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わたしのこと、誰が叶えてくれるんだろう?(オマエだよ!)

わたしはずっと思ってた。

自分には、『無』から何かを生み出す力なんてない。

だから、生み出す才能を持った人の力になろう。
そういう人の「やりたい」を形にする役目なら、きっと自分にもできる。
それが、わたしの役割なんだ。
――そう信じてた。


…でも、違ったんだと思う。
たぶん最初から、違ってた。


わたしの中にもあったんだよ。
無理やり押し込めてても、勝手にあふれてくるモノが。

ずっと、それを認めてもらった経験が少なすぎた。
だから意味なんてないって、自分に言い聞かせてた。
誰かの「役に立つ」と、わたしの「やりたい」は、両立できないと思ってた。


ほんとバカだったと思う。
いや、仕方なかったんだけどね。


もちろん、探究心や好奇心でやってきたこともいっぱいある。
でも、最後にはいつも「得意だけど、楽しくない」ことが残った。
好きじゃないけど、できてしまう。
で、頼まれて、またやる。
次第に、わたしの「やりたい」は置いてけぼり。

マニュアルとか仕組み作りとか、わたし得意だったんだよ。
でも今思えば、「もう二度と自分がやらなくて済むように」作ってたんだよね。
今さら氣づくなって感じだけど、ほんとそうだった。

で、それが人の役に立つと、ますます抜けられなくなる。
「あなたが必要」って言われるけど、『わたし』である必要はどんどん消えていく。
誰でもいい作業のなかで、都合よく回されていく感覚。

便利な人、の完成。
量産型・都合のいい人間、できあがりです。



でもさ、その『便利』を生きてるあいだ、わたしの『思い』はどこ行ったん?

誰がわたしを叶えてくれるの?

って、ある日ふと思ったら、めっちゃしんどくなった。


いや、きっと手伝ってくれる人はいるんだよ。
でもそこまでたどり着くまでが、めっちゃ遠い。
わたしの『伝える』は、ほんとに難しい。

note出すときなんかも、実は毎回、胃が重い。
「わかってもらえないかも」って思いながら書いてる。
実際わかってもらえなかったこともあるし、「やっぱ出すんじゃなかった」って拗ねた夜もある。


でも、最近ようやく本当の意味でわかった。

「ねえ、それ誰が叶えるの?」

………いや、オマエだろ。わたししかいないじゃん(呆)。


そもそも、そう思ってたくせに、全然動けてなかったんよ。
動くのが怖かったのかもね。
「やっぱムリやった」ってなるのが。


わたし、ずっと引っかかってたのよ。

「『得意でもないし楽しくもないけど、できちゃうこと』、それって才能ですよ」
って言われるけど、それって「やれ」って言う免罪符じゃないの?って。

才能って『使われるもの』じゃなくて、『使いたくなるもの』でしょ?
なのに、「得意なんだからやれ」って押しつけられて。
喜びもないのにこなしてる自分に、どんどん自信がなくなってった。

……そりゃ、モヤるわ。


だから、今はその違和感を無視しないって決めてる。
「やらなきゃ」じゃなくて、「やりたい」で動きたい。
わたしをちゃんと『わたし』として扱うために、足掻いてる。
必死に、自分の中の『ホントの正解』を探してる


キレイな答えはまだ出てないけど。


でも今、この足掻きがちゃんと『わたしの未来』につながってるって、ちょっとだけ信じてる。
信じたい。
いや、信じさせてホンマに。
この足掻きが報われる世界であってくれって、切実に願ってる。
じゃないと、正直やってられんわってのが今の氣持ちw

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しましま@人生愉しむタノシスタ noteを読んでくださってありがとうございます。「楽しい気持ちになれた」「ホッとした」「気づきがあった」などありましたら、リアクションいただけると励みになります!サポートはnoteのおとも(コーヒー、ハーブティー、おやつ)に使わせていただきます♪