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我が家の洗濯物に見る「優先順位」という名のローカルルール

どこの職場にも、ひとつやふたつはあると思う。「いやこれ、誰が何の目的で作ったん?」っていう謎のローカルルール。

当然、ウチの職場にもある。
前任者から「これ昔からの決まりなんで」ってサラッと引き継がれた、理由も目的もよく分からない謎の業務。起源を聞いても、一番の古株すら「俺が入社した時にはもうあったからなぁ…」とか言って遠い目をするだけ。組織って、こういうあやふやな謎ルールで円滑に(クソ効率悪く)回ってたりする。

まあ、そんな会社の理不尽さにモヤモヤしながら帰宅したわけだけど、ベランダでさらに巨大な「ローカルルール」に遭遇することになる。

それは、我が家の洗濯物である。

我が家というひとつの組織において、洗濯物の干され方には明確な「階級制度」が存在する。

太陽の光をフルに浴びるVIP席で、国旗掲揚の如く靡いているのは、妻と子供たちの服だ。シワひとつなくピシッと伸ばされ、風通しまで計算し尽くされた美しすぎるフォーメーション。もはや芸術点すら高い。

一方で、ベランダの端っこ、微妙に日陰ってるゾーンに追いやられている謎の布地がある。 ……って俺のワイシャツじゃねーか!

よく見ると、ハンガーへの通され方がかなりワイルド。首元から無理やり押し込まれた形跡があって、襟は内側に折れ曲がったままジャストフィットしている。なんなら右袖だけ、なぜか折りたたまれた状態で乾きつつあった。干すっていうか、布地の物理的な限界に挑まされてる感がすごい。

「……なるほど。そういうことね」

僕は真顔でワイシャツを見つめた。
怒りも悲しみもない。ただ、組織における「明確な優先順位」という現実を冷静に理解しただけだ。

効率と愛着の配分。限られたリソースの最適化。そう考えれば、妻のこの干し方は極めて合理的なのだ。限られたベランダのスペースと時間の中で、最大の成果(=自分と息子の服を完璧に仕上げること)を出すための英断。僕のワイシャツの右袖は、その尊い犠牲になったに過ぎない。

職場でも家庭でも、組織のローカルルールには逆らえないのだ。

僕は折りたたまれたままカピカピに乾きかけた右袖を無感情に引っ張り伸ばしながら、静かに思った。

「まあいいさ。着られるなら何の問題もない。」


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