黙って、神の救いを待つ
「ところが、いったいどうしたことでしょう。
私の王座が揺らぐと、人々はいっせいに非難をあびせかけてくるのです。
王位から追い落とそうと策略を練り、
必死になって根も葉もないうわさを流します。
面と向かっては、いかにもにこやかにふるまうのに、心の中ではのろっているのです。」
―詩篇 62:3-4(JCB)
聖書は、現実から目をそらして生きることを教える書ではありません。
むしろ、人生の厳しい現実のただ中で、真実を見つめ、主と共にどのように勝利していくのかを語る、私たちクリスチャンへのラブレターです。
そしてまた、まだ信仰を持っていなくとも、真理を求めるすべての人にとって、励ましと希望を与えてきた、世界中で読み継がれている書でもあります。
残念なことですが、これは否定できない現実です。
私たちに面と向かっては笑顔で接しながら、心の中ではのろい、機会があれば私たちが失敗し、落ちていくことを願っている人が、一定数存在します。
しかし、たとえそのような人がいたとしても、私たちは決して一人で戦っているのではありません。
私たちは、相手の思いのままに倒されていく存在ではないのです。
それは、私たちが主のうちに憩いを見いだし、主を待ち望むときに明らかになります。
「私は黙って、神からの救いを待ちます。
救うことができるのは神だけですから。」
―詩篇 62:1(JCB)
たとえ敵と一対一で向き合う状況にあったとしても、主は私たちの味方として、確かにそこにおられます。
特に、不当な扱いを受けたとき、私たちの心は怒りや悔しさに燃え、復讐まではしなくとも、せめて一言、嫌味でも言ってやりたいという衝動に駆られるかもしれません。
しかし、語るべきでない時に語ることは、とても危険です。その一言が争いを生み、状況をさらに悪化させてしまうことがあるからです。
だからこそ、黙って、神の救いを待つことが最善の道なのです。救うことができるのは神だけであり、主の解決は、この世のどんな助言者やカウンセラーの知恵にも勝るものだからです。
今日、主の前に静まりましょう。
主の偉大さと真実を思い起こし、黙って神の救いを待ち望みましょう。
そのとき、私たちの思いを超えた、最善の道が、主によって示されていくはずです。
