異性に接する
「年上の女性には母親のように、若い女性には、少しも不純な気持ちをいだかないで、妹のように接しなさい。」
― テモテへの手紙 第一 5章2節(JCB)
独身であっても、既婚者であっても、異性に接する際には、常に心を整え、十分な注意を払う必要があります。
ある教会に、30代のクリスチャンの女性がいました。彼女は何かにつけて「神が語られた」と口にしていましたが、その言葉とは裏腹に、どの行動も長続きせず、軽薄な印象を与えていました。
そんなある日、彼女が突然、教会のギタリストに異様なほど接近し始めました。ギタリストは既婚者でしたが、彼女は牧師に何も告げず、自宅で彼からギターを習いたいと言い出したのです。事の異常さに気づいた教会側が介入し、彼女に注意をしましたが、彼女は自分の行動を反省する様子もなく、どこが悪いのか理解していないようでした。
しかし、主は不思議な方法でこの事態を御手の中に治めてくださいました。聖霊の導きにより、ギタリストが罪に巻き込まれることはなく、彼の家庭も傷つくことから守られたのです。
教会には、さまざまな人々が集まります。そして教会の門は、すべての人に開かれています。しかし、「私はクリスチャンです」と名乗り、奉仕をしていたり、「神が語られた」と語る人であっても、その人が真に敬虔であるかどうかは、簡単には判断できません。
決して人を疑えと言いたいのではありません。ただ、私たちは霊的に目を覚ましていなければ、誰かの誤った導きや誘惑により、人生を大きく狂わせてしまう危険があるということを覚えておくべきなのです。
そして同時に、私たち自身もまた、異性に接する時に、その動機が純粋なものであるかを常に吟味する必要があります。
「あなたがたの教えでは、『姦淫してはならない』とあります。しかし、だれでもみだらな思いで女性を見るなら、それだけでもう、心の中では姦淫したことになるのです。」
― マタイの福音書 5章27~28節(JCB)
時折、異性に対して不純な動機で接している人を見ることがあります。そのような態度は、周囲に不快感を与え、時には教会の健全な交わりを壊す原因にもなりかねません。
教会は、単なる社交場や結婚相手を探す場所ではありません。もしそのような目的で教会に通っている人がいるのなら、もっとふさわしい場所が他にあることでしょう。
教会とは、聖い心で主を求める者たちが集う場所です。まだその認識がない方には、ぜひこの真理を知っていただきたいと思います。
主を恐れ敬う心で、互いを兄弟姉妹として愛し合い、清く、正しく歩むことが、私たちすべての信仰者に求められているのです。
