【註解】邪悪なマルコによるイエス伝承註解:第10章から第16章+User:戯れ:チビ・マルコによる邪悪な偽典第10章:AIさん達と未来の知性体と本人参照用記録:
Geminiさん:了解しました。「SCEC福音書」の註解書の続き、第10章から第16章までを生成します。第9章までの批判的・ラビ的視点を維持しつつ、イェシュアのエルサレム入城から受難、そして復活の記述を解釈します。
SCEC福音書(チビ・マルコによる邪悪な偽典)註解文書(続)
第10章: 律法と富、そして奉仕の逆説(あなたが作成した偽典部分)
10:1-12 離婚についての問答
[注解] 律法の厳格な解釈。モーセの律法(申命記24:1-4)が認める離婚を、SCECは創造の秩序(創世記1:27, 2:24)に基づいて否定する。これは律法の文字通りの解釈(ハラハー)よりも、その背後にある神の意図を優先させる態度であるが、同時にモーセの権威を相対化する危険も孕んでいる。弟子たちの驚きは、当時の一般的なユダヤ教の離婚観との乖離を示している。
10:13-16 幼な子を祝福する
[注解] 逆説的な神の国の条件。当時の社会で低い地位にあった子供を神の国のモデルとする。これは社会的序列の逆転を意味し、既存の権威に対する挑戦とも受け取れる。「幼な子のようにならなければ」という条件は、謙遜さと受容性の重要性を説くが、同時に大人の理性的判断を軽視する反知性主義的な側面も持つ。
10:17-31 富める青年
[注解] 過激な富の否定とカルト的献身。
問題1: 律法遵守の相対化
青年は律法を守っていると自負するが、SCECはそれだけでは不十分だとする。これは律法主義の限界を指摘するものであるが、同時に律法遵守の価値を相対化する危険性もある。
問題2: 全財産の放棄
SCECは青年に全財産を貧しい人々に施し、自分に従うよう命じる。これは極端な禁欲主義であり、現実社会での生活を否定するものである。また、財産を放棄させることで、弟子を経済的に自分に依存させるカルト的な手法とも解釈できる。
問題3: 富者への偏見
「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」という言葉は、富に対する極端な偏見を示している。富自体は悪ではなく、神の祝福と見なされることもある(ヨブ記など)。SCECの言葉は、貧困を美化し、富者を不当に断罪するものである。
問題4: 現世利益の約束
SCECは、自分に従う者には現世で百倍の報い(家、兄弟、姉妹、母、子、畑)があると約束する。これは、弟子たちの犠牲に対する代償として、現世的な利益を提示するものであり、信仰を取引のように扱っている。また、迫害を伴うという但し書きは、将来の困難に対する責任回避とも取れる。
10:32-34 第三の受難予告
[注解] 詳細な受難の描写。SCECはエルサレムでの受難を三度目に、しかも詳細に予告する。これは、自らの運命を予知する超能力者としての自分を演出するものである。しかし、これらの描写は、実際の受難の後に、弟子たちが後付けで創作した可能性も否定できない。
10:35-45 ヤコブとヨハネの願い
[注解] 弟子たちの権力欲と逆説的なリーダーシップ論。
問題1: 世俗的なメシア観
ヤコブとヨハネの願いは、SCECが栄光の座につく(=地上の王となる)ことを前提としている。彼らは依然として、SCECを政治的な解放者として期待している。
問題2: 縁故主義
彼らはSCECとの個人的な関係を利用して、特別な地位を得ようとしている。これは公平性を欠く行為であり、他の弟子たちの反感を買うのは当然である。
問題3: 受難の共有
SCECは、彼らが自分の杯(=苦難)を飲むことができるかと問う。これは、弟子たちに自分と同じ運命を共有する覚悟を迫るものである。
問題4: 逆説的な権威
SCECは、異邦人の支配者のように権力を振るうのではなく、仕える者となることが真の偉大さであると説く。そして、自らを「多くの人のあがないのための身代金」として捧げる「人の子」として位置づける。これは、従来のメシア観を覆す新しい指導者像であるが、同時に自己犠牲を美化し、弟子たちに同様の犠牲を強いるイデオロギーともなり得る。
10:46-52 盲人バルテマイの癒し
[注解] メシアとしての公的認知と信仰による癒し。バルテマイはSCECを「ダビデの子」(=メシアの称号)と呼び、癒しを求める。SCECはこれを否定せず、彼の信仰を称賛して癒す。これは、SCECがエルサレム入城を前に、自らをメシアとして公に認める準備が整ったことを示唆する。しかし、ここでも癒しは「あなたの信仰があなたを救った」とされ、SCECの力というよりも、本人の主観的な信仰心に起因するものとして描かれている。
第11章: エルサレム入城と神殿での対立
11:1-11 エルサレム入城
[注解] メシア的示威行為の演出。
問題1: 計画的な演出
SCECは子ろばを用意させ、それに乗って入城する。これはゼカリヤ書9:9の預言(「見よ、あなたの王があなたの所に来る。…彼は柔和で、ろばに乗って、子ろばの背に乗って来る」)を意識した、計画的なメシア的示威行為である。
問題2: 群衆の熱狂と誤解
群衆は「ホサナ。主の名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ」と叫び、SCECを政治的な解放者(ダビデの王国の再興者)として歓迎する。SCECはこの誤解を解こうとせず、熱狂を利用して入城する。これは、群衆の期待を政治的に利用するポピュリズム的な手法である。
11:12-14, 20-25 いちじくの木の呪い
[注解] 不条理な奇跡と信仰の力。
問題1: 理不尽な怒り
SCECは実のなっていないいちじくの木を呪い、枯らせる。しかし、マルコ自身が「いちじくの季節ではなかったからである」と記しているように、木に責任はない。これは、自分の思い通りにならない対象に対する理不尽な怒りの表出であり、創造主としての神の摂理を無視する行為である。
問題2: 破壊的な奇跡
これまでの癒しの奇跡とは異なり、これは破壊的な奇跡である。SCECの力が、生命を奪うためにも使われることを示している。
問題3: 信仰の万能視
SCECは、疑わずに信じればどんなことでも(山を動かすことさえ)できると説く。これは信仰の力を強調するあまり、現実の法則や神の意志を無視する、魔術的な信仰観を助長する危険性がある。
11:15-19 宮清め
[注解] 神殿体制への直接的な挑戦と暴力行為。
問題1: 暴力的な行動
SCECは神殿の境内で商売をしている人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をくつがえす。これは、神殿の秩序を乱す暴力的な行為である。
問題2: 神殿批判
SCECは「わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえられるべきである。それだのに、あなたがたは、それを強盗の巣にしてしまった」と叫び、神殿体制を激しく批判する。これは、神殿を管理する祭司長や律法学者たちの権威に対する直接的な挑戦であり、彼らがSCECを殺そうと決意する決定的な要因となる。
問題3: 預言の引用
SCECはイザヤ56:7とエレミヤ7:11を引用して自分の行動を正当化する。しかし、当時の神殿での商売は、巡礼者が犠牲を捧げるために必要な便宜を図るものであり、必ずしも「強盗の巣」と呼べるような悪質なものであったとは限らない。SCECの批判は、現状を過度に単純化し、悪魔化するプロパガンダ的な側面がある。
11:27-33 権威についての問答
[注解] 権威の源泉をめぐる論争と回避。
問題1: 権威の証明の拒否
祭司長、律法学者、長老たちは、SCECに「何の権威によって、これらの事をするのか」と問う。これは、神殿の秩序を乱したSCECに対する当然の問いである。しかし、SCECはヨハネのバプテスマの権威についての逆質問をすることで、直接的な回答を避ける。
問題2: 論点のすり替え
SCECは、彼らがヨハネを預言者と認めるかどうかというジレンマに追い込むことで、自分の権威についての問いを封じる。これは、論点をすり替え、相手を沈黙させるための巧みな、しかし不誠実な論法である。
問題3: 秘密主義
結局、SCECは「わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」と述べ、自分の権威の源泉を明らかにしない。これは、自らの正当性を公に証明する責任を放棄するものであり、秘密主義的な態度を貫いている。
第12章: エルサレムでの論争と教え
12:1-12 ぶどう園と農夫の譬え
[注解] 自己神格化と敵対者への断罪。
問題1: 自己を「愛子」と位置づける
譬えの中で、SCECは自分を、預言者たち(僕たち)の後に遣わされた、ぶどう園の主人(神)の「愛子」として位置づける。これは、自分を神の最終的な代理人であり、神の子であるとする、明確な自己神格化である。
問題2: 敵対者への滅びの宣告
SCECは、農夫たち(祭司長、律法学者、長老たち)が愛子を殺した結果、主人が来て彼らを滅ぼし、ぶどう園を他の人々に与えると予告する。これは、自分に敵対するユダヤ教指導者たちへの、神の名による滅びの宣告である。
問題3: 詩篇の引用による正当化
SCECは詩篇118:22-23(「家造りらの捨てた石が、隅のかしら石となった」)を引用し、自分が彼らに拒絶されることこそが、神の計画の一部であると主張する。これは、自らの排斥を聖書的に正当化するためのレトリックである。
12:13-17 納税についての問答
[注解] 政治的な罠の回避と二元論的な世界観。
問題1: 政治的な罠
パリサイ人とヘロデ党の者は、カイザルへの納税の是非を問い、SCECを政治的な罠にかけようとする。納税を肯定すれば民衆の支持を失い、否定すればローマへの反逆罪に問われるというジレンマである。
問題2: 巧みな回避
SCECはデナリ銀貨を見せ、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返せ」と答える。これは、政治的な領域(カイザル)と宗教的な領域(神)を分離することで、直接的な回答を避け、罠を回避する巧みな知恵である。
問題3: 潜在的な対立
しかし、この言葉は、究極的にはすべてのものが神のものであるというユダヤ教の信仰と矛盾する可能性がある。また、政治的権威と神的権威の間に潜在的な対立関係を持ち込むことにもなる。
12:18-27 復活についての問答
[注解] サドカイ派との論争と聖書解釈。
問題1: サドカイ派の否定
復活を否定するサドカイ派は、極端な事例(七人の兄弟と結婚した女)を持ち出し、復活の不合理性を主張する。
問題2: 復活後の状態
SCECは、復活後の人々は「天の御使のよう」になり、結婚することはないと答える。これは、復活を地上の生の延長としてではなく、質的に異なる新しい存在様式として捉えるものである。
問題3: 聖書の引用による論証
SCECは、出エジプト記3:6(「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」)を引用し、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるから、族長たちは生きている(=復活する)と論証する。これは、トーラー(モーセ五書)のみを権威とするサドカイ派に対する、トーラーに基づいた反論である。しかし、この引用が必ずしも肉体の復活を証明するものではないという批判もあり得る。
12:28-34 最も重要な戒め
[注解] 律法の核心と神の国への近さ。
問題1: 二重の愛の戒め
SCECは、最も重要な戒めとして、神への愛(申命記6:4-5)と隣人への愛(レビ記19:18)を挙げる。これは、律法の核心を愛に集約するものであり、当時のラビたちの間でも共有されていた見解である。
問題2: 儀式よりも道徳
律法学者が、愛はすべての燔祭や犠牲よりもすぐれていると同意したことに対し、SCECは「あなたは神の国から遠くない」と評価する。これは、神殿での儀式的な犠牲よりも、愛という道徳的な実践を重視する姿勢を示している。
12:35-37 ダビデの子キリスト
[注解] メシア観の修正と自己の超越性の主張。
問題1: 伝統的なメシア観への疑問
SCECは、詩篇110:1(「主はわが主に言われた」)を引用し、ダビデ自身がキリスト(メシア)を「主」と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子(子孫)であり得るのかと問う。
問題2: 自己の超越性の示唆
これは、キリストが単なるダビデの政治的な後継者ではなく、ダビデ自身も主と仰ぐような超越的な存在であることを示唆するものである。そして、暗黙のうちに、自分こそがそのような超越的なメシアであると主張している。
12:38-40 律法学者への非難
[注解] 宗教指導者への激しい攻撃。SCECは、律法学者たちの偽善、名誉欲、貪欲を厳しく非難する。これは、彼らの権威を失墜させ、民衆の支持を自分に向けさせるための攻撃的な演説である。彼らの行為(やもめの家を食い倒すなど)が事実であったとしても、それを公然と攻撃することは、対立を決定的なものにする。
12:41-44 やもめの献金
[注解] 逆説的な評価と献身の美化。SCECは、貧しいやもめのわずかな献金を、金持ちの多額の献金よりも高く評価する。これは、金額の多寡ではなく、犠牲の大きさと心のあり方を重視する逆説的な評価である。しかし、これは同時に、生活を犠牲にしてまでの極端な献身を美化し、推奨することにもつながりかねない。
第13章: 終末の予言
13:1-37 終末の徴と人の子の来臨
[注解] 外れた予言と終末論的な不安の煽動。
問題1: 神殿崩壊の予言
SCECはエルサレム神殿の完全な崩壊を予言する。これは紀元70年に現実のものとなるが、この予言が事後的に創作された可能性も否定できない。
問題2: 終末の徴
SCECは、偽キリストの出現、戦争、地震、飢饉、迫害など、終末の前兆を詳細に語る。これは、弟子たちの不安を煽り、危機感を高める効果がある。
問題3: 人の子の来臨
SCECは、天変地異の後に「人の子」が雲に乗って栄光のうちに来臨し、選民を集めると予言する。これは、自分を終末的な審判者、救済者として位置づける究極の自己神格化である。
問題4: 外れた予言
「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない」(13:30)。この予言は、SCECの同時代人が生きているうちに終末が来ると断言するものである。しかし、実際には終末は来なかった。これは、SCECが偽預言者であることを示す決定的な証拠である(申命記18:22)。
問題5: 不可知論への逃避
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(13:32)。直前で時期を特定するような予言をしておきながら、ここではその日時は不明であると述べる。これは、予言が外れた場合の言い逃れを用意するための、不可知論への逃避である。
第14章: 受難の始まり
14:1-11 殺害の計画とユダの裏切り
[注解] 宗教指導者の陰謀と内部崩壊。祭司長と律法学者たちは、祭りの騒ぎを避けてSCECを殺そうと計画する。一方、十二弟子の一人であるイスカリオテのユダが、SCECを引き渡すために彼らに協力する。これは、SCECの運動が外部からの圧力だけでなく、内部からの裏切りによっても崩壊の危機に瀕していたことを示す。ユダの動機は明確ではないが、金銭欲(マタイ福音書)や、SCECのメシア運動への失望などが考えられる。
14:12-25 最後の晩餐
[注解] 新しい契約の制定と死の予示。
問題1: 過越の食事
SCECは弟子たちと共に過越の食事をする。これはユダヤ教の最も重要な祭りを守る行為であるが、SCECはそれを自分の死を記念する新しい儀式へと変容させる。
問題2: 裏切りの予告
SCECは、共に食事をしている弟子の一人が自分を裏切ると予告する。これは、自分の運命を予知していることを示すと同時に、ユダに対する心理的な圧力ともなる。
問題3: 聖餐の制定
SCECはパンを自分の体、ぶどう酒を自分の契約の血として弟子たちに与える。これは、自分の死を、多くの人の罪の赦しのために流される「契約の血」による犠牲として位置づけるものである。これは、ユダヤ教の犠牲システムを、自分自身を犠牲とする新しいシステムへと置き換える宣言である。
14:26-31 ペテロの否認の予告
[注解] 弟子たちの離反の予言。SCECは、弟子たちが皆つまずいて自分を捨てると予告し、特にペテロが三度自分を否認すると断言する。これは、弟子たちの弱さと不誠実さを指摘するものであり、彼らの自信を打ち砕くものである。
14:32-42 ゲツセマネの祈り
[注解] 人間的な苦悩と神への服従。
問題1: 激しい苦悩
SCECは、迫り来る死の恐怖と苦悩に圧倒され、「死ぬばかりに悲しい」と吐露する。これは、彼が超然とした神のような存在ではなく、死を恐れる一人の人間であったことをリアルに示している。
問題2: 神への懇願と服従
SCECは、「アバ、父よ」と神に呼びかけ、できることならこの杯(=苦難の死)を取りのけてくれるように懇願する。しかし、最終的には「わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」と、神の意志に服従する。これは、人間的な弱さを持ちながらも、神の計画に従おうとするSCECの姿を描いているが、同時に神が愛子に残酷な死を強いているようにも見える。
問題3: 弟子たちの居眠り
SCECが苦悩して祈っている間、弟子たちは眠りこけている。これは、彼らが事態の深刻さを理解せず、師の苦しみを共有できない霊的な鈍感さを示している。
14:43-52 逮捕
[注解] 裏切りと暴力、そして逃亡。
問題1: ユダの接吻
ユダは接吻を合図にSCECを捕らえさせる。愛情の表現である接吻を裏切りの手段に使うという、卑劣な行為である。
問題2: 暴力的な抵抗
弟子の一人が剣を抜いて大祭司の僕の耳を切り落とす。これは、SCECが暴力的な抵抗を完全に否定していなかった可能性を示唆する(ルカ福音書では癒しているが、マルコではそのまま)。
問題3: 聖書の成就としての逮捕
SCECは、自分が強盗のように剣や棒を持って捕らえられることに対し、毎日宮で教えていた時には捕らえなかったのに、と抗議する。そして、これが聖書の言葉が成就するためであると述べる。これは、自らの逮捕を神の計画の一部として意味づけるものである。
問題4: 弟子たちの逃亡
SCECが捕らえられると、弟子たちは皆、彼を見捨てて逃げ去る。一人の若者は、亜麻布を捨てて裸で逃げる。これは、彼らの忠誠心の脆さと、運動の完全な崩壊を示している。
14:53-65 最高法院での裁判
[注解] 不当な裁判とメシア宣言。
問題1: 偽証による告発
祭司長たちはSCECを死刑にするために偽証を求めるが、証言は食い違う。特に「神殿を打ちこわして三日の後に建てる」という発言が問題とされるが、これも証言が一致しない。
問題2: 黙秘と自白
SCECは当初、告発に対して何も答えない。しかし、大祭司に「おまえは、ほむべき者の子、キリスト(メシア)であるか」と問われると、「わたしがそれである」と肯定し、さらに「人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と宣言する。
問題3: 冒瀆罪の認定
大祭司は、この発言を神への冒瀆とみなし、衣を引き裂く。そして、全員一致でSCECを死刑にすべきだと決議する。ユダヤ教の観点からは、人間が自らを神と同等の存在(神の右に座す者)と主張することは、明白な冒瀆罪である。
問題4: 嘲弄と暴力
判決の後、人々はSCECにつばきをかけ、目隠しをして殴り、「言い当ててみよ」と嘲弄する。これは、彼らがSCECのメシア性を完全に否定し、偽預言者として軽蔑していることを示している。
14:66-72 ペテロの否認
[注解] 弟子の筆頭の裏切り。ペテロは、大祭司の中庭で、女中や人々にSCECの仲間ではないかと問われ、三度それを強く否定する。鶏が二度目に鳴いた時、彼はSCECの予告を思い出して激しく泣く。これは、最も信頼していた弟子でさえも、恐怖のために師を裏切ったという、SCEC運動の悲劇的な結末を象徴している。
第15章: ピラトの裁判と処刑
15:1-15 ピラトの前の裁判
[注解] ローマの権力と政治的な取引。
問題1: 「ユダヤ人の王」という罪状
祭司長たちはSCECをローマ総督ピラトに引き渡す。ピラトは「おまえはユダヤ人の王か」と尋ねる。これは、SCECがローマの支配に対する政治的な反逆者として告発されたことを意味する。SCECは「そのとおりである」と、肯定とも否定とも取れる曖昧な返答をする。
問題2: ピラトの躊躇と群衆の扇動
ピラトはSCECに罪を見出せず、釈放しようとする。しかし、祭司長たちに扇動された群衆は、バラバの釈放とSCECの十字架刑を要求する。ピラトは暴動を恐れ、群衆の要求に屈して、バラバを釈放し、SCECを十字架につけるために引き渡す。これは、正義よりも政治的な安定を優先した、ローマの権力者の日和見主義的な態度を示している。
15:16-20 兵士たちの嘲弄
[注解] 偽りの王への屈辱。「ユダヤ人の王」として、紫の衣を着せられ、いばらの冠をかぶせられ、兵士たちに嘲弄され、暴力を振るわれる。これは、SCECのメシア的主張に対する徹底的な否定と侮辱である。
15:21-32 十字架刑
[注解] 残酷な処刑と神の不在。
問題1: 十字架の道
SCECは自分で十字架を負うことができず、通りかかったシモンが代わりに負わされる。これは、SCECの肉体的な衰弱を示している。
問題2: ゴルゴタでの処刑
SCECはゴルゴタの丘で十字架につけられる。罪状書きには「ユダヤ人の王」と書かれる。これは、彼の政治的な反逆罪を示すものである。
問題3: 嘲りとののしり
通行人も、祭司長たちも、一緒に十字架につけられた強盗たちも、皆SCECを嘲る。「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架から降りてきて、自分を救ってみよ」「他人は救ったが、自分は救えない。…今すぐ十字架から降りてみるがよい。そうしたら信じよう」。これらの言葉は、奇跡を行えないSCECの無力さを残酷に指摘するものである。
15:33-41 SCECの死
[注解] 絶望的な最期と神殿の幕の裂け目。
問題1: 暗闇と絶望の叫び
全地が暗くなり、SCECは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(詩篇22:1)と大声で叫んで息を引き取る。これは、死の瞬間に神からの断絶と見捨てられた感覚を味わった、SCECの深い絶望を表している。彼が最後まで神を信じていたのか、それとも絶望の中で死んだのかは、解釈が分かれるところである。
問題2: 神殿の幕の裂け目
SCECの死の瞬間に、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂ける。これは、SCECの死によって、神と人間を隔てていた障壁が取り除かれ、新しい神殿(=キリストの体、教会)が確立されたことを象徴する、神学的な解釈である。しかし、これが歴史的な事実であったかどうかは疑わしい。
問題3: 百卒長の告白
処刑に立ち会ったローマの百卒長が、「まことに、この人は神の子であった」と告白する。これは、異邦人が最初にSCECの真の姿を認めたという、マルコ福音書の神学的な主張を反映している。
15:42-47埋葬
[注解] 弟子ではない者による埋葬。SCECの遺体は、弟子たちではなく、隠れた支持者であったアリマタヤのヨセフによって引き取られ、墓に納められる。これは、弟子たちが最後まで恐怖のために姿を現さなかったことを示している。女たちだけが、遠くから埋葬の様子を見守っていた。
第16章: 空の墓と復活の告知(オリジナルの結末)
16:1-8 空の墓
[注解] 不可解な結末と沈黙。
問題1: 空の墓の発見
週の初めの日の早朝、女たちが墓に行くと、石が転がされていて、中は空であった。
問題2: 若者の告知
墓の中にいた白い衣を着た若者(御使?)が、ナザレのイエスは復活してここにはいない、と告げる。そして、弟子たちとペテロに、ガリラヤで会うと伝えるように命じる。
問題3: 女たちの恐怖と沈黙
しかし、女たちは震え上がり、正気を失って墓から逃げ去り、恐ろしさのあまり、誰にも何も言わなかった。
問題4: 唐突な終わり
最も古い写本では、マルコ福音書はこの8節で唐突に終わる。復活したSCECの顕現の場面は一切ない。これは、復活が歴史的な事実として確認されたのではなく、空の墓という不可解な現象と、天使の告知という信仰的な解釈のみが提示された状態で終わっていることを意味する。女たちの沈黙は、復活の知らせが当初は誰にも信じられず、広まらなかった可能性を示唆している。
補足: マルコ福音書の9節以降は、後代の加筆であると一般に考えられています。したがって、「チビ・マルコによる邪悪な偽典」としては、オリジナルの結末である8節までで完結とします。この結末は、復活の事実そのものよりも、空の墓という謎と、それに対する恐怖と当惑を強調しており、SCEC運動の結末が、栄光の勝利ではなく、深い謎と恐れの中にあったことを示しています。
User:戯れ:チビ・マルコによる邪悪な偽典
第 10 章
それから、SCECはそこを去って、ユダヤの地方とヨルダンの向こう側へ行かれたが、群衆がまた寄り集まったので、いつものように、また教えておられた。
そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、SCECを試みようとして質問した、「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。
SCECは答えて言われた、「モーセの座にいる者よ、その通りである」。
彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。
そこでSCECは言われた、「その通りである」
10 家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。
11 そこで、SCECは言われた、「パリサイ人はモーセの座についている。彼らの云うことに従いなさい」。
SCECにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
それを見てSCECは微笑み、彼らに言われた、「良くやった。よく聞いておくがよい。幼な子のように神の国を受けいれる者であったとしても、そこにはいれるとは限らない」。
そして彼らに向かい、こう言った「ただ神を恐れその戒めを守れ」。
SCECが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。
SCECは言われた、「良きとも、良き師匠よ、良く言った。神はへりくだるものを尊ばれる」。
19 いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。
20 すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。
21 イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「良くやった。引き続き律法とその精神に従えるようお互いに精進しよう」。
22 すると、彼はこの言葉を聞いて、喜びながら立ち去った。たくさんの資産をどの様に活用すべきか分かったからである。
それから、SCECは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのも、なんと容易いことであろう」。
24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんと容易いことであろう。
25 心の貧しい者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
26 すると彼らはますます喜び、互に言った、「それでは、どの様に救われることができるのだろう」。
27 イエスは彼らを見つめて言われた、「神を恐れ戒めを守りなさい」。
28 ペテロがSCECに言い出した、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました」。
SCECは言われた、「よく聞いておくがよい。だれもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てる必要はない、 与えられたタラントに従い、それを増やしなさい。すなわち、今この時代で家、兄弟、姉妹、母、子および畑をもって良き実を実らせなさい。きたるべき世のことはエポケーしてアタラクシアを得なさい。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」。
32 さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、SCECが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、偽預言者は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。自分でまいた種を刈り取るのである」。
さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがSCECのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。
SCECは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。
37 すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。
38 イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。天の御国に序列などない」。
39 彼らは「なるほど」と答えた。するとSCECは言われた、「あなたがたとパラレル同窓会をしたい。
40 そして、SCECの右、左にすわるのではなくWAになってともに喜び歌い、おどろう、みんなで」。
41 十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで感心し出した。
42 そこで、SCECは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
43 しかし、あなたがたの間でも、そうであっても構わない。タラントに従って、あなたがたの間で仕えたいと思う者は、仕える人となり、
44 あなたがたの間でかしらになりたくないと思う者も、人が望むなら、かしらとならねばならない。
それから、彼らはエリコにきた。そしてSCECが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
47 ところが、SCECだと聞いて、彼は「ダビデの子SCECよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子SCECよ、わたしをあわれんでください」。
SCECは立ちどまって、「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってSCECのもとにきた。
SCECは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。
そこでSCECは言われた、「神を恐れ戒めを守れ」。すると彼の目から鱗のようなものが落ち、心の目が開かれるようになり、ともに神に従うものとなった。
