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内観の途中 “ちび山”とばっかり向き合っててもね……

 昨年12月にコーチング的なものを受けて、「内観」をするようになった。なるべく毎日。
 (やり方が正解か怪しいのだけれど)自分の感情、特にマイナスな感情、「悲しい」、「腹が立つ」、「自分はダメだ」などが沸いた時、「なんでそう思ったの?考えたの?」と自分に問いかけるようにしている。
 
 そうしていくと、単純に被害妄想のエンジン全開だっただけで、「そこまで悲観的にならなくてもいいじゃん」と冷静になれることもあれば、子ども時代の経験からくる「考え方のくせ」に気づくこともあった(具体のエピソードを書こうとしたけれど、まだ踏ん切りがつかないので省かせてもらいます)。
 そういうのに気づけたときは「なんと!!」 と純粋に驚き、「内観、大事だわぁ」とつくづく感じた。
 
 でも、いまいち「内観」をうまく出来ている気がしない。まだ1ヶ月も経っていないから?もっと続ければ、変化を感じられるようになるのかしら?
 
 今日、本屋で偶然見かけて買った『増補改訂版 スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険』(谷川嘉浩)を読んでいて(まだ読んでいる途中)、うまくいかない理由はこれかも、ということがあった。

 専門家や哲学者から学ぶ時には〈知識〉だけでなく、〈想像力〉を学ぶ必要がある、と著者はしている。その他者の想像力の取り入れ方について、こう書かれていた。

〜、「他者の想像力を自分のわかる範囲に落とし込み、自分みたいな想像力に塗り替えては意味がない」と言うこともできます。「他者の思考を学ぼうとするとき、ひとまずは相手のノリ(想像力)に沿って学ぶべきだ」と言ったのには、想像力の異質さを消してしまわないように、との意図もあったのです。
 自分の中に多様な他者がいる状態、つまり多様性に富んだエコシステム(生態系)を作ることが、「豊かな想像力を持つ」という言葉の意味するところです。

『スマホ時代の哲学』P104より

 あぁ、他者の思考を取り入れたいとか言いつつ、めっちゃ自分が受け入れやすいように塗り替えてたわ〜と気づいた。
 自分の中に多様な他者はおらず、似たような思考をもった、他者の思考を分かった気になっただけのちび山2号、3号、4号達と向き合っていても、そりゃあ堂々巡りにもなる。

 良いと思う他者の思考は受け入れたいと言いつつも、自分の中に住まわせたら自分の思考を「侵略」されるのではという恐怖があるのかもしれない。
 「侵略」じゃなくて、気持ち良く森林浴出来るような森になるイメージでいたら、受け入れやすくなるのかな。
 まだまだ試行錯誤中……。
 

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