密着が欲しかったわけじゃなかった〜愛されることと、近くにいることは一緒?
もっと近づきたい
私をわかってほしい。
私が特別な存在でありたい。
そんな気持ちを
感じたことはありませんか?
連絡が頻繁に来る。
何でも話せる。
いつでもそばにいてくれる。
そんな関係に
ほっとしている自分がいる。
それが人と繋がることだって思っていたきがします。
それなのに
連絡が頻繁にくると面倒臭い
なんでも話さなきゃいけないの?
いつも一緒にいなくてもいい
そんな相反する自分を感じていても
いや
密着するのが
良い人との関わり方なんだ
だからそうすればいい
そう思って
密着関係を探し続ける。
結局どっぷり疲れて
苦しくなる。
そんなことを繰り返していました。
____
なんでだろう、
何が間違っているんだろう?
私がきっとおかしいんだ
何か改善できるはず
そんなふうに
さらに自分を責めてもいました。
実は
密着という関係が必要だった訳では
ないのかもしれないと
今は思っています。
本当に欲しかったのは
離れていても
関係が壊れない安心だったとしたら?
例えば
愛されること=近くにいること
という前提があると
近い = 安全
離れる = 危険
密着 = 愛されている
距離 = 見捨てられる
すると
本当は
自由でいたい人でも
密着できる関係を
求めるようになるのかもしれません。
でも
本来の自分が
自由に動きたい
必要な時に近づきたい
1人の時間も大事にしたい
だとすると
近づきたい
でも離れたい
繋がりたい
でも縛られたくない
そんな葛藤が
起きやすくなるんです。
一見矛盾しているように
見えるかもしれませんね。
でも、考えてみてください
もし
密着している関係こそ
良い人間関係だ
と信じていたとしたら
誰かと距離を取りたくなる自分を見て
冷たい
薄情だ
愛情が足りない
そうやって自分を責めても
不思議ではないですよね。
離れても
また戻ってこられる関係は
近づく自由もある
離れる自由もある
違っていても大丈夫
断っても大丈夫
密着を求める人から見れば
そっけなく
寂しいものかもしれない
実際には
愛されることと、密着することは
別の話。
近くにいても
愛がないことがある。
離れていても
愛があることがある。
距離と愛情は
必ずしも一致しません。
そう思えないんだとしたら
実は
密着することだけが愛だと
学んだだけかもしれません。
私は本当は
風船みたいに
ふわっと漂っていたかった。
でも
そうやって漂ったら
愛されなくなってしまうかもしれない。
それが怖かった。
あなたは
密着していなくても、愛されていると感じられていますか?
