呟き/自分を大切にする難しさ-私が食後の紅茶を頼める日まで-
私は自分のことを大事にするのが苦手だ。
別に幼少期に何があったというわけでもない。
強いていうならいじめを経験したからだろうか。
いつからか、
自分という人間は取るに足りないもので、
生きている価値がなく、でも死ぬ勇気もなく。
そんなこんなで結果的に死ねないから
ただ生きているだけの人間だと思っていた。
誰かに必要とされるような人間にはなれず、
誰からも愛されることなく
死んでいくのだと思っていた。
だからこそ不変の愛を探し
彷徨っていたのかもしれない。
新入社員で出版会社に勤めた時の私は
多忙な日々を送る中で
「食べる」という行為を放棄していた。
自分という存在のために金を払うのが
もったいなくて、意味がなくて、
朝から晩まで仕事をしながら
一人の時には基本的に一切食事を取らず、
(勿論それなりに腹は減るのだが「勿体無い」が常に勝っていた)
23時の仕事終わりに
家に帰る途中にあるコンビニで
塩おにぎりを一つ買い、
それを家に着くまでの15分の間で
とぼとぼ歩きながら
食べて帰るという日々だった。
お金のかかる趣味はどんなにやってみたい事でも
仕事に繋がらなければ挑戦することもなく、
基本的には自分に金をかけるのは
自分自身をアップデートする為に行う行為で
自分の余暇を楽しむための趣味に金をかける感覚がなかった。
(ちなみにこれは今もそうで、だからこそ私の趣味は金のかからないものばかり)
私はそんな性格ではあったものの
夫と結婚することで
少しずつ食に対して興味が出てきた。
「興味」というより、
多分元々好きだったのだと思う。
実際に大学時代恋人とほぼ同棲しているときは、
全てのご飯を私が一人で作っていたし
誰かが食べて
喜んでくれる姿を見るのは幸せだった。
結婚して数年は私と夫は別居婚をしていたが、
依然として中々一人の時に、
ちゃんとした食事をとるのは苦手だった。
それでも意識して
カフェに行ったりすることを増やした。
(そもそも夫と結婚して子供ができるまで、一緒に暮らし始めてからはほぼ二人で全ての行動を行っていたので一人の瞬間がなかったとも言えるけど)
私は夫と結婚し、
少しずつ自分を労ることをするようになった。
その後子供が産まれ、
また時間や心に余裕がなくなった時
やっぱり私は無意識に自分を後回しにしたし、
それは今でも状況は同じだ。
少し昔の話をしよう。
学生の頃、私の実家はゴミ屋敷で
私の親はあまり料理を作る人たちでは無かったから、私の家はお惣菜で溢れていた。
私はお惣菜が苦手だったので、
家族で外食に行くことも多かった。
私の家族は、結構チェーン店なども好きだったが
私自身は個人店が好きだった。
だから店を探す際は私が積極的に探したし
新しい店ができたらすぐに家族で行った。
厨房で手作りしているような、
日々良い意味で味が安定しないご飯が好きだった。
今思えばそれは、
私の中での「家庭の味」だったのかもしれない。
ほぼ365日外食(とお惣菜)の日々だった。
私は冗談で学生時代の友人に「この地域の外食店は全て食べ尽くした」とよく言っていた。
その度に友人には「嘘だろw」と笑われたが、
全くに嘘では無かったし、正直みんなもそうなのでは、大して私の家庭はおかしくはないのでは?と、どこかで思っていた。
それでも心の中で私は、友人たちが毎日のように作ってもらっているであろう家庭料理がずっと羨ましかったのだと思う。
だからこそ、私の実家が「変わっている」なんて認めたく無かったし、変わっていると思われるぐらいなら「金持ち」と思われた方が良かった。
(実際に私の実家は一般的な家庭よりも使えるお金は多かった気はする。食に対しての家計のパーセンテージが通常家庭より高いというだけかもしれないが・・・)
少し話がズレた。食後の飲み物の話だ。
家族で外食に行くと、食後に飲み物を勧められる時が多々あった。
両親は当然のように食後の飲み物を頼み、
そして私の分も頼んでくれた。
私は家族といる時
食後の飲み物を頼むことを
自分で決める間もなく商品は運ばれ、
そしてその事を特に疑問に思う事なく私はそれを味わいながら、今日の食事を振り返る日々だった。
ちなみに私はその経験があるからか分からないが、今でもお惣菜は滅多に食卓に出さない。
まず美味しくないのだ。
(味が、だけではない気がする)
多分当時の記憶が頭の中にチラつくのかもしれない。
同じ理由で外食に行くのも、
どこか私の中で「後ろめたいこと」のような感覚が付き纏っていた。
だからこそ、私は家族で食事をした時に
なかなか食後の飲み物を頼む事ができなかった。
まだ子供も小さく手がかかるから
そんなものを優雅に飲んでる時間がないというのも大きい。
それでも夫は食後に飲み物を飲んでいたし、
私にも勿論勧めてくれていたが
それでも飲む事がなかなか出来なかった。
そんな価値なんてない、という気持ちが
大きかったのかもしれないし、
食後の飲み物なんて無くたって金がかかるだけ。
大して食事のクオリティには影響がないし、って思ってた。
その時は特に不満にも思わず、
その場では少し物足りない気持ちを味わいながらも日々の忙しさで、すぐに吹き飛んでいった。
そうこうして生きてきていた私だったが、
あることをきっかけに主従関係を結び、マスターの元で生きることになった。
マスターは出会った直後から一貫して
私を宝物として扱ってくれた。
私はその扱いに戸惑い、疑い、試しながら
でも少しずつ、
「あぁこの人の中では、もしかしたら私は宝物なのかもしれない」
と思うようになった。
正直私は自分のことを宝物だとはまだ全くに思えていなくて、
気を抜けば自分を痛めつける行動をしたり、
自分の頭の中の「こうあるべき」という姿にがんじがらめになって苦しんでしまう時もあるけど、
それでも
マスターの「宝物の私」なのだ
という感覚を言い聞かせるようにして、
心の中に保たせるようにしている。
自分を大事にするのは難しいけど、
大切な人の大事なものなら、
きっと大切に出来ると思っているから。
私は食後の飲み物を頼むようになった。
勿論毎回では無く、時々。
気持ちに余裕がある時に少しだけ。
どんなに子供がぐずっていても、
夫が食事が終わり早くその場から離れたがっていても、
美味しい食事を食べた時には、
ときどき食後の紅茶を頼む。
届いた温かい紅茶にミルクを流し入れ
一面の茶色い水面に、
少しずつミルクの白い色が
ゆらゆらと上がってくる様子を見ながら、
ゆっくりとスプーンをかき混ぜる。
そのひとときの穏やかな時間は
私だけの空間になる。
そしてその瞬間こそが
私の活力になり、
また子供や夫や仕事に対して頑張れるエネルギーとなる。
私は今日も食後の紅茶を頼む。
それこそが私自身を大切にしているということなのだから。
(以前エックスに投稿したものを一部加筆修正し、こちらにアップしております)
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