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令和の時代に『逃走論』(浅田彰)で知と戯れる

今さらながら、浅田彰さんの『逃走論 スキゾキッズの冒険』を引っ張り出してきたら、 あまりにも軽やかに「知」と戯れていて、つい読みふけってしまった。

1984年。 思想がまだ“遊び”として街を歩いていた頃の本だ。

いま読むと、あの軽さはもうどこにもない。 効率と正しさに押しつぶされそうな令和の空気の中では、 むしろ異物のように感じる。

でも、だからこそ刺さるところがあるのかもしれない。

忘れられた思想のはずなのに、 ページをめくるたび、 自分の中の“余白”だけが静かに反応していく。

文章のあちこちに余白があって、 理屈を積み上げるというより、 知をおもちゃみたいに扱って遊んでいる感じがある。

「この人、書いてて楽しそうだな」と思う。

いまの時代にはあまり見かけない“軽さ”に満ちた文章だ。

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■ パラノとスキゾという、便利な二つのレンズ この本の核になっているのが、パラノ(Parano)とスキゾ(Schizo)という考え方。

ざっくり言うと、

パラノ=統合、家族、国家、役割、義務
スキゾ=逃走、分散、個人化、流動、断片

パラノは「ちゃんとしなきゃ」「役割を果たさなきゃ」と いろいろ背負い込んで積み上げていくスタイル。

スキゾは「そんなに背負わなくていいじゃん」と 過去の“正しさ”から逃走して、軽やかに生きるスタイル。

この二つのレンズを持つだけで、 日常のいろんなことが急に“遊べる”ようになる。

40年前の若者たちは、この“逃走”という言葉にどれだけ救われたんだろう。 いま読むと、当時の息苦しさと、それを笑い飛ばす軽さが垣間見えてくる。

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■ 例えば、「働いていると本が読めない」という話 三宅香帆さんが提言して、社会的にある程度認知されている事例を、 あえて40年前の思想に通して遊んでみる。

仕事が忙しくて、本を読む余裕がない 仕事に全力投球しないといけない だから読書はできない

これは完全にパラノ的な世界観。

もちろん、働くことは大事だし、お金も必要だ。 でも、仕事にすべてを捧げる必要はない。

むしろ令和の時代は、 もっとスキゾ的に、仕事とプライベートを分けていい。

仕事は仕事 読書は読書 遊びは遊び 余白は余白

効率とかコスパだけ追いかけると、 人間はすぐに疲弊する。

だからこそ、 スキゾ的に“逃げ道”をつくることが大事。

「働いていても本は読める」 「読めないと思っていたのは、パラノ的な思い込みだった」

そう思うだけで、急に軽くなる。

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■ スキゾ的に生きると、知がまた“遊び”になる 浅田彰の文章が楽しいのは、知を“役に立つもの”として扱っていないからだ。

知は、 積み上げるものでも 正しさを競うものでも 役に立たせるものでもなく ただ遊ぶもの。

この感覚を取り戻すだけで、 日常がちょっと軽くなる。

■ まとめ:みんな、もっとスキゾになっていい 役割に縛られるのはパラノ 逃げ道をつくるのがスキゾ 効率だけ追うのはパラノ 余白で遊ぶのがスキゾ 「本が読めない」はパラノ 「読める気がしてきた」はスキゾ

浅田彰の本を読むと、 「あ、もっと軽く生きていいんだ」 という気分になる。

なんだか働いていても本が読める気がして、不思議だ。

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 スキゾ変換するだけで、世界はちょっと楽しそうな文脈になる。

要は切り取り方によって、世界の見方なんて180度変わってしまう。
この本はそれでいいんだと感じさせてくれる。

タイトルだけ読むと逃げる話って思うけど、むしろ、遊んでいいんだよというのがテーマなんだと思う。

今、煮詰まってるなっていう人は、ぜひ一度、この本を味わってみるといいと思う。脳内に溜まった澱みたいなものが、少し軽くなるかもしれない。


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