四納言(後編)
今日は前回の続き、四納言の残り二人について紹介します。
藤原斉信(ふじわらのただのぶ)

この人の名前の読み方は、「ただのぶ」と「なりのぶ」二つ説があるそうですが、メジャーな「ただのぶ」の方を採用しようと思います。
私は彼が美青年であるとはっきり書かれた文献は見ていないのですが、ネットで検索すると「容姿端麗」であるという情報もあるので、まだ読んでいない文献にそういう表記があるのかもしれない。ただ、『枕草子』をはじめとして、彼について書かれた説話を読むと、少なくとも、「リア充」で「立ち居振る舞いがイケメン」であったことは想像に難くないと言った感じ。顔かたちの造形がどうこうというより、全体的に「イケメンオーラ」溢れる人物だったのかと思われます。
プライドも高い人なので、私の絵ではちょっとナルシスト感も意識して描いてます。
生年:967年(公任さんより1歳年下)
没年:1035年
この人もお父さんは太政大臣になっています。十分エリート。
公任さんよりしたたかな性格で、四人の中ではおそらく最も積極的に道長に接近していたのではないでしょうか。出世欲が強い感じ。『古事談』では、公任さんの後の蔵人頭になりたそうにしていた様子が書かれています。(実際は同じ四納言の源俊賢になったそう)
お兄さんの誠信(さねのぶ)と折り合いが悪く、道長に唆されて兄を出し抜いて出世したという逸話があります。そのことを知った兄は憤死。その際、拳を強く握りしめすぎて、手のひらから指が突き抜けていたとか。ホラーですね。
時々公任さんを出し抜いて自分が前に出るようなこともあり、公任さんは彼に官位を抜かれた時に拗ね……抗議して引きこもりになったこともあるようで。
そういう行動からしても、公任さんは四人の中では、斉信を最もライバル視していたっぽいのです。でも仲が悪いわけじゃなくて、よくつるんでるっぽいので光源氏と頭中将のような関係性だったんじゃないかな。
和歌や漢詩にも精通していたそうで、文化人としての側面も強い。ただ、小倉百人一首に選ばれていないので、一般的な感覚で歌人としてのインパクトには欠けるかも知れない。
『枕草子』では清少納言の悪い噂(清少納言曰く、真実ではないこと)を信じ、清少納言に会った際に扇で顔を隠して無視したという話が個人的に印象的です。そんな露骨な……。清少納言は斉信について概ね好意的なようですが、わざわざ書き残すということは、清少納言的にもこの仕打ちは当時まあまあおこだったんでしょう。
後半、若干ネガキャンじみたことを書いてしまったのは私が公任さん贔屓だからであることは否めませんが、貴族たちの間でも評判がよく、コミュ力も高いので、彼も光属性のキャラだと思います。
源俊賢(みなもとのとしかた)

四納言で唯一藤原氏でない人、源俊賢。本人は教科書には載っていないが、父の源高明は教科書太字レベルの重要人物なので、そちらを聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
俊賢はストイックでクールなイメージ。私の絵では、なんとなく三白眼気味。他の三人に比べると、実はまだキャラを掴み切れていないところがあります。
生年:960年(公任さんより6歳年上)
没年:1028年
四納言で最も年上であり、実は苦労人。
なんとこの人の父は醍醐天皇の皇子。つまり、俊賢のおじいさんは天皇なのですね。この情報だけなら、公任さんよりよっぽどエリートなのですが、立場的にはどちらかというと不遇な方でした。
父、源高明は醍醐天皇の息子だけれども、7歳で源氏姓を与えられて臣籍に降下しています。学問に優れていたことから朝廷で重んじられますが、藤原氏に存在を疎まれて「安和の変」という日本史の教科書太字事件で太宰府に飛ばされてしまうのです。しかも流された後、京の家が火事で全焼。京に残っていた子供や奥さんも出家することになります。
ところで「源氏に臣籍降下」ってどこかで聞いたことがないですか? そう、光源氏ですね。この源高明も、光源氏のモデルの一人とする説があるそうです。高明のお母さんも更衣だったらしいので、紫式部がどこまで把握していたのかは不明ですが、無くはない話かと。息子俊賢は大学に入れられていたことから、いわば夕霧ポジションになるわけで、そう思うとちょっとわくわくしますね。
ところでなんで俊賢は出家してないのかというと、当時おそらく元服前であり、幸か不幸か父と一緒に太宰府に行っていたことが関係しているのではないでしょうか。『栄華物語』には「高明に子供がついていくことを許された」という記述があるので、年齢的に俊賢ではないかと言われているとのこと。
俊賢が大学寮にも所属しているのは、父の高明が家の再興を賭けて高度な教育を施したのではないでしょうか。
幼少期に、藤原氏の謀略に嵌められた父と大宰府に行き、実家は全焼、母も兄も出家したという波乱万丈な経験をした俊賢は、どのような気持ちで宮中に出仕していたのでしょうか。
それについて語られたものはまだ読んだことがないのですが、彼は父を陥れた藤原氏ともうまく付き合って世渡りし、最終的に大納言にまでなっています。他の貴族よりも冷めた目で周囲を観察し、宮中というサバイバルゲームに勝利したともいえますよね。
もちろん実務的にも有能であったため、一条天皇にも重用されていました。
古典文学としては、父を早くに亡くして出世街道からは外れていた行成を能力面で認めて天皇に推薦したエピソードが有名です。行成とは年がひと周りも離れているけれどもプライベートでも仲が良く、行成の子供の烏帽子親になったり、子供同士結婚させたりしていたらしいです。
なんというか、余計なお世話ながら、行成も俊賢も友達少なそうなので(失礼)ここ二人で親友になれたなら本当によかったな……と思ってしまいます。
公任さんとの絡みはそんなに多くなさそうですが、名前が出てくる時もあるので、やはり四納言はグループ行動することが多かったのかな……?
あまりキャラが掴めていないと言いながら俊賢の記述が多いのは、俊賢本人の性格等がわからない分、彼の周辺環境から推察して、自分の中で勝手にキャラができてしまっているところがあるので…。他の三人より妄想というか、フィクション成分が多くなるかと思います。
以上が四納言の四人のざっくり紹介でした。
年齢は、俊賢>公任>斉信>行成
亡くなった順は、俊賢→行成→斉信→公任
行成が一番若いのに、公任さんが一番長生きしてるんですよね…。公任さん、晩年寂しかっただろうと思います。
ここでチラッと紹介した逸話についても機会があったら詳しく見ていきたいと思っています。今回はここまで!
読んでいただきありがとうございました。公任さんシリーズは無料でマガジンにまとめているので、よかったらマガジンもよろしくお願いします。
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