ASDの長女と夫が衝突した日と私の気づき
■はじめに
私には30代の長女がいる
長女と夫は普段から仲がいいわけではない
会話が噛み合わないことが多く
時々言い合いになることがあった
夫は少し上からものを言うことがあり
長女もそのいい方にイライラしている
様子もあった
そんな関係の中である出来事がおこった
■ 長女と夫が衝突した日
夫が長女、次女に向かって
「お前たち」と言った
その瞬間、長女はすぐに言い返した。
「私はお前じゃない。名前がある」
と強く言い返した。
ただ怒っているというより、
その言葉を否定するような強さだった。
夫もそれに反応して
「なんだその言い方は」と声を強めた
空気が一気に張りつめた
■ そのときの私
私はすぐに胸がざわざわして
二人の間に入った
「落ち着こう」と声をかけながら
とにかくこの喧嘩を止めないといけない
そう強く感じていた
頭の中は
「早く止めないと」という焦りでいっぱい
だった
■ 予想外の出来事
そのとき、在宅で介護をしている父が
「トイレに連れていって」と声をかけてきた
一瞬迷ったが、待ってとは言えなかった
私は父のトイレ介助を優先し
その場を離れることになった
■ 離れている間の気持ち
正直、とても不安だった
「大丈夫だろうか」
「もっとひどくなっていないだろうか」
気が気ではなく
頭の中は二人のことでいっぱいだった
■ 戻ったとき
父のトイレ介助を終えて戻ると
思っていた光景とは違っていた
あれだけ言い合っていたのに
二人はなぜか笑いながら話していた
その様子を見て
強い安心と同時に、驚きがあった。
「大丈夫だったんだ」と思った
■ 私の中にあったもの
私は昔から、喧嘩がとても苦手だった
子どもの頃、父が怒鳴り、母が泣く
そんな場面を見てきた。
怒りは誰かを傷つけるもの
止めなければいけないもの
そう思っていた
さらに今の家庭でも
夫が怒りで物に当たる場面を
見たことがある
そのため私の中では
「怒りはエスカレートするもの」
という感覚が強くなっていた
だから私は不安になると
すぐ止めに入っていた
何かがおきる前に仲裁しようと
していた
■長女に感じたこと
長女は呼び方ひとつで「雑に呼ばれた」と
感じたのかもしれない。
一人の人としてではなく
まとめて扱われたような違和感
軽く見られたような感覚
その小さな引っかかりを
長女はそのままにせず言葉にした
「私は私だ」と伝えるように
■その場を離れてわかったこと
あの日、意図せずその場を離れたことで見えた事がある
衝突しても
必ずしも壊れるわけではないということ。
言い合いしながら反応しながら
少しずつ関係を戻していく力がある
ということ
そして
私がいなくても二人で関係を整えていく
ことが出来るということだった
■今回気づいたこと
私は「今、起きていること」ではなく
「起きるかもしれない未来に」
反応していたということ
夫が手を出してしまうかもしれない
その不安があるから何かが起きる前に
止めようとしていた
でもその結果
本当は二人で出来たかもしれないやりとりを
途中で止めてしまっていたのかもしれない
ぶつかりながら調整していく力を奪って
しまっていたのかもしれません
そして私はその場をコントロールしようと
していた
■ これから
今後もすべてを見守れるとは思わない
物に当たるような場面や
危険を感じるときは止める必要がある
でも、ただの言い合いであれば
見守っても大丈夫な場合がある
その違いを見ながら
関わり方を選んでいきたい
■ 最後に
私はずっと思っていた
「なんで喧嘩するの」
「なんで仲良くできないの」
「喧嘩は嫌い」
でも今は少し違う
喧嘩の中にも関係を調整する力が
あるかもしれない
そして何より
あの時私を動かしていたのは
現実ではなく不安だった
まだおきていない未来を怖がって
先回りしてしまっていた
そのことに気づいたことが
私にとって大きな変化だった
■その後
その後、今度は次女と夫の言い合いする日
があった
私は台所で夕食の準備をしながら
二人のやりとりを聞いていた
以前のようにハラハラすることなく
少し距離をとったまま見守ることが
出来ていた
やり取りの後次女が言った
「ごめん、私も言葉がたりなかった」
これに対して夫も「ごめんな」と返した
そして二人はいつもの関係に戻していた
その様子を見て思った
あの日だけじゃなかった
二人には
関係を戻していく力がちゃんと
あるのだと
