ピアノの先生に聞いた、今の若者の常識
今日はピアニストの友人とランチをしながら、いろいろな話をした。
彼女は
「もう今の子たちは宇宙人よ」
という。
ピアノの先生というのも大変な仕事だなぁと思うが、そんな話の一端を聞くことが出来た。
因みに今回の話は、彼女に
noteブログに書いてもいいかどうか、聞いてみたが
「名前とか出さないなら、どんどん書いて~」
とのこと。
先日ミニスカートでレッスンに来た女の子がピアノの椅子に座る・・・。
「下着が見えてるから、ちょっともう少し考えたほうがいいんじゃないかしら?」
というと、
「どうしてですか?肌を隠すために下着を着ているわけですから」
という。
私達世代の常識とは大いに違っている。
最近は「ブラの紐をわざと見せるファッション」なんていうのがある。
そこまでは何とか許容範囲かなぁと思うが、我々昭和世代は、「スカートの中が見えてしまうというのは恥ずかしいことだ」という常識の中で育ってきた。
「下着は見えないようにするもの」で、人目を気にする。
一方
「下着は肌を隠すものであって、外から見えてもいい」「人目はどうでもよくて自分さえよければいい」という、今の子たち。
両者は相容れないもので、我々はびっくりするのだが
・・・そういう考えなのね
と納得するしかない。
それから、お月謝を、ATMに置いてある銀行の封筒に入れて持参する生徒。
友人が
「その封筒はやめてね」
と注意すると
「どうしてですか?だって封筒に入っていますし」
と返ってくる。
彼女は
「せめて茶封筒ならいいけれど。それに金額と日にちと名前を、きちんと書いて先生に渡すべきでしょ?」
と。
封筒に入っているという事実は変わらない。
しかし、自分で別の封筒に入れ替える、そこに生徒側の
「レッスンを受けさせていただく」
という「気持ちのプロセス」が欠如しているのだ。
全員ではないが、彼女は言う。
「まずね、家に上がる時に靴をそろえる、から教える生徒もいるのよ。
あとね、爪を切っていない。
汚れた手のままだったり。
そういう時は、お母さんの前で先ず私が爪を切ったりすることもあるのよ。」
レッスン時間はその分短くなるわけだが、彼女はお母さんにも
「レッスンを受ける際のマナー」
として、わかって欲しいから、敢えて子供の爪をお母さんの前で切る。
「学校のように、まず集団生活を習うという場所もある。でもね、レッスンを個人で受けに来るということは、また別」
他にも、お母さんにレッスンバッグを持ってもらっている子。
というか、お母さんが甘やかして持ってあげている、いうのもあるだろうが、そういう場合も
「レッスンを受けるのはお子さんなのだから、お子さんに持たせるように」
と注意するという。
こうして、レッスン以前のマナーを教えることになるそうだ。
しかし、こういう「レッスン前のマナー」も、彼女の場合は親御さんよりも年齢が上だから注意しやすいという。
「問題は、私より若い先生達なのよ。
彼女たちは、生徒の親御さんより若かったりするでしょ?
そうすると、親から反発を食らって悩んだりするのよ。」
彼女は若いピアノの先生の指導もしているのだが、若ければ若いで、より悩みが深くなるようだ。
別の話。
彼女の生徒さんの一人で、勉強が出来て良い大学を出て良い就職先に入った女の子が、あっという間にやめてしまったという。
「私は頑張ってよい就職をしたのに、何でこんなに制限されなくちゃいけないのか?」
という理由だったらしいが、彼女は自分サイドのことしか考えていない。
学校でも会社でも、集団の中で活動するには、それなりのルールがあるが、それが理解できないらしい。
友人は、私にこんな風に話した。
「いきなり会社に入っても、まだ何もできなけれど、将来を見越してそれなりに給料をくれているわけでしょ?
そういう会社の事情も分からずに、自分だけのわがままや事情を押し通して、今の子ってやめてしまうのよね。」
しかし、彼女はこうも言った。
「こういう子たちを育ててきたのが、私達の世代だから、我々にも責任がある、ということなのよね。」
戦後経済の立て直し時期は、学歴や技術や効率を追い求めすぎて、どこかで心を軽んじてきてしまった時代だったと思う。
そのツケが戦後第二世代、第三世代に反映されてきてしまった気がする。
