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「私なんて」と思いながら生きてる人へ


※ここには「こうするべき」とも「こうして解消した!」とも書かれていません。今の私の中の私としての見解を書いています。


スーパーに行くと、何を買えばいいか分からなくなる。

ただ店の中をぐるぐると回り、適当なものを手に取り、その場を後にする。

何を買うのが正解か、
自分は今何を食べたいのかが分からない。

どちらを選択したらいいか分からない時は
金額がかからない方を選ぶ。

何も食べなくていいなら、
何も食べないことを選ぶ。

私はそうやって
気を抜くとすぐに自分を疎かにしてきた。

セルフネグレクト、という言葉があるぐらいだから、きっとこの感覚は一定数の人が感じていることなのかもしれない。

自分のことを疎かにしていると、
自分のことを大切にしてくれている人の事も
疎かにしてるんだよ、と
マスターに教えてもらった。

それでもまだ私は
自分を無意味に卑下するし、

「何もできない」と言って
すぐに動かなくなったり
半径3mmぐらいをバタバタしたりする。



「私なんて」

の言葉の後ろには何が続くのだろう。

大した事ない人間?
何もできない?
生きている価値がない?

結局言い訳を述べては、
自分の暗闇に閉じこもる。


大したことがなくたって、
何もできなかったとしたって、

とりあえず今日を生きて、
明日も生きていくしかない。

生きるのが苦しくなったら
苦しめる事も生きているという事なんだと
考えていくしかない。

人生にはバイオリズムがあり、
上がる時もあれば、下がる時もある。

そして、下がっている時というのは、
自分の中の何かが静かに修復されている時間なのかもしれない。

それは他人から見たら、
怠けているように見えたり、
立ち止まっているように感じられたりするかもしれない。

でも、見えないところで心は呼吸を整えている。

焦らなくてもいい。

止まっているように見える時間は、
決して無駄じゃない。

地中で根を伸ばす木のように、
内側では次の芽が育ち始めている。

「私なんて」とつぶやくその瞬間、
確かに何かが生まれている。

その言葉は、自分を責める呪文ではなく、
もっとちゃんと生きたいという心のSOSかもしれない。

だから、無理にポジティブにならなくていい。

大丈夫なんて言えなくてもいい。

ただ、今日も生きたという事実だけを、
そっと肯定してあげてほしい。

誰かの役に立たなくても、
誰かに褒められなくても、
あなたが今日ここにいるということだけで、
世界のどこかの空気が少しだけ変わっている。

私なんて…から始まる物語を、
どうか少しずつ
私も、へと変えていけたらいい。

私も、生きている。
私も、笑っていい。
私も、何かを望んでいい。

それだけで、もう十分。

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