、その時すぐにやるべきことがあった。


会社を小さくすること。


固定費を減らすこと。


誰かに相談すること。


従業員と向き合うこと。


全部できた。


でも私は、


「もう少し様子を見よう。」


そう思ってしまった。


その「もう少し」が、一番高い買い物だった。


---


会社を畳む決断をした日のことは、不思議なくらい静かだった。


泣くこともなかった。


怒ることもなかった。


長い間、張りつめていた糸が切れたようだった。


もちろん悔しかった。


情けなかった。


申し訳なかった。


でも、それ以上に感じたのは、不思議な安堵だった。


「これで終わった。」


そう思った瞬間、肩に背負っていた重たい荷物をようやく下ろしたような気がした。


毎日、「大丈夫です。」と言い続けてきた自分。


期待に応え続けようとしてきた自分。


その役目が、ようやく終わった。


会社はなくなった。


肩書きもなくなった。


信用も、お金も失った。


それでも私は、どこかでほっとしている自分がいた。


その時初めて気付いた。


私が守ろうとしていたのは会社じゃない。


「大丈夫な人」でいる自分だったのだと。



第五章 まだ途中


会社を失ってから、私は失ったものばかり数えていた。


会社。


家。


お金。


信用。


肩書き。


人生をかけて積み上げてきたものばかりだった。


だから最初は、「どうやって取り戻すか」しか考えられなかった。


でも二年が過ぎた今、少しだけ見える景色が変わってきた。


私は、本当に何もなくなったのだろうか。


---


会社を経営していた頃は、毎日誰かのために時間を使っていた。


従業員。


取引先。


銀行。


お客様。


電話は一日中鳴り続ける。


休みの日でも携帯電話は手放せなかった。


頼られることが嬉しかった。


期待されることも嬉しかった。


でも、その頃の私は、自分自身のために使う時間を持っていなかった。


いや、持とうともしなかった。


それが社長の仕事だと思っていたからだ。


---


今の私は違う。


夜は運送の仕事へ行く。


休日は単発バイトへ向かうこともある。


生活のために働くことは、今も変わらない。


借金がある以上、働くことから逃げるわけにはいかない。


でも、その合間の時間の使い方は、大きく変わった。


仕事が終われば図書館へ向かう。


本を読む。


考える。


筋トレをする。


noteを書く。


一日は相変わらず忙しい。


それでも続けている。


未来は、空いた時間で変わるんじゃない。
自分でつくった時間で変わる。


そのことを、私はようやく知った。


---


会社を経営していた頃は、期待に応えることばかり考えていた。


頼まれたら断れない。


「できます。」


「大丈夫です。」


そう言うことが、自分の価値だと思っていた。


見栄も張った。


弱音も吐かなかった。


でも、それは本当の実力じゃなかった。


期待される自分を守ることに、一生懸命だっただけだ。


今は違う。


人にどう見られるかより、自分に何が足りないのかを考えるようになった。


本を読むのも。


学ぶのも。


筋トレを続けるのも。


すべては、自分自身を成長させるためだ。


遠回りに見えるかもしれない。


でも私は、四十七歳になって初めて、自分を成長させる時間の使い方を覚えた。


---


そんな毎日の中で、私はnoteを書き始めた。


最初は、自分のためだった。


誰にも話せなかったことを、文章なら書けた。


借金四千万円。


家を失ったこと。


スーパー銭湯で暮らしたこと。


車で暮らしていること。


失敗したこと。


全部、そのまま書いた。


ある日、運送の仕事の合間にスマートフォンを見ると、一件のコメントが届いていた。


「勇気をもらいました。」


休憩中のトラックの中で、そのコメントを三度ほど読み返した。


会社を経営していた頃も、「ありがとうございます。」と言われることはあった。


でも、その頃とは嬉しさが違った。


ちゃんと読んでくれている人がいる。


ちゃんと伝わっている人がいる。


その時初めて、「書いてよかった。」と思えた。


そう思えたことが、何より嬉しかった。


失敗した自分でも、誰かの役に立てる。


そう思えた瞬間、過去を少しだけ受け入れられた気がした。

---


四十七歳。


借金はまだある。


家もまだない。


夢も、まだ叶っていない。


だから、この物語は成功した人の話じゃない。


再起の途中を書いた記録だ。


でも、一つだけ昔の私と違うことがある。


もう、「大丈夫です。」と無理に笑うことはやめた。


苦しい時は苦しいと言う。


分からないことは学ぶ。


できないことは練習する。


一歩ずつ、自分を積み重ねる。


その方が、ずっと強い人間になれると知ったからだ。


ばあちゃんの「大丈夫や」は、私たちを安心させるための言葉だった。


私の「大丈夫です。」は、自分を守るための言葉だった。


同じ言葉なのに、その意味はまったく違っていた。


四十七年かかって、ようやくその違いに気付いた。


人生は、一日では変わらない。


でも、一日の積み重ねは、必ず人生を変える。


私は、そのことを会社が教えてくれたんじゃない。


会社を失ってから教わった。


私は、もう「大丈夫な人」になろうとは思わない。


苦しい日は、苦しいと言える人でいたい。


その方が、ずっと強く生きられると知ったから。


私は、まだ途中だから。



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